二節 私の痛み 三

文字数 7,132文字

 約四十分前
 大部屋の和室を貴方位は一人でずっと落ち着きなく往復している。結界の崩壊が始まってからずっとだ。偶に庭にある枯山水を見ては逃げようかなと思っていた。
 やはり相手はどう考えても大雷に追加で施された封印術を知っている。肉体を現世に置き大雷の力を下津国に置き力を分断させているとばれておる。境界線が限りなく近づいている今、確実に下津国と現世の間が一部だけ繋がっている。今の状態では些細なきっかけだけで私が施したその力を分断させる術式が壊れてしまう。もっとも、力の大部分を封印している術式はあの恐ろしい女を殺さねば解除できないが。故に大雷が解放されることは確かに痛手だがもう一回捕まえるのは一回目より苦労がないはずじゃ。
「あれ、わし、逃げても良くね」
「今、お逃げになられたら貴方位様は生きている間の自由が確実になくなりますよ」
縁側に背広を着たショートヘアー女性が立っている。彼とは対照的にかなり落ちつている。良く通る品のある声の中に少しの圧がある。それが彼女の平常だ。
「だってわしが捕まると覚醒するんじゃぞ」
彼は立ち止まり両脇を締めて首を振りながら言った。
「貴方位様が掴まらなくても大雷本人が封印地から引き離されれば覚醒します。あときもいです」
「え。今なん–––––––––––––––」
「きもいです。その体勢と口調が。あ、あと祓除師に指示は出しておきました」
「––––––––––––––––はい、その、ね。うん、ありがとう」
彼は首と肩をガックリ下げて哀愁が漂う気迫のない返事をする。
「今後の作戦展開について参りました」
貴方位は腕を組み枯山水を見る。白い石の上に描かれた流線が川や渓流の流れなどを感じさせてくれるらしいが彼は全く感じられない。毎日見れば感じるだろうと思っていたが無理だった。
 それに維持費がかかるやら手入れも大変だし––––––––––
彼女は軽く握った手で唇を隠し軽い咳払いをする。
「僭越ながら貴方位様のご意見を伺いたく存じあげます」
「あ、そうね。–––––––––そうだね。–––––––––––––––––––––––そうだねーー」貴方位は彼女の顔をチラチラ見ながら同じ言葉を繰り返す。彼女はそれをずっと真顔で見つめる。貴方位は何回見ても変わらない彼女の顔に徐々に恐怖を覚えてくる。「えっとそうだねー。うん。うん。あのそのー。因みに香凜さんはどう思う」
「お言葉ですが––––––」
彼女が語気を強くして言うと
「葉山さんはどう思いますか」
と慌てて訂正した。彼女は露骨に少しだけ睨みすぐにポーカーフェイスに戻る。
「現状、私たちの状況は芳しくありません。物の怪を退ける結界と境界線を確定させる結界が半壊されました。両者が壊れたことにより物の怪が街に入り込み街を荒らしています。本来なら祓除師が早急に対処すれば終わる話ですが下津国と現世の境界線が近づいたことにより物の怪が強くなり一体あたりに割く人員が増えています。唯一の救いはどちらの結界も完全に壊れるには貴方位様の力の供給がとまった時のみになります。言い換えれば貴方位様が存命な限りこれ以上不利な状況になり難いと言うことです。ここからは私の考察が入りますがよろしいでしょうか」貴方位が頷くと香凜は瞳を閉じ会釈した。「今のところ一般人の被害は出ていません。祓除師の支部が中心に襲われています。街に向かう物の怪もいますが一般住民の避難場所に着かないように祓除師が戦線を止めています。これらのことから私は相手がやろうとしていることは祓除師を振り回すのみで一般人を襲うことを重点に置かれてないと判別します。もし、一般住民を襲うつもりなら物の怪の配置をもっとばらけさせて散発的に襲うと思います。それにわざわざ敵がいる祓除師の施設を狙う理由もありません」
「となればか––––––。」
貴方位が深いため息を出す。
「はい」
「だが、わしたちがそこらの物の怪に人員を割かなければ相手は作戦を変更し本当に住人を襲う可能性がある。それを加味した上での封印を解くための防衛戦をしかなければならない」
「おそらくバルドさんと朔が考察した通りと仮定してよろしいかと。私たちも同様に考えていたために相手は私たちが示した嘘の場所を含め大まかな封印場所しかわかっていません。ですので、封印地を守るための配置をすれば確実に場所が掴まれるため街を優先にした展開にする案を具申します」
「だが、相手もそうでるとわかっているはずじゃ。しかし、後手に回ってしまった以上堅実な手で状況を繋がねばならないことも確かか。攻勢にでる手段は––––––」
「バルドさんと」彼女は片手を肘に添える。「––––––––––朔に自由に動くように指示させましょう。人数を割かずに相手に致命的な一撃を与えるほどの動きができるかもしれません」
「不服かね」
「仕事に私情は持ち込みません」
「ふむ–––––––––––––そうかね」
視界がほのかに暗くなる。貴方位は目を細め和室から縁側に歩いていく。
「靴を取りに行きます」
「よろしくの」
彼女が貴方位に背を向け歩き始める。彼は枯山水を見つめる。今度は池にすべきだろうか。苔にすべきだろうか。
 何なら雅と思うかのう。
和室の屋根が抜け落ち貴方位の後ろから塵や木片を撒き散らす強風が起こる。枯山水には木片や瓦などが無造作に転がる。
「お前が貴方位か」
「話せる物の怪とは久々だの」
空から落ちた巨体は屋根より高く分厚い体躯を持っている。後ろに振り向きそれを見た貴方位は
 あ、これもたないわ
とすぐに悟った。








 けたたましいサイレンが街中に響いている。それはビルが密集した地域なら何度も反響し背の低い建物が集まる地域ならどこまでも遠くに広がっていく。
 –––––––––––大型地震が予想されます。すぐに避難地に避難してください。繰り返します。大型––––––––––––––––––––。
サイレンが鳴り響く。不穏な言葉の羅列が沈んでいく太陽の下でひたすらに人々の耳にこびりつく。

 公園にいる六足歩の物の怪を祓いにきた祓除師たちがそれに飛ばされ幹に頭部を撃ちつける。意識が判然としない中で彼女は仲間が頭から捕食されている姿を見ている。蝋燭が溶けて根元に滴るように溶かされて捕食されている人間の頭部から流れる大量の血は物の怪の体を伝い地面に落ちていく。その物の怪の足元の内側に文字が刻まれた円が出てくると炎が燃えあがった。物の怪は焼け爛れ悶えながら顔がなくなった死体を印を結んでいる祓除師たちに投げる。彼らはすぐに印を解きご遺体を避ける。
 公園の近くにあるオフィス街では空を飛ぶ物の怪たちと二足歩行の物の怪たちが祓除師と争っている。ここにいる物の怪たちは人を殺すだけで捕食は行わないため祓除師の遺体と物の怪たちの遺体が混在している。人と物の怪の陣営には等しく指示を出すものがいる。同じように作戦を展開させ思考し戦っている。理性を持つもの同士の戦いだ。
「お前たち人間が森を壊したせいで俺たちの居場所がなくなったんだ」
「そんなの知るかよ」
混戦の中で交わる声は怒号のみだ。彼らは互いに被害者だと思っている。だから両者を非難できる。血を出させその血がまた誰かの血と重なる。ずっと人は人同士ですらそうしている。誰も加害者である自覚がない。故に正義が生まれる。

電波塔
 「–––––どうした」
ビルが煙を吹き上げるとそれは轟音とともに地表に落ちていった。民家が集まるところでは一部が炎に飲み込まれている。
「ワクイ。お前は本当にいかれたのか。またこんなことを繰り返すなんて」
煙が立つ赤い街をバルドは見下ろしている。
「燃えた火は灰になるまで燃えるしかない。俺たちはあの時のまま燃え続けているだけに過ぎない」
「––––––––––」バルドの眉間を中心にして顔の皺がよる。拳には力が入り手首にすら力が入り内側に曲がる。「そこまでして大雷の封印を解く意味はなんだ」
彼らがいる電波塔には常に風が吹いている。衣服を奪う勢いの攻撃的な風だ。だが、互いに出す声は大きくない。しかしながら彼らは互いの声がはっきりと聞こえている。彼らの声は風では飛ばせないほどに重い。
「無力だな。––––––––バルド。それがどれほどの屈辱か今のお前にならわかるはずだ。私を殺したいか。仲間を助けに行きたいか」ワクイは細い鉄の上に立ち上がるとバルドに体を向けた。「敗北を知れ。そして知れ、あの戦いは終わってないと」突然、各地域のビルが爆発する。破砕した一部のセメントが地表にぶつかりうねりをあげるような重苦しい厚い音が聞こえる。黒煙が赤い空に上がっていく。陽光が彼を油の質感がある生々しい赤に変える。
「目的を明かそう。お前たちは負けるのだからな」










 朔たちは激戦が起こったであろう地域の中を走っている。割れたコンクリートから壊れた水道管の水が漏れている。瓦礫の下には人や物の怪が挟まり血だまりができている。彼らはマンションや一軒家など密集している地帯を通り抜けている。建物に塵がかぶりその上に血が塗られている。どこも人の気配はなく夕日に当たるそれらの影が一帯を覆いつくしているせいでさながら荒廃した廃墟街の雰囲気が漂っている。
「血の臭いが濃いな」
白輝がぼやく。壊れたものが当然のように道を阻むここでは彼女の顔はずっと上げられたままだ。
 ––––指定した爆破されたビルの内部をよく調べてください。敵がいた場合は即刻その場から引き離してください。
香凜と電話をしながら朔は走っている。瓦礫を上り降りた先にある血溜まりを踏んでしまう。だが、気にかける暇はない。先ほどから目に入る双方の無惨なご遺体を見ながらも無視しなければならない。もうここに倫理は存在しない。
 ––––了解。それ以外に指示は。
 ––––その後はこちらから現状の情報を全て送ります。それから導き出される相手側の企図を予見し先手を打ってください。
 ––––無茶な。
 ––––その人間の容量を超えた指示は致しません。
電話越しから大きな物体が地面に落ちた音が聞こえた。住宅地を抜けると開けた道路に出た。この道路は戦いが起こった形跡がなく道が綺麗に残っている。見晴らしがいいのでここからなら黒煙が漂うビルが見える。ビルは爆破音の割には外観にあまり被害がない。
 –––見えました。調査に向かいます。
どこからかまた爆発音が聞こえる。また違うところからは鋼がぶつかり合う音が遠鳴りしている。殺伐とした肌にひりつく空気が街には満ちている。
 –––ご無事であることを願います。
ビルの入り口についた二人は立ち止まる。何かに気づいた白輝の視線が足元に下がる。
 –––ありがとうございます。
 –––はい。
通話を切った朔は携帯を見つめる。
「おい、早く中に入るぞ」
「–––––––––あぁ、そうだな」
彼は携帯を優しく覆いポケットに入れる。白輝がひび割れたガラスの扉を蹴り破る。
 四階の駐車場についた彼らは周辺を見渡す。全ての階層の見回りが終えここが最後の階になる。物の怪はおらず不審人物もいない。肩透かしをくらった朔は爆発した意図を考えながらも現状の手がかりはないため予定通り次の行動に出ることにした。朔は携帯を取り出し寄せられた情報の統合を始める。
「お前はこの世界を憎いと思ったことがないか」
「––––––どうした急に」携帯をいじりながら空返事をする。白輝はその背中を見ると携帯に電流を流しショートさせた。「こんなときに限って故障かよ」
「答えろ。本当はお前も憎いはずだ」
白輝の声が静かに響く。朔が体を向けて見たその瞳はいつになく冴えており鬼気迫るものがある。朔は初めに会った時の圧を思い出し体が反射し構える。
「話が見えないが」
「お前は雷神の一柱の封印に大きく貢献しさらに––––––––雷神側に与した人柱–––––お前の友人を殺し英雄になった。この世界はそれに見合う価値があったか」
「––––––––––––」
「人はいつまでも同じ理由で争う火種をつくり他を蹂躙している。だからお前たちが世界を守ったとしても人が人の手によりいつか世界を壊す。時代が進み変わったことは技術の発展で争いの形はさらに凄惨になり多くの人間が簡単に死ぬようになるばかりか自然の法則性を狂わせる核の一撃を持つようになった。全ての生き物の命がお前たちの理屈では等しいものになっていない。お前たち同族の中ですら生命の格付けがされている。朔…………。お前が守った世界とはなんだ。お前が守った人間とはなんだ。お前は本当に–––––––––この世界を愛せるのか」
朔は視線を手に落とす。斜陽が彼らの空間に明瞭に区切られていない赤と影を混在させる。彼の柄は手と同じくらいに赤い。そして鞘は暗闇に隠されている。空に昇る街の煙が彼らの間で上がっている。視線を上げて見た白輝の瞳は前髪とともに鋭く光る赤い眼光を放っている。斜陽は特に彼女の手首と足首を過剰に赤くする。まるで肌がなくなり肉が露わになったようだ。
「俺は──まだ憎いというには早すぎるような気がする」
「どうしてだ。お前の友を犠牲にして成り立つ世界だぞ」
朔の瞳が赤いつつじの瞳を見る。同じ赤をうつしながら彼の瞳には淡黄色が息づき曙光が僅かに登った空の色に近い。朔の構えていた体が自然体に変わる。
「多分、白輝と同じだと思う」
「同じだと–––––––––」
白輝の唇が微細に震える。そして躍動する熱い息を口から静かに出した。
「ここを出るぞ。調べたいことがある」
朔は形を変えていく街並みを見る。
「貴様だけいけ」
「離れたら白輝の穢れを中和できなくなるだろ」
「二度は言わせるな」
困惑した朔は顔を白輝に向ける。
「さっきからどうしてそんなに殺気立って」
「いいから失せろ」
白輝の尖った低い声が響く。
「最初に約束しただろ。この街にいる時は常に一緒だと」
白輝の手に電流がはしる。電流に触れる金髪の毛先が浮遊するように揺れている。
「お前にわかるはずなどない」ひりついた空気が朔の肌に浅い切り傷を受けたと錯覚させる。電流が走るたびに空気は乾燥し肌に刃を突き立てるような痛みを顕現させていく。「友を殺し英雄になった貴様と友を失い何も無くなった私が同じだと」
雷がつつじの全身に駆け巡り攻撃的な青い光が空間を支配する。朔は鞘と刀を結んでいる白い帯を鍔に絡ませ決して抜けないように固くとめる。
「やめろ。何の冗談だ」
「私はこの世界が憎い」慟哭の雷鳴が黒雷とともに広がる。雷が地を引き裂き床に穴を開けていく。建物が瓦解していく中でさらに彼女の悲痛が強くなる。「お前には到底わからない」
雷撃が朔の足元をかすめ周囲の床をただの瓦礫に変える。朔は落ちていく床を足場にしてかろうじて残っている足場に移動する。
「白輝──。そうなのか」
構えた朔は手を柄に当てる。
「私にはもう何もない」







 巨大な黒雷がビルの全ての階層の壁を壊し街中を一瞬だけ漆黒の光一色にさせる。瞬く間に雷鳴が響めき全ての戦場に静観を与える。
「あの雷、白輝だ」
音の方角には一際目立つ黒煙を上げるビルがあった。走っている小戸海が指差す。ひのかもその方角を見る。
「わかりました。早くいきましょう。嫌な予感がします」
「はい」
二人は血煙が舞う戦場を初めて目にしている。風が吹くたびに泥が肌につくような執拗な気持ち悪さがありさらにむせかえるほどの濃い鉄の臭いが押し寄せる。瓦礫が雑草のようにどこにでも転がり虫の死骸のように人と物の怪の片腕のみや足のみのご遺体が当然のようにそこらじゅうにある。争いの意味を知りながらもそれの本来の意味を知らなかったと二人は痛感する。二人はこれらの景色について一切の言葉を交わしてない。言葉にするのには足らなくその光景を口に出すことすらしたくないからだ。捕食されることもなくただ死体がそこに残るのだ。生命がむかえる数ある最期の中で最も異常な死に方だと言っても過言ではないだろう。




電波塔
 黒雷がバルドの瞳にうつる。
「一体どうなっている。黒雷は封印されたはずだ」
ワクイは鉄骨が剥き出しになった焦げたビルを見る。
「–––––––––––人員が割けない中で重要拠点を守らなければいけない状況下に追い込まれたお前たちにできる行動は限られる。街を放棄して封印場所の位置がバレるのを加味した上で封印場所の警護を固めるか、あえて封印場所に人員を割かずに街を守りその場所の所在を掴みにくくするかだ。お前たちは当然後者を選ばざるをえなくなる。それを選んだ時点でお前達の敗北が決まった。最後の一手は複数のビルの爆発だ。爆破された複数のビルは私が封印地と予想した場所だ。それを見たお前達は大まかな所在地をやはり私が知っていたと思う。故にバレてる可能性がある以上お前たちは調査に行かざるをおえない。では誰に行かせるかだ。一人である程度の処理ができる祓除師を行かせるしか選択肢は無い。さらに信頼に足る人物は特に重要な場所に行かされる」ワクイはバルドを見る。「一人は貴方位の護衛につきさらにもう一人はここにいる。残るはただ一人だ」
「やっぱりあの嬢ちゃんは……………。」
「境界線が曖昧であるこの地域に大雷を封じたのは大雷の穢れを下津国に送り肉体を現世にとどめて居場所をわかり難くするためだ。だが、境界線を安定化させる結界が半壊した以上、同じ性質を持つ者同士であれば近づけば所在がわかる」
「あの嬢ちゃんが疑われないと確信しているとしか思えない作戦の組み方だな」
「復帰後の一年間のあいつの行動を耳にしときには観察した。あいつは甘くなった。戦うことの非情さを忘れている」
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