第29話 最後のハンマーボール

文字数 1,089文字



 滝沢の背後で爆煙が舞いあがった。
 リリースと同時に軸足を蹴りあげるハンマーボール投法でパワーストレートを放つ。

 炎をまとった滝沢のフォーシームが頼我に襲いかかる。
 頼我は振り遅れまいと始動を早くしたのだが——

「ストラックツー!」
 バットがボールの下をくぐってしまった。
 金属バットの先端から白い煙が噴きあがっている。わずかにかすったようだ。
 それはともかくとしてスリーボール、ツーストライクのフルカウントになってしまっ
た。
 状況は2死満塁。
 次の球ですべてが決まる。


(タイミングはあってきてます。次で落としますか?)
 藤丸が一応スプリットのサインをだしてきた。
 滝沢は首を振る。
(おれにはもう、ゾーン手前で落とすコントロールがない。このままハンマーボールで
ゆく)
(わかりました)
 藤丸がハンマーボールのサインをだした。
 滝沢の右足はとうに限界を迎えている。これが最後のハンマーボールだろう。



「この切所(せっしょ)を乗り切ったら桜台は勝つかもしれんな」
 記者席で梅宮がいった。
「そういえば、滝沢の目標もメジャーだとか……」
 緒方にとっては悔しいことだが、梅宮所属のライバル誌『月刊 青春野球』の特集記
事で読んだことがある。確かインタビュアーはこの梅宮だったか?
 緒方のなにか問いたげな視線を受けて梅宮がいった。
「滝沢の家は代々弁護士を務めるエリート一家だそうだ。滝沢の親父は一人っ子の長男
高明(たかあき)に弁護士になって事務所を継いでもらいたい。
 だけど、高明くんの目標はMLB。あのイチゾーと対戦することが夢だそうだ。
 親子ゲンカは甲子園に出場したいまでもつづいていて、大会で優勝したら好きにさせ
てもらうと宣言。親父も渋々、その条件を呑んだという話だ」

 そこまで聞き出すなんてさすが……と、いわざるを得ないが、名門一家に生まれた御
曹司のよくある話だ。
 いまの滝沢は無理の上にも無理を重ねてマウンドに立っている。
 たとえ優勝しても体のどこかには故障が残るだろう。滝沢の父親もそれを見越して条
件を呑んだに違いない。


 滝沢は滑らないようにボールをよくこねると、ふと空を見あげた。
——よく考えてみろ。プロ野球選手の平均選手寿命は8年足らずというぞ。8年過ぎたら
どうする? コーチとか解説者で食ってゆくのか?
 こんなときに親父の辛辣な言葉が甦える。
 滝沢はようやくセットポジションに入った。
(親父、よく見ていてくれ。おれはあんたの所属物じゃない。自分の才覚と実力で星を
つかんでみせる!!)
 滝沢の軸足が跳ね上がる。
 マウンドの土を盛大に蹴りあげて渾身のハンマーボールが放たれた。



       第30話につづく

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