第18談 『さあ土曜日だ』

文字数 4,392文字

つづいて、『さあ土曜日だ』にいきたいと思います。
※ネタバレ注意※
【あらすじ】

一人称の語り手チャズは、不法侵入および強盗の罪で第三郡刑務所に送られる。

第三郡刑務所では先進的な教育システムを取り入れており、GED(高校卒業程度認定資格)を取得できたり、コンピュータや自動車整備などの専門技術を学ぶことができた。


チャズは、ミセス・ベヴィンズが教える文章クラスに申し込む。

文章クラスには、麻薬の密売人であるCDがいた。

かつて、チャズが初めて入った刑務所で18歳のCDと出会い、本を通じて友人となった。

二人は刑務所内の図書館で『罪と罰』や『異邦人』を借りて読み、その後、別の刑務所で再会した時も互いに新しい作家を教え合った。


そして現在、32歳のチャズと22歳になったCDが文章クラスで再会する。

ミセス・ベヴィンズは生徒たちに「理想の部屋について」とか「痛みについて」などの課題を与える。

生徒たちは書いた作品を互いに読んで聞かせ、ボールドウィンの『ソニーのブルース』やチェーホフの『ねむい』を交代で朗読した。


ミセス・ベヴィンズは、CDの作品に「魂の気高さ」を見出し、奨学金をもらって大学進学することをすすめる。

文章クラスで文集を作ることになり、生徒たちはチャンドラーの創作ノートから文集のタイトルを選ぶ。

CDは『さあ土曜日だ』を選んだが、話し合いでタイトルは『猫の目を通して』に決まる。


最後の授業が近くなり、ミセス・ベヴィンズは「死体は直接出さずに、最後に死体が出てくる話」という課題を出す。

その課題に対して、CDは愛する弟チンクのことを書いた。

今回、CDが刑務所に入る直前、弟チンクがギャングに射殺されていた。


最後の授業の二日後にCDが出所すると決まる。


文集が刷り上がり、最後の授業の日に生徒たちに配られ、パーティーが開かれた。

生徒たちは完成した文集を手にとって喜び、互いに拍手を送り合い、自分の作品を何度も読み返した。

CDだけが最後の授業にもパーティーにも出席せず、文集を受け取らなかった。

ミセス・ベヴィンズはCDが収容されている房まで文集を届けるが、部屋は荒れており、CDは引きこもって返事もしなかった。


出所したらCDは必ず弟の復讐に行くのだ、と生徒たちは全員知っていたが、ミセス・ベヴィンズには黙っていた。

そして出所したその日、CDはギャングに殺されたのだった。【完】

ひとつひとつの会話が心に刺さりました。

語り手の「おれ」とCDが、言葉を通して分かり合うところが良いですね!

作中の読書会は、私たちのこの読書会と重なるものがあると思ったわ。

CDを「読書に目覚めさせたのはおれ」だと、語り手チャズは言っています。(278頁)

群刑務所内で二人が初めて出会ったのは、CDが18歳になったばかりの時です。

18歳!!

クイーンの歌『ボヘミアン・ラプソディー』にある「ママ―、ぼく人を殺しちゃった」の歌詞と重なるような世界観だわ。

作中のベヴィンズ先生と同じく、自分も刑務所とは縁がある。

かつては一週間に一度、少年院で音楽の指導をしていたんだ。

だから、作者が収容者たちをどんな目で見るかで、自分の体験を思い出すものがあったな。

ベヴィンズ先生は生徒たちを見下すこともなく、対等な人間として接していると思う。

反抗する生徒に「あたしはあんたの内面なんか屁とも思っちゃいない」と言って突き放す。(284頁)

ベヴィンズ先生の真っ直ぐさが生徒に伝わるのでしょうね。

ストーリーがとても上手いです。

この作品集全体の中で一番の出来だと思います。

作家は社会を俯瞰して見ていますね。

この作品集全体の中で、特に良いと思いました!

私も本作が一番面白いと思いました。

ベヴィンズ先生がとても素敵!

「教師と生徒が信頼しあえるようにしたい」

「犠牲者なんて大嫌い」という先生の台詞がいいですね。(284頁)

ベヴィンズ先生が生徒たちから人気があるのはわかるわ。 

印象に残った先生の台詞は「犯罪者の頭と詩人の頭は紙一重」のところよ。(286頁)

「犯罪者と詩人は紙一重」とは、その通りだと思ったな。 
芸術家は世間とのズレがあるから、アートができるわけです。

犯罪者は社会からズレている人々と言えますね。

そういうアウトローが作品を作ると、芸術になるのかなと思いました。

読んでいて、刑務所内で文章教室がある意味を考えました。

作文ではなく、創作することの意味は何なのでしょうか?

刑務所内で文章を書く授業があるとは驚きでした。

ちょっとイメージしづらかったです。

アメリカの刑事制度は進歩的ということなんでしょうかね……

作中で朗読していた『ソニーのブルース』は、刑務所内で文章教室がある理由を作者なりに説明したものだと思います。

『ソニーのブルース』


ジェームズ・ボールドウィンが1957年に書いた短編小説。

1950年代のハーレムに住む黒人の教師が語り手となり、弟ソニーの麻薬中毒、逮捕、社会復帰に対する回想が語られている。

兄である語り手が出征し不在中、ソニーはピアノに熱中して不登校になり、学校を中退してしまった。

兄の復員後、兄弟の仲はぎくしゃくし、学校を中退したソニーは軍隊に入るも、ヘロイン使用で逮捕されてしまう。


その後、語り手の娘が病気で亡くなったことをきっかけに、弟との和解を決意し、彼の行方を探す。

ソニーはグリニッジ・ヴィレッジのジャズクラブでピアニストになっていた。

語り手はソニーの演奏を聴きに行き、弟が自分の苦しみを価値あるものに変えることができたのは音楽を通してだったのだ、と最終的に理解する。

『ソニーのブルース』では、苦しみを価値あるものに変えるものが音楽です。

それを本作で当てはめると、苦しみを価値あるものに変えるものが執筆なのだと思います。

創作することによって、自分の感情を昇華できるということですね。 
作中に登場するたくさんの文学作品や作家の名前が、ストーリーに深みを与えていると思います。


「幸せを冷凍保存する」(286頁)というシェイクスピアの詩は何か、気になりますね。

「この話を読めば、いつでもCDは幸せな時間を呼び戻せる」(286頁)という台詞から、シェイクスピアのソネット43番「目を閉じている時こそ君の姿が一番よく見える」を思い浮かべました。
いや、これは物語の最初の方にウィリーがふざけて暗唱していたソネット18番「汝を夏のひと日にたとえんか」(281頁)ではないでしょうか?

ここに早くも伏線があったと思います。

ソネット18番は、君の美しさは詩の中で永遠に生き続けるという詩で、「幸せを冷凍保存する」という内容とはちょっと違うような気がしますけど……

作中でチェーホフの『ねむい』も朗読されています。

ベヴィンズ先生が「死体を出さないで、読者に死体が出ることをわからせる話」という課題を与えますが、作者は『ねむい』からこの着想を得たのではないかと思います。
この文章教室で出された「最後の課題」が、物語のラストにつながっていますね。

ラストが上手いですね。

「今回も失敗だ」(296頁)という最後の文は、これが語り手チャズが書いた物語であると読者に示すとともに、彼が創作を続けていて、これからも書きつづけるであろうことを示唆しています。
終わり方が衝撃的でした……
CDが殺されるラストに持っていくための伏線が四つ配置されています。

伏線1 「CDの弟チンクがギャングに殺されている事実」を語り手が読者に明かす

伏線2 文章教室の「死体を直接出さずに、死体が出ることを読者に分からせる話を書く」という課題

伏線3 課題に対してCDは弟が殺された日のことを書く

伏線4 出所間近のCDが最後の授業を欠席し、完成した文集も受け取らず、CDの房が荒れている

このように、いくつかの伏線が衝撃のラストへと集約されています。

小説としてとても上手いですね。

この作品の真の主人公はCDだと思うな。

他の作品は作者の分身のような人物が語り手となっているが、この物語はチャズが語り手だ。

CDを描くためには、ベヴィンズ先生ではなく、チャズに語らせる必要があったんだろう。 

チャズ視点なので、作者の実体験に基づいた物語と言うよりは、創作性が強いと思いました。 
チャズ視点なのは「ベヴィンズ先生」を書くためだと思います。

作者は客観的に文章教室を書きたかったのでしょう。

先生視点だったら、単なる自慢、自己欺瞞になってしまいます。

作中に「土曜日」は出てこないのに、なぜタイトルが「さあ、土曜日だ」なのでしょうか?
あれ!? 「土曜日」って出てこなかったですか?
文章教室の日が毎週土曜日なのだと思っていました。
わたしもそう思って読んでいました。
CDが「チャンドラーの創作ノート」のリストから「さあ、土曜日だ」を選んだ理由があると思うわ。
チャンドラーの「さあ土曜日だ」は、本作とどう関連するのでしょうか?

ストーリーが知りたいですね。

チャンドラーはタイトルを決めただけで、本文は書いていません。(291頁)

たくさんのアマチュア作家が「チャンドラーの創作ノート」からインスピレーションを受けて、物語を書いているそうです。

創作ノート全体は『レイモンド・チャンドラー読本』(早川書房)に掲載されています。

CDの出所日が土曜日なんじゃないか。

土曜日になったら、やることが決まっている。

弟を殺したギャングにCDが復讐しに行くということだと思う。

つまり、CDが殺されたのが土曜日ということでしょうか。 

本来は楽しいはずの「土曜日」に、殺しの計画をするという悲しさがあって、そのコントラストがいいわね。 

読み終わって涙が出ました。

「魂の気高さ」のところが良いですね。(291頁)

「でもCDはずば抜けて才能がある。そうでしょ、先生?」

「よしてくれよ」CDが言った。

ベヴィンズ先生は笑った。「オーケイ、白状する。教師をやってる人間なら、誰でも経験あることだと思う。ただ頭がいいとか才能だけじゃない。魂の気高さなのよ。それがある人は、やると心に決めたことはきっと見事にやってみせる」

おれたちはしんとなった。みんな先生の言うことに賛成だったと思う。だがおれたちは先生が気の毒だった。みんなCDが何をやると心に決めているか、何をやる気でいるかを知っていたから。

(「さあ土曜日だ」291頁)

「魂の気高さ」のところに自分も線を引いていました。

この小説は良かったですね。 

収容者たちが「魂の気高さ」を持っていたから、ベヴィンズ先生と彼らの交流が成り立つのです。

それが作家が書きたかったことだと思います。

CDが別の人生を選ぶことはできなかったのでしょうか……

生きるという結末にはできなかったのか、と残念に思いました。

つづく
引用:ルシア・ベルリン『掃除婦のための手引書 ルシア・ベルリン作品集』(岸本佐知子訳、講談社文庫)より
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登場人物紹介

枳(からたち)さん


読書クラブの取りまとめ役。

今読んでいる本は、ギュンター・グラスの『ブリキの太鼓』。

弓絃葉(ゆづるは)ちゃん


好きな本は『カラマーゾフの兄弟』、『やし酒飲み』、『密林の語り部』。

真弓(まゆみ)さん


韓国ドラマファン。

樒(しきみ)先生


昨年は9カ月間、大江健三郎の著作に熱中していた。

堅香子(かたかご)さん


『アンナ・カレーニナ』が好き。

栂(つが) くん


好きな作家は安部公房。『砂の女』と『壁』がおすすめ。

梧桐(あをぎり)さん

榊(さかき) さん


アジアンドキュメンタリーズのサブスク会員で、アジア各国の番組を見るのが好き。

山菅(やますげ) さん


BS12の東映任侠映画「日本侠客伝」シリーズを見るのが、毎週水曜日の楽しみ。

檜(ひのき) さん


好きな本は『カラマーゾフの兄弟』、三兄弟のなかではアリョーシャが推し。

桃(もも) さん


大谷翔平選手が好き。

山吹(やまぶき) さん

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