第2話:赤城龍彦が映画界と経済の変化

文字数 2,032文字

 山野大助は、M短大経済学部を1955年卒業し証券会社に入社し赤城が、証券口座を開設。赤城龍彦も売れ映画をかけ持ちし金を使う暇がなく預金が、増えた。山野は、撮影所に通い赤城龍彦に差し入れを持って行った。やがて1956年も12月になりソニー株が、22円と安いので買いを奨め4万株を88万円で買い残金が12万円になった。

 その後、1960年4月中旬、ソニー株が、220円となった。そこで、全株、売りを指示すると同意して売り、税引き後利益が788万円で残金が、800万円となった。その時、横浜中華街の高級中華料理で赤城龍彦が食事をご馳走してくれた。そして1961年には、大手映画会社NK社のニューフェイスとして有望な新人映画俳優としてデビューした。

 そのため、赤城は、撮影所の人達に顔が知られた。山野は、赤城を俺の親友だと言ったため、顔パスで、大船撮影所に入れるようになった。この頃、山野は、石原裕次郎、吉永小百合、宍戸錠など多くの俳優のサインをもらった。

 また、一緒の写真をたくさん撮ってもらった。しかし忙しいスケジュールで活動していたので赤城龍彦は山野大助に株投資を任せると告げた。そんな1964年2月18日、早朝、ソニー株が、39円で安く買いだと思い10万株、成り行き買い注文を出すと390万円で買え残金が410万円となった。 もちろん、その日のうちに山野は、赤城に、この取引の話をして了解してもらった。

 その後、証券口座に200万円が入金された。そして1964年8月の18時頃、赤城竜彦のお母さんから山野に電話が入った。そして、今日の昼過ぎ、赤城龍彦が交通事故で頭を強打し大病院に運ばれたと教えられた。そこで、取り急ぎ、病院へ駆けつけると、これから手術に入りますので、お待ち下さいと看護婦さんに言われ手術室の近くで待った。

 20時過ぎ、手術出て来た姿を見たが意識はなかった。その後、看護婦が、意識はなく頭蓋骨骨折と右眼下骨折などの重傷で、意識が戻らないので面会できませんと言われた。仕方なく家に帰った。その後も一進一退の状況で、意識が戻らず、7日目の朝、帰らぬ人となった。葬式に出たとき赤城竜彦のお母さんから赤城から山野への手紙を渡された。

「多分、この手紙をお前が見る事はないと思う」
「しかし、一応、書いておくと言う書き出しから始まっていた」
「もし万が一の時、俺の証券口座の金は、お前の努力で、稼いだものだから、お前に渡す」
「だから、しっかり、稼いでくれよな!そして、幸せな人生を送れよ!」と書いてあり、
「その便せんを見て、山野は、涙がこみ上げ、流れ置き、声を上げて泣いた」

「バカヤロー、そんなに生き急いで、死にゃがって!」
「俺は、お前と金を稼いだら彼女を連れて海外旅行へ行きたかった!」
「お前がいなきゃ、2枚目俳優が、俺の親友だと彼女に言えないだろう!」
「そう、独り言を言って、大泣きした」

 その後、赤城のお母さんに手紙を見せると、涙を見せ、あの子の好きなように山野さんが、受け取ってくださいと言われ、山野が、お礼を言った。その後、赤城の証券口座の残金を山野が受け取った。しかし山野は、赤城が、亡くなり証券会社での仕事の目的を失ったような気持ちになり退社。会社の上司の粋な計らいで、知り合いのY銀行の上層部に掛け合い転職できる事になった。

 しかし勤めていた証券会社に口座を作り投資を継続することにした。その後、1966年以降、日本は、高度成長期に入り好景気で、特に地価の高騰が、すごかった。日本経済全体も、好調で、1960年代後半の実質経済成長率は10%を超えていました。この間、エネルギー需要が、拡大を続けて5倍以上となり日本は、高度成長を継続した。

 1970年、山野は、同じ短大を卒業し、長く付き合っていた朝吹桂子さんと結婚を決めた。6月に結婚式を挙げて、南九州へ3泊4日の新婚旅行に出かけた。1971年3月には、長男の山野和臣が、誕生した。1972年10月には、長女の山野妙子が、誕生。その後、乗り心地の好い豊田のクラウンを購入し子供連れで箱根、熱海、伊豆、城ヶ島、富士山をドライブした。

 1973年1月下旬、証券会社の担当者からの電話でソニー株が、1600円と言われ、全株売り注文を出した。すると、今までにソニー株は3回の株式分割で、株数が188%に増えていた。そのため、税引き後利益が26400万円となっていて残金合計が26810万円となった。1973年2月14日、アメリカが、ブレトンウッズ体制を破棄し変動相場制に移行した。

 その結果、ドル円相場、1ドル360円から円高になった。さらに二度の石油危機が背景でも日本は、第二次石油危機で賃金・物価上昇の抑制を進めることができた。そのため他の主要先進国に比べ、その影響は、相対的に小さなものに留まった。10月6日に勃発した第4次中東戦争は、中東産油国に石油供給の削減という世界戦略を行使させてしまった。
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