第31話 ラストボール
文字数 1,277文字
9回表。
左手の小指と手の甲に包帯を巻いた痛々しい姿ながらも、頼我は快調なピッチングを
披露して、桜台打線をたちまちツーアウトに追い込んだ。
『4番ファースト、日野海渡くん』
球場アナウンスのコールを受けてスタンドが一際、盛り上がる。
状況は2死ランナーなし。点差は1点のビハインド。
ここは、一発同点ホームラン狙いか?
ゆっくりと右打席に向かう海渡の足が、あろうことかもつれた。
「海渡っ!」
武藤監督が声をかけた。他のナインも心配そうに身をベンチから乗り出している。
(タイムリミットがきちまったか……)
それまで桜台応援席で静かに試合を観戦していた藪下だが、スコアボードの時計を
見やると後悔を滲ませた。
思えば、黄金鍼による埋没鍼治療など、やるべきではなかったのだ。体の痛みを軽
減できたとはいえ、それは神経のわずかな麻痺を呼ぶ。
フル出場できたとはいえ、バッティングの勘を失わせてしまった。
そして、海渡はなにもできぬまま、タイムリミットの2時間を迎え、最後の打席に立
とうとしているのだ。
「海渡、代打をだしてもらえ!」
マウンドで頼我がいった。
「never give up!!」
海渡が負けじといい返す。右打席に入って頼我をにらみつける。普段、
海渡には珍しい反応だ。
スコアボードの凪浜の校旗が再びはためく。中央の大会旗もその隣の桜台校旗も力な
く垂れたままだ。
「プレイ!」
球審が試合再開を告げた。
キン!
金属音が夏空に響いて打球が舞った。
「ファール!!」
塁審がコールする。
一球目はライトに。
そして二球目はレフトに特大のファールだ。
スタンドは盛大なため息を連続して漏らす。
「すげー気迫だ。エックスゲームにはさせないという海渡の意地がここまで伝わってく
るぜ」
さも感心したかのように梅宮がいう。
「タイミングは合ってきている。こりゃ、ひょっとすればひょっとするかも」
だが、緒方は梅宮の希望的観測を打ち消す。
「いや、わざと打たしているんだ。タイミングをわずかにはずした結果だ」
とにもかくにも、これでノーボール、ツーストライクだ。
海渡はたった2球で追い込まれてしまった。
——あいつはまだ、本当の姿を見せてはいません。
脳裏に再び月岡のセリフがよみがえってきた。
あいつは、頼我はとうとう真の姿を見せないまま、
そのとき、頼我が意外な行動をとった。
海渡に向かって握りをみせたのである。
海渡が驚きの表情を浮かべる。
まさか、そんな球が投げられるのか……と表情がいっている。
「おまえの根性に敬意を表して、いまからとっておきの球を投げてやる。よおく、目
に焼きつけろ!」
ゆっくりと投球モーションに入った。
マウンドが、グラウンドの空気が一変する。
凪浜の校旗が一際激しく揺れた。
頼我が三球目を投げた。
その左腕から放たれたボールは海渡のアウトハイに伸びた。
「こっ、これがあいつの本当の姿?!」
記者席で思わず緒方が立ちあがった。
ボールが風を巻いて信じられぬ変化をした。
それは……
最終話につづく