第3話:オイルショックと株投資開始

文字数 2,028文字

 OAPEC「アラブ石油輸出国機構」10カ国は月5%ずつ石油生産を削減、アメリカなど非友好国には全面禁輸、日本など中立国には輸出量の削減を通告、さらに原油公示価格の70%引き上げを実施した。1974年1月にかけて原油価格は、4倍高となり原油の99%を輸入に頼る日本経済にとって大きな打撃となった。現実に1974年の経済成長率はマイナス0.8%となった。

 この時、戦後、初めて日本経済が、マイナス成長に陥った。石油・電力の使用削減によってエネルギー多消費型の重化学工業の低迷はさけられない状況となった。その結果いわゆる「モノ不足」が、喧伝された。そのため、例えば、トイレット・ペーパーの買いだめ騒動のように、ケガ人が出るほどのパニック現象がおこった。

 さらに石油価格の上昇は、おりから進行していた物価高騰に追い打ちをかけた。インフレは、1973秋から急速に進行、翌1974年2月には、卸売物価が37%、消費者物価が26%も高騰した。いわゆる「狂乱物価」をもたらした。石油危機による狂乱物価は、政府の引締政策の強化によって、1975年に入ると落ち着きをとりもどした。

 原油の高騰で大幅赤字となった国際収支も同年、秋から黒字に転じた。だが1975年9月期になっても企業の業績は好転しなかった。内需の減退と燃料価格高騰の影響を受けた。そのため、鉄鋼、化学、紙パルプなどの素材産業、海運、工作機械などは大幅な赤字。そのため、産業界は高度成長時代の贅肉落としのため、いっせいに減量5経営に向かった。

 企業活動の路線変更は深刻な雇用不安に発展、この年の完全失業者は、100万人の大台を突破。国内需要の回復感は乏しかったが、マクロで見ると1973年11月に始まった景気後退は、1975年3月に底入れした。1975年の経済成長率は、2.9%、1976年は、4.2%と順調な回復ぶりを記録した。

 家電、自動車、精密機械などの輸出が内需の落ち込みをカバーして日本経済の救世主になったのである。その後、1975年8月、お盆過ぎ、証券会社の担当者からの電話で日本電気株が、121円で買いと言われ同意し20万株、成り行き買い注文を出した。すると2420万円で買え、残金が、24030万円となった。そして、この頃、家を建てたいと考えた。

 そこで、以前、証券会社から銀行に転職した時、世話になった証券会社の上司に相談するとズバリ、新横浜駅の周辺が良いと言われた。そこで、駅から徒歩5分の300坪の土地を現状渡しで1億円で、地元の地主から購入した。その結果、山野に資産が、10700万円となった。しかし土地の管理費として年に10万円で、山野が、元地主に管理してもらった。

 1977~78年の日本経済を特徴づけたのは円相場の急騰であった。国際収支の大幅黒字で円高が進み、1978年10月には1ドル175円59銭と新高値を記録。それでも国際収支の不均衡は解消されることなく、むしろ黒字は拡大された。1978年の国際収支は、206億ドルと史上空前の黒字を計上した。日本製品は、それほどまでに国際競争力をつけていた。

 石油危機以降、企業は積極的に省エネルギー投資を行い、生産設備にME技術を活用するなど、徹底した合理化、省力化で競争力を飛躍的に向上させていたのである。円高は内外に大きな波紋をもたらした。先進諸国の日本に対する批判が、高まり、日本製品に対する輸入規制が、行われる一方、農産物などについて日本市場の開放を迫られるなど、国際的な圧力を受けることになる。

 さらに円レートの高騰は、国内輸出業者の経営悪化を招き、日本経済の先行きに暗い影を落とした。1978年の実質成長率は、5.5%、高度成長時代にくらべれば、景気の回復感に乏しかったが、企業収益は大幅に回復している。上半期は前年比27.5%、下半期は9.3%と増益がつづき、公共投資の伸長、堅調な消費動向に支えられて経済全体が着実な回復ぶりを示した。

 日本経済にとって1970年代は高度成長から安定成長へと軟着陸する大きな転換期であった。国内経済が投資主導型から消費主導型に移行したのも、この頃からである。1970年代に突入する姿勢としては、全く新しい分野の開拓を強く打ち出し、日本全体の経済成長をはるかに上回るような生産及び売上の向上を図らねばならないと述べた。もはや現状の延長では企業としての成長はのぞめないという認識に立った。

 事業の多角化の方向は、高級、または、大量に消費されるものの製造販売を行なう。それと同時に余暇を楽しむレジャー産業等、第3次産業への変革に取り組むことであった。オイルショックの影響が業績のうえに現れてくるのは、1974年からであった。日本経済は、1980年代まで、戦後復興から高度経済成長と遂げた。その後、安定成長を通じて、経済規模を拡大させていったが、それは同時に国民の生活水準を向上させるものであった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み