第3談 若者たちの未来を信じて
文字数 2,913文字
なぜって、母がくり返し話してくれたから……叫び声が海に漂っていたとき、自分も叫びたかったのに、それができなかったから……真実はほんの三言で足りるから……このごろ、やっと……(ギュンター・グラス『蟹の横歩き』9頁)
「真実はほんの三言で足りる」(9 頁)の「三言」は、何が入るのかな?
トゥラが本当に伝えたかった「真実」は、「女、子供が死んだ。その叫び声が今も忘れられない」ということだと思います。
母はそれを見たし、目をそらさなければ誰にも見えた。まだ生きている者もいて、ボートに上げてくれと叫んでいた。あるいは弱々しい声で懇願している。すでに絶命した者たちは、まるで眠っているようだった。母は話していたが、とりわけ子供たちが悲惨だった。「頭から海に落ちた。それがまちがいさ。大きな救命具が足にからまって……」
のちに工作隊の集まりとか、おりおりのベッド友達から、若い身空で、どうして白髪になったのか問われると、母はすぐさま答えたそうだ。
「子供たちが足だけ出して、ズラリと浮いているのを見たときさ……」(155頁-156頁)
そのユースホステル《クルト・ビュルガー》の奥まったところに、母は茎の長いバラの花束を捧げたのだ。かつて殉教者グストロフの記念碑があったあたり、暗くなってのち、夜の十時十八分のことだという。母はあとになって、女友達のイェニーと私に、こんなこまかい数字まであげて夜の行動を説明した。一人きりで、冬期はひとけのないユースホステルの奥に赴き、懐中電灯で場所を探した。探しあぐね、それからやっと、暗い空と霧雨のなかで、ここぞと思うところに行き着いた。「だけど、グストロフのために花をもってきたのじゃない。あれは大勢のナチの一人だった。ズドンとやられた。そうじゃない、船と、冷たい海に呑みこまれた子供たちのためさ。きっかり夜の十時十八分に、白いバラの花束を置いてきた。四十五年たっても、やはり泣いてしまった……」(103頁-104頁)
トゥラは「女、子供が死んだ」という「真実」を誰かに書いてほしくて話したけれど、息子パウルにも孫コニーにも「真実」は伝わってないのです。
本当に「三言」で言うなら、「船が沈没した、ソ連によって」というシンプルな言葉になると思います。
起こった事実だけを言えば、「ユダヤ人がドイツ人を殺した。殺されたドイツ人の名にちなむ船がソ連によって沈没させられた」ということよね。
少年院の場面で、コニーがせっかく作ったグストロフ号の模型を自分で壊したのはなぜだと思う?
コンラートは立ち上がり、三つの赤いマークのついたモデル・シップをテーブル中央の針金の台座から持ち上げ、船体を足場の前に置いた。左舷が傾いて上になりかけた。そして急ぐでも怒ってでもなく、むしろ思慮深げに、自分の苦心作を拳で叩きはじめた。 手が痛かったにちがいない。四度、五度と叩くうちに手が切れて血が出た。煙突、救命ボート、二本マストが壊れた。さらに叩きつづけた。船の胴体がゆがみだしたとき、両手で持ち上げ、左右に振り、目の高さに上げ、油びきの床板に落下させた。その上から足で踏み砕いた。最終的に模型のうちで残ったのは、舷側のボート上げ下ろし用支柱からとび出した救命ボートだけだった。
「父さん、満足した?」(238頁)
コニーが「自分は思想転向しました」と大人たちにアピールしているのではないかしら。
コニーがこの短期間で思想を変えたとは思えません。偽装アピールだと思います。
父親にわざと壊しているところを見せるのは、間接的な父親への復讐だと思うよ。
グストロフ号さえなければこんな人生じゃなかったとね。
グストロフ号が壊され、救助ボートだけが残されるのは、実際の沈没事件をなぞらえているのだと思います。
コニーが殺人者にならないためには何が必要だったのか?
父親パウルは、息子に対して「君を誇りに思う」などと、最後まで空虚な言葉を言っていて、息子が人を殺したという罪に向き合ってないと思うわ。
コニー自身が法廷で言ったように、息子にとって「父はいない」(214頁)のです。
パウルは、もっと息子が犯した殺人に対して、怒ったり、動機を聞くなりすべきですが、それすら言い合えない親子関係だったということですね。
コニーが殺人者にならないためには何が必要だったのかな?
パウルとガビーが離婚しなければ。やはり家庭環境かと思います。
コニーにとっては祖母トゥラが「父」の役割を果たしていて、祖母の影響が大きいです。
父親パウルがグストロフ号事件から目を背けて、息子と向き合わなかったから、「わが息子が樽を開けてしまった」(232 頁)と言えますね。
パウルは「辛うじて水面に顔を出て」いたのが、息子が樽を開けたので、水に沈んでしまったわけですね。
右にも左にも出すぎない。とんがらない。流れとともに泳ぎ、身をまかせ、辛うじて水面に顔を出している。それもこれも、わが誕生の事情と関係していたかもしれない。何だって、それで説明がつく。 だが、つづいてわが息子が樽を開けてしまった。本来びっくり仰天するようなことではなかったのだ。いずれ、こうなるしかなかった。(232頁)
作者は、「思想」や「政治イデオロギー」の形成と継承をどのように考えていると思いますか?
コニーは自分が確固たる「思想」を持っていると思いこんでいますが、それは大人たちから見ると「狂信」や「妄想」にすぎないものです。
トゥラも、「私」ことパウルも、どちらも作者の投影です。
「私」と同じく、トゥラも確固たる思想を持っていません。
「大きな物語」が説得力を失った現代では、思想やイデオロギーは全て妄想にすぎないとさえ言えます。
「終わらない」という結末は、ナチス・ファシズムが現代でも台頭していることを予期したものかもしれませんね。
グストロフ号は沈んだが、ナチスは沈まない、という恐ろしい未来。
ネットのせいでコニーはユダヤ人を憎むようになり、殺人を犯しました。
作者はコニーのような若者たちの未来を不安に思っているのではないでしょうか?
ひとつの物事に凝り固まった人間は薄気味悪い、という不安があるのでは……
「コニーの中の善を信じます」と言う、コニーのガールフレンドであるロジーの台詞が、作者自身の言葉だと思いました。
ロジーが面会を終えた直後だった。彼女の目は、もはや腫れぼったくない。いつもは垂らしている髪を編んでいた。以前は何だって受け入れる感じだったが、それが引きしまっている。落ち着きなく、いつもどこやらさわっていた手が、いまは拳になってテーブルにのっていた。そして、はっきりとした口調で言った。「父としてあなたがどうなさろうと、それはあなたのこと。わたしのことなら、いつもコニーのなかの善を信じています。願っていることが来ると思うわ。彼は強い。とても強い。あの人を固く信じているのは、わたしだけじゃない――思想だけじゃない」(236頁)
引用:ギュンター・グラス『蟹の横歩き―ヴィルヘルム・グストロフ号事件』(池内紀訳、集英社)より
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