第1話:赤城家と赤城龍彦の行動

文字数 2,011文字

 1919年、旧結核予防法が施行され、戦前戦中の結核予防対策の基本となりました。赤城家は、古くからの医者の家系で1925年「明治38年」当時の内務省医務局「現在の厚生省」の要請で、都心にあったNB病院を受診する、当時、多かった結核患者を東京の中心から郊外で治療するため鎌倉にNB病院の分院として開設し、日本橋病院の分院として多くの結核患者を収容した。

しかし、都市部の人口密集化が進み、結核患者が急増した。不衛生な環境下での過酷な長時間労働や慢性的な栄養失調が結核を流行させた。日本では、結核は喀痰「かくたん」によって伝染するという当時の学説に基づき、人が集まる場所には痰壷を設置し、痰壺「たんつぼ」以外では痰「たん」や唾「つば」を吐いてはならないという「結核予防規則」が、1904年に施行された。

 日本において結核による死亡者が最も多かったのは1918年であった。この年、人口10万人あたり257人が死亡した。これをピークとして下降をはじめる。1932年には、10万人当たり179.4人まで低下するが,以後再度上昇に転じ1943年には10万人当たり235.3人と増加してきた。

 また、死亡数全体の構成比でみると明治,大正を通じて,死亡原因のおおよそ10%を占めていた結核は、昭和に入るとしだいに比率を増し、第二次世界大戦中は、14%にまで達した。1918年のスペインかぜが死亡数増加のひとつの節目で、男子64239名,女子76508名となった後、一旦は減少するが,昭和に入ると男子の死亡数は再び急増した。

1931年に女子を追い越し,第二次世界大戦中には、9万名以上となった。女子の増加傾向は、それよりはるかに緩やかではあるが、1930年代に増加傾向は顕著になった。1943年には男女それぞれ94623名、76850名となった。蔓延「まんえん」する結核の予防対策としたのが、知識の普及である。行政機関では、栄養摂取や公衆衛生の重要性を告知した。

さらに戦中、戦後、都心部から結核患者を環境の良い海辺の地で、療養させるべく、東京の患者は、東京、多摩地区郊外や温暖で気候の良い湘南海岸、鎌倉、大磯、沼津、伊豆などにも東京の結核患者を分散させるために結核病院を新設させた。そのため、東京の大病院で内科医長をし鎌倉出身の赤城祥佑に当時の内務省医務局「現在の厚生省」の要請で1926年結核病院建設を命じられた。

 そこで、鎌倉に戻り近郊近在の医師を医師会を通じで集めて、K病院を開設し、2人の赤城祥佑が、院長となり、地元で内科を開業していた吉富龍蔵を副院長として、費用の大半を厚生省、東京、神奈川の援助で1928年に設立した。しかし、病院の給料だけでは生活できず、赤城院長と吉富副院長が、週3日K病院で診療した。

 残りの日は、自宅で内科診療をして生計を立てることとなった。戦争が、激しくなり食糧事情が悪くなると結核患者が増えて大変であった。しかし、この当時、上司の命令は絶対で、あったため何とか、耐え忍んだ。こうして1945年の終戦を迎えた。すると、今度は、横浜に米軍が、大挙して押し寄せ、東京、横浜で性病が、流行し、その治療に忙しくなった。

 戦後、赤城祥佑に孫が、男子3人が、誕生した。1950年3月、赤城和富、1951年8月、赤城昭二、1953年3月、赤城龍三が、誕生した。1053年になると生活も少しずつ楽になり金を貯めることができた。この頃、赤城祥佑も70歳、近くなり、医師会でも長老となりK病院の交代を医師会に頼み込み了解された。そのため、自宅での診療に専念できた。

 戦前、戦中は、なかなか、自分たちが、クリスチャンだと言いにくい時代だったが、赤城家は、代々、カトリック信者の家であった。そのため1953年、甥「おい」の赤城龍彦が、横須賀のカトリック系のE学園を卒業した。その後、1953年4月、日大芸術学部に合格して通い始めた。赤城龍彦は、賢そうな二枚目で、ハンサム、外人の様な端正な目鼻立ちと背が高く、足も長かった。そのため、大勢の女性達に追いかけられる程だった。休日には、撮影所へ遊びに出かけた。

 頭脳明晰だが、アメリカかぶれしたところがありジェームス・ディーンにあこがれていた。赤城龍彦も色白、二枚目、背が高く、映画スター見たいだった。洋楽、洋画が、大好きで横浜の外人学校の学園祭やサマーパーティーに顔を出していた。こうして映画俳優とも親しく話をした。そして1954年に大学の出席日数が、足らず留年となった。

 しかし、その頃すでに映画会社からスカウトされ応じて映画のチョイ役として出演した。そのため、大学を中退し実家を飛び出した。その後、順調に若手2枚目俳優として、成長して、多くの映画に出るようになったが、忙しくて仕事の合間に休憩室で仮眠をとる生活を続けた。しかし、学生時代からの親友の山野大助が、赤城龍彦を応援した。
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