第15話 無人のネクストバッターズサークル

文字数 943文字

 バックネット裏の記者席で『月刊 青春野球』の梅宮が唸った。
 電光掲示板に表示された頼我の球速はなんと55キロ。
 遅いにもほどがある超スローカーブである。
「MAX160キロをたたき出した獅子王亮介とは真逆のどよめきだな、こりゃ」
 と隣の『月刊 甲子園』の記者・緒方に話しかける。
 だが、緒方は無反応だ。スタンドのどよめきなど、我関せずとばかり、視線を桜台
ベンチに注いでいる。
「おい、どうしたんだよ? ひいきの凪浜が観客を沸かせたんだぜ」
 ちっとは喜んだらどうだ、とつづけようとしたところ、
「なに呑気なこといってんだ、桜台ベンチを見てみろ。
 やつら、グラウンドなんか見てやしない。しきりにベンチ裏を振り返っている」
 そういえば、どこか焦っている表情だ。頼我が55キロを披露したからではない。いな
ければいけないあいつが姿をみせないからだ。

「……そういえば、試合前の整列のときもいなかったな」
 梅宮はスコアボード横のスターティングメンバー表示をみた。
 4番に海渡の名前はあるものの、もしかしたら……との疑念が湧く。
 海渡は5年前の交通事故による後遺症を引きずっている。
 スターティングに入れてはみたものの、直前で出られなくなったことも考えられる。


 快調なテンポで頼我はたちまちツーアウトをとった。
 ちらり、と三塁側ベンチ前のネクストバッターズサークルに視線を走らす。
 三塁側は桜台ベンチだ。3番の遊川慎吾(ゆかわ・しんご)が右打席に立っても
ネクストは無人だ。
「ファール!」
 スリーボール、ツーストライクから8球ファールで遊川が粘る。
 それはおそらくわざとだ。
 頼我はキャッチャーの月岡秀俊(つきおか・ひでとし)を立たせた。
 遊川の打棒を怖れての敬遠ではない。
 目当ての人物の不在を確かめるための敬遠だ。

「おい、歩かせられたぞ!」
 三塁ベンチで監督の武藤武(むとう・たけし)がわめいた。
「バッターラップ!」
 球審が次打者の打席入りを促している。
 海渡は治療を受けた万全の体で試合に臨むことを監督やチームのみんなと約束した。
 その治療が長引いているのかもしれないが、これ以上は引き延ばせることができない。
 こうなったたら、代打を送るしかないのだ。
 監督が球審に代打を告げようとした、そのとき——

 スパイクの足音が響いてきた。


       第16話につづく







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