第18話 もうひとつの、金の斧 其の五
文字数 2,375文字
「ここで、いったい、なにをしておったのか? さっさと、申すがよい」
神々しい光に包まれた女神に、そうせかされたのでは、いつまでも、口をつぐんでいるわけにもいかない。
そこで佐吉は、女神に向かって、ことの顛末を語って聞かせた。
樹木伐採しようとして、贖ったばかりの金色の斧を手を滑らせ、うっかり、泉のなかに落としてしまった、という旨を。
「ふむ、思い半ばに過ぎたということか」
佐吉の話を聞いて、女神が言った。
「そりゃあ、さぞかし痛手であろう。なら、ここはひとつ、われが救いの手を差し伸べてやるとしよう」
女神はそう言うや否や、もう泉のなかへと姿を消していた。
それからしばらくしてのことである。
神々しい光に包まれた女神が、佐吉の前に、ふたたび、姿を現したのは――。
見ると、さっき佐吉が落とした、あの金色の斧を、女神はその手に携えているではないか。
ふう〜、よかった。
ほっと胸を撫でおろすと、にわかに身体の力が抜けてしまう、そんな佐吉であった。
「ありがとうございました、女神様。捨てる神あれば拾う神あり、とはいみじくも言ったものです……何とお礼を申しあげたらよいかことばもありません」
佐吉はそう礼を陳べると、女神に向かって、深々と、頭を垂れた。そうしながら、佐吉は斧を手渡してもらうと、両の手を前に差し出した。
女神と佐吉が対峙しているのは、一衣帯水――ほんの少し手を伸ばせば、斧を手渡してもらえる距離だった。
なので、佐吉が差し出したその手に、やがて女神が、金色の斧を手渡してくれるはず――そうタカをくくっていたのだが、いったいどうしたことか、その気配がまるでない。
あれ⁈
さすがに佐吉は首をひねる。
女神様はなぜ、斧を手渡してくださらぬのだろう、そう思って、彼は首をひねるのである。
不審に思った佐吉は、垂れていた首を、おもむろに挙げる。
相変わらず、眼前には、女神がその手に金色の斧を携え、泉の水面の上に、ふわふわと浮かんでいる。それはいいとして、よく見れば、女神は冷然として、馬鹿にしたような目で、佐吉のことを眺めているではないか。
え⁈ ど、どうして、女神様は、そんな目をして儂を見るんだろう?
当然、けげんそうな顔で、佐吉は首をかしげるのだった。
一方、女神も無言で、佐吉を眺めている。もっとも、その眼差しは、どこか胡乱げである。
一瞬、気まずい沈黙。
その沈黙を破って、女神が、やおら口を開く。
「お前が落としたのは、まこと、この金色の斧で相違ないのか?」
「は、はい、もちろん、その斧です。嘘偽りなどはほんにございません、女神様」
しかし、なぜ、そのようなことを、女神様は尋ねるのだろう?
腑に落ちないという顔で、佐吉は、女神を眺める。
これには、もちろん、理由があった。
実を言うと、女神は内心いぶかっている。
見るからに、みすぼらしい風貌。そのような男に、はたして、この高価な金色の斧が贖えるものだろうか、そう思って。
それを、女神が口にする。
聞いて、すっかりうろたえたのは、佐吉である。
「な、何をおっしゃいます。間違いなくそれは、わたしが贖った斧でございます。それに、わたくしが、このようなうだつの上がらない風貌をしているのには、深いわけがあるのです」
「深いわけ? ほう、どのような?」
「は、はい……」
うなずいた佐吉は「かくかくしかじかで……」と、事の次第を、女神に語って聞かせるのだった。
これで、一安心、と佐吉は安堵の息を洩らす。
だが、女神を見ると、以前として、さっきの眼差しでこっちを眺めている。いや、さっきより、もっと冷然として、自分を眺めているのである。
また、どういうわけで、女神は、佐吉の話を信じてやらないのだろう。
それもそのはず。
実はこの女神、つい最近、あるカミサマに、捨てられたばかりであった。それで、彼女の心は、すっかりすさんでいた。そんな彼女は、こう思う。
虚無的な人間の世界に、そのようないじらしくて、素敵な話があるわけがないわ、というふうに。まあ、要は、カミサマ、妬んでいるのである。
けれど、それにしたって、これはいただけない。それはそうだろう。なにせ、彼女は曲がりなりにも、カミサマではないか。カミサマといったら、すべからく、人間に寄り添うべき存在であるはず。
いや、はたして、そうだろうか。
ここで、このおはなしの冒頭の、あのことばを思い出してほしい。
現実は希望や努力が実を結ぶことは悲しいほど少なく、幸せな結末を迎えるのは極まれである――という、あれを。
戦争、飢餓、差別にイジメ――そう、悲しいかな、現実は不条理で満ち溢れている。それゆえ、たとえ佐吉が、このような不条理な羽目に合ったとしても、なんら不思議はないのである。
「ほんとうのことを話さないばかりか、われの歓心を買おうとして、いじらしい作り話までするとは……人間の分際で、不遜この上ないわ」
憤怒の表情で、女神は、いかにも腹立たしそうに吐き捨てる。
そして、手に携えた斧を見て、「ふん、こんなもの、こうしてくれる」と言うが早いか、泉のなかへと、ポイっと放り投げてしまったのだった。
「あ!」
悲鳴をあげた佐吉など一顧だにせず、女神は「馬鹿馬鹿しいたらありゃしない」と捨て台詞だけを残して、佐吉の前から、スッと姿を消してしまった。
呆気にとられたのは、その場に、独り、淋しく、取り残された佐吉である。
彼は力なく首を振って、さっきのことば――捨てる神あれば拾う神あり、というあれを、頭のなかから追い払う。
そうして、泪交じりに、ぽつり、無念そうにつぶやいた。
「カミサマとは、とかく人間の心を弄ぶ、なんとも残酷な存在なのだなあ……」
泉の畔には、小鳥たちのさえずりだけが、心地よく、鳴り響いている。
つづく
神々しい光に包まれた女神に、そうせかされたのでは、いつまでも、口をつぐんでいるわけにもいかない。
そこで佐吉は、女神に向かって、ことの顛末を語って聞かせた。
樹木伐採しようとして、贖ったばかりの金色の斧を手を滑らせ、うっかり、泉のなかに落としてしまった、という旨を。
「ふむ、思い半ばに過ぎたということか」
佐吉の話を聞いて、女神が言った。
「そりゃあ、さぞかし痛手であろう。なら、ここはひとつ、われが救いの手を差し伸べてやるとしよう」
女神はそう言うや否や、もう泉のなかへと姿を消していた。
それからしばらくしてのことである。
神々しい光に包まれた女神が、佐吉の前に、ふたたび、姿を現したのは――。
見ると、さっき佐吉が落とした、あの金色の斧を、女神はその手に携えているではないか。
ふう〜、よかった。
ほっと胸を撫でおろすと、にわかに身体の力が抜けてしまう、そんな佐吉であった。
「ありがとうございました、女神様。捨てる神あれば拾う神あり、とはいみじくも言ったものです……何とお礼を申しあげたらよいかことばもありません」
佐吉はそう礼を陳べると、女神に向かって、深々と、頭を垂れた。そうしながら、佐吉は斧を手渡してもらうと、両の手を前に差し出した。
女神と佐吉が対峙しているのは、一衣帯水――ほんの少し手を伸ばせば、斧を手渡してもらえる距離だった。
なので、佐吉が差し出したその手に、やがて女神が、金色の斧を手渡してくれるはず――そうタカをくくっていたのだが、いったいどうしたことか、その気配がまるでない。
あれ⁈
さすがに佐吉は首をひねる。
女神様はなぜ、斧を手渡してくださらぬのだろう、そう思って、彼は首をひねるのである。
不審に思った佐吉は、垂れていた首を、おもむろに挙げる。
相変わらず、眼前には、女神がその手に金色の斧を携え、泉の水面の上に、ふわふわと浮かんでいる。それはいいとして、よく見れば、女神は冷然として、馬鹿にしたような目で、佐吉のことを眺めているではないか。
え⁈ ど、どうして、女神様は、そんな目をして儂を見るんだろう?
当然、けげんそうな顔で、佐吉は首をかしげるのだった。
一方、女神も無言で、佐吉を眺めている。もっとも、その眼差しは、どこか胡乱げである。
一瞬、気まずい沈黙。
その沈黙を破って、女神が、やおら口を開く。
「お前が落としたのは、まこと、この金色の斧で相違ないのか?」
「は、はい、もちろん、その斧です。嘘偽りなどはほんにございません、女神様」
しかし、なぜ、そのようなことを、女神様は尋ねるのだろう?
腑に落ちないという顔で、佐吉は、女神を眺める。
これには、もちろん、理由があった。
実を言うと、女神は内心いぶかっている。
見るからに、みすぼらしい風貌。そのような男に、はたして、この高価な金色の斧が贖えるものだろうか、そう思って。
それを、女神が口にする。
聞いて、すっかりうろたえたのは、佐吉である。
「な、何をおっしゃいます。間違いなくそれは、わたしが贖った斧でございます。それに、わたくしが、このようなうだつの上がらない風貌をしているのには、深いわけがあるのです」
「深いわけ? ほう、どのような?」
「は、はい……」
うなずいた佐吉は「かくかくしかじかで……」と、事の次第を、女神に語って聞かせるのだった。
これで、一安心、と佐吉は安堵の息を洩らす。
だが、女神を見ると、以前として、さっきの眼差しでこっちを眺めている。いや、さっきより、もっと冷然として、自分を眺めているのである。
また、どういうわけで、女神は、佐吉の話を信じてやらないのだろう。
それもそのはず。
実はこの女神、つい最近、あるカミサマに、捨てられたばかりであった。それで、彼女の心は、すっかりすさんでいた。そんな彼女は、こう思う。
虚無的な人間の世界に、そのようないじらしくて、素敵な話があるわけがないわ、というふうに。まあ、要は、カミサマ、妬んでいるのである。
けれど、それにしたって、これはいただけない。それはそうだろう。なにせ、彼女は曲がりなりにも、カミサマではないか。カミサマといったら、すべからく、人間に寄り添うべき存在であるはず。
いや、はたして、そうだろうか。
ここで、このおはなしの冒頭の、あのことばを思い出してほしい。
現実は希望や努力が実を結ぶことは悲しいほど少なく、幸せな結末を迎えるのは極まれである――という、あれを。
戦争、飢餓、差別にイジメ――そう、悲しいかな、現実は不条理で満ち溢れている。それゆえ、たとえ佐吉が、このような不条理な羽目に合ったとしても、なんら不思議はないのである。
「ほんとうのことを話さないばかりか、われの歓心を買おうとして、いじらしい作り話までするとは……人間の分際で、不遜この上ないわ」
憤怒の表情で、女神は、いかにも腹立たしそうに吐き捨てる。
そして、手に携えた斧を見て、「ふん、こんなもの、こうしてくれる」と言うが早いか、泉のなかへと、ポイっと放り投げてしまったのだった。
「あ!」
悲鳴をあげた佐吉など一顧だにせず、女神は「馬鹿馬鹿しいたらありゃしない」と捨て台詞だけを残して、佐吉の前から、スッと姿を消してしまった。
呆気にとられたのは、その場に、独り、淋しく、取り残された佐吉である。
彼は力なく首を振って、さっきのことば――捨てる神あれば拾う神あり、というあれを、頭のなかから追い払う。
そうして、泪交じりに、ぽつり、無念そうにつぶやいた。
「カミサマとは、とかく人間の心を弄ぶ、なんとも残酷な存在なのだなあ……」
泉の畔には、小鳥たちのさえずりだけが、心地よく、鳴り響いている。
つづく