第14話 もうひとつの、金の斧  其の一

文字数 1,959文字

 現実は希望や努力が実を結ぶことは悲しいほど少なく、幸せな結末を迎えるのは極まれである。
 だとしても、自分の親は二人、その親は四人、三十代さかのぼれば、なんと、十億人――それを思えば、授かったかけがえのない命を粗末などにはできやしない。たとえ、理不尽な現実の救いのなさに打ちひしがれようとも――。


*****


 むかしむかし、ある村に、大層働き者で、とりわけ人の好い、佐吉という男があった。樵を生業にしている男である。
 天気がいいと、佐吉は朝まだきから山へと分け入り、終日、ただひたすら斧を振るって、樹木の伐採に勤しんでいる。そういった日々を、黙々と、彼は繰り返していた。
 そんなある日のことだ――。
 佐吉はこの日も、いつものように、山へと分け入り薪になりそうな樹木を見つけては、脇目も振らず、斧を振るうのに余念がなかった。
 やがて、その日も、昼になる。すると、佐吉は斧を振っていたその手を、急に、止めた。といって、何も、昼食を摂ろうと言うのではない。
 さっきから、佐吉は苛立っていた。どうも、斧の切れ味がよくないのだ。
 とうとう、ガタがきてしまったのかなあ。
 斧の刃を、まじまじと見つめながら、佐吉は浮かない眉をひそめる。
 ここのところ彼は寸暇を惜しんで、遮二無二、斧を振るっていた。その代償だろうか。どうやら、刃に、ガタがきてしまったようなのだ。
 けれど、それにしたって、彼はなぜ、そうまでして、仕事に勤しむのだろうか。
 というのも、佐吉はさきごろ、このようにホゾを固めていたからだ。
 そろそろ、所帯を持とうか、というふうに。
 夙に、佐吉には意中の、おなごがおった。そのおなごも、彼のことをまんざらでもない様子だった。
 祝言のときには、当代随一の花嫁衣装を身に纏わせてやろう――心密かに、佐吉は意図していた。
 というのも、おなごは生まれてこの方、不遇をかこってきた。生まれてすぐに両親を亡くし、それで、親戚に預けられ、ずいぶんと肩身の狭い思いを余儀なくされてきたのだ。
 それもあってか、おなごが心底笑ったところを、これまで、佐吉はあまり目にしたことがなかった。
 祝言の日には、彼女を心の底から喜ばせてやりたい――ただその一念で、佐吉は一心不乱に、斧を振るうのであった。
 
 そうかといって、こうも斧の切れ味が悪くては、仕事がはかどらないのは、犬が西向きゃ尾は東のごとしである。これでは、本日の伐採目標などは到底達成できそうもない。
 どうしたもんか、と思って、佐吉は浮かない眉をひそめるのである。
 なにせ、おなごとの祝言が半年後に迫っていた。
 けれど、どう考えたって、これでは――そう思って、佐吉は頭を抱え込んでしまう。
 これまで貯めてきた銭で、呉服屋の店先に飾ってある一番高価な花嫁衣装を、ようやく、購える目処が立った矢先だった。
 そんなとき、よりによって、命の次に大切な斧が寿命を迎えてしまった。
 これでは、せっかく貯めた銭を切り崩してでも、新たな斧を贖わねばならない。口を糊していくには、背に腹は代えられないからだ。
 というわけで、佐吉は、新しい斧を購うおうと意をけっするのであった。

 佐吉はあくる朝、さっそく、町の道具屋へと足を運んだ。
「ごめんくださいまし」
「はいはい……おや、働き者の佐吉どんではないか」
 店のあるじは、満面の笑みを浮かべて、佐吉を迎え入れてくれた。
 それほど、佐吉の働きぶりは、村の者に評判だったし、それゆえ、みなから親しまれていた。
「それで、きょうは、どのような用事ですかな、働き者の佐吉どん」
「は、はあ……」
 佐吉は曖昧な返事をした。
 端的に、きょうは、新しい斧を購うために来店した、と言えば済むだけの話である。
 それなのに、佐吉は、どこか煮え切れない様子だった。
 どうしたというのであろう。
 店を訪れる前まで、佐吉は、きっぱり心に決めていた。
 どうせ購うなら、これまで貯めた有り金全部はたいてでも、かなり切れ味の鋭い、でもそれだけに、そうとう値が張ると思われる、だがたとえそうだとしても、そのような立派な斧を購おう、というふうに。
 ところが、いざ購おうとして、店に一歩足を踏み入れたとたん、佐吉はなぜか、躊躇してしまう。
 というのも、佐吉の心には、なんとなく釣り合いのとれない不安があったからだ。第一、有り金全部はたいたとして、半年後に、高価な衣装を購うだけの銭が、はたして貯まるだろうか。しかもそれと同時に、そこそこの斧を購い、少しでも銭を残しておけば、半年後に、少なくともそこそこの衣装を購うことはできる。
 この矛盾した二つの感情が、お互いに剋し合う後ろには、どうしても、彼女の境遇を変えてやらねばという、落ち着かない気分が、きょうの天気のように、薄ら寒く控えていた。


つづく
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