第1話 風使いの伝説

文字数 1,627文字

 真夏の太陽が中天にのぼっている。
『月刊 甲子園』の記者・緒方輝明(おがた・てるあき)は時折、メガネを外し、額か
ら噴きでる汗を分厚いタオルで拭いながらノートPCに文字とスコアを打ち込んでいた。
 
「精が出るねえ、ゲッコウさん」
といいながら現れたのはライバル誌『月刊 青春野球』の梅宮(うめみや)だ。
「なんだ、シュンキュウさんか」
 緒方は梅宮の顔をちらりとみると、興味なさげにまた執筆に打ちこむ。
 試合はすでに9回裏。
 高校野球千葉県夏大会の決勝戦がここ千葉タウンスタジアムで行われている。
 凪浜(なぎはま)VS青田(あおた)。2➖1で凪浜が1点のリードを保ち、最終回の守備につく。
 ゆったりとした足取りでマウンドに登ってくるのはエースで4番の風巻頼我(かざまき・らいが)だ。

「確か、ゲッコウさんはあの風巻を最重要注目選手に選んでいたよな」
 よっこらしょ、とオジサンくさい声をあげて梅宮が緒方の隣に腰を下ろす。
「あんた、メモとか取らなくていいのか?」
 汗臭いオジサンと肩を触れ合わすのはごめんとばかりに、緒方は右隣の空席にずれた。
「いいのいいの。ウチはサポートライターをふたりばかり雇っているから、スコアも
ばっちり。カメラマンもいるしね」
「へいへい。いいご身分で」
『月刊 青春野球』は大手出版社系列なので人材は豊富だ。それに引き換え『月刊 
甲子園』は高校野球オタクのオーナーが個人で立ち上げた弱小出版社なので、バイト
もカメラマンも雇う余裕がない。
 記者はカメラマンを兼務し、大忙しで観戦記録を執筆する。だけど、弱小ゆえにどこ
にも忖度しない記事が書けるのが魅力だ……と緒方は思っている。いや、思おうとして
いるといったほうが正確か。

 目を前方に向ける。
 風巻が投球モーションに移っている。
 その左腕から白球が放たれる。
 風巻得意のカーブだ。
 きれいな弧を描いてボールは右打者のアウトローに計ったかのようにおさまる。
 風巻のストレートはMAX133キロだ。いまのカーブは103キロと電光表示板にでて
いる。
 そして次に投じたカーブは87キロとさらに遅い。
 その遅い球が風におされてストライクゾーンにするすると入ってくる。
 先頭バッターは思わず手をだしてしまった。
 ひっかけて内野ゴロだ。

「いまの見逃せばボールだな」
 隣の梅宮が唸るようにいった。
「風におされてボールが外角ギリギリに入ろうとしていた。あれはだれでも手がでる」
 緒方はいったん手をとめ、マウンドの風巻に集中した。わずか1点差だというのに
悲壮感はまったくない。ニコニコとほほ笑み、余裕たっぷりで左肩をまわしている。
 
 たちまちツーアウトをとった。
 ランナーなし。三番目のバッターは左打者だ。
 カウントは2ボール2ストライクの並行カウント。
 風巻は人差し指の腹をぺろり舌先で湿らすと、まっすぐ天に向けた。
「なるほど、ああやって風の方向と強さを計っているわけか」
 梅宮が感心したようにいう。
 ボールにツバをつけるのはルール違反なので、この紛らわしい行為は滅多にやらない。
指を天に向けたあとは丹念にユニフォームの袖で拭う。
 バッターは風巻の仕草からスローボールがくると思っている。
 だが——
 最後に投じたボールはMAX133キロのストレートだった。
 それはど真ん中に投じられ、バッターは空振りした。
「いやはや、見事なもんだ。高三にして完璧な投球術を身につけてやがる」
「あの133キロのストレートは、バッターにいわせれば150キロに匹敵する体感スピード
になるそうだ」
 梅宮の言葉に反応して緒方がいった。

 とにもかくにも千葉県夏大会は風巻率いる凪浜高校が初出場の甲子園切符を手にした。
 喜びはしゃぐ凪浜ナインのただなかで、風巻は勝って当然とばかりに涼しい顔をして
いる。
 その泰然とした姿を見ているうちに緒方の想いは確信に変わってゆく。
 この男は甲子園の風さえも操れるだろう。
 ウインドマスター風使い風巻の伝説はここからはじまるのだ。


                      第2話につづく





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