第二節 六道輪廻 

文字数 6,636文字

 寂光する雪の大地に勿忘草が咲きほこる花園がある。そこで朔とダイライは邂逅する。勿忘草はかつてここで行われた戦いの時よりも繁殖し周囲の木々を覆うほどに繁茂している。雪原を砕き木々に絡みつくそれらは見た目の華やかさに反して執拗に残り続ける醜悪さすら感じる。黒雲の薄い層から太陽が僅かばかり漏れ光の一切を漏らさない黒雲の塊がより暗くなり迫るように立体的に浮き出る。灰雪はいつしか小米雪に変わりいずれ霏霏として降ることを予期させる。対峙する二人は互いに腰の刀に触れる素振りを見せないが互いの間合いにも近づかない。
「朔、君はどうしてずっとそっち側にいるの」
ダイライの凪いだ声が冷ややかな冬の空気を伝う。朔は口を少し開け白い息をわずかに漏らす。
「……………この世界を美しいと信じた友たちを俺は信じている」
「だけどこの世界は僕たちから全てを奪った。彼らが美しいと言ってもその事実は何も変わらない」
ダイライを映す朔の目が歪む。朔が見てきた世界が朔の瞼を閉じさせる。
「わかっている。だが––––––––––––––––」
「俺が潜伏していた場所は争いがない場所なのに当然のように人が路上で死んでいた。街ですれ違う人は生きることに疲れた兵士のような瞳をしていた。罪のない子供たちはいつも搾取されることを恐れ生きていた。かつての戦いが人間の歴史の中で普通であるように俺がいた場所もまた人間の歴史の中では普通だ。この世界はもうとっくの昔に破綻している。だから、一度全てを壊す必要がある」
「…………今の世界に生きている多くのものたちが死ぬかもしれないのにか」
ダイライは唇を噛む。利き手には一瞬だけ血管が浮き上がる。
「もう、全てのことが繰り返されないためにはそうするしかない」
朔は思わず顔を上げ自身を穿つ強い瞳を見る。揺るぎない信念の瞳に朔の心は打ちひしがれる。
「–––––––––––––。」
 まただ。またそうなるのか。俺はまた–––––––––––––。
「今度はこの世界を壊すために戦う」
「この世界には可能性がある。だから–––––––」
「それは朔の言葉なの。今の朔が本当にそう思っているの」
甲高い鉄の音が響く。閃光を放つ殺気の線に合わせ鞘ごと刀を抜く。直後にダイライの刀身が鞘に深く入る。朔の頬から一滴の汗が流れるが体内では寒慄が這うように血が上がりはじめる。
 見えなかった。神の力は使えないはずだ。なのにどうして
「朔はまた流されてこの世界を守るか」
ダイライの気迫を感じさせる物静かな白い吐息が鋭利な刃先に映る。光を屈服させる暗き眼光が朔のぬるい眼光を喰らうように牙を立てている。朔は徐々に押し負け上体が後ろにそれていく。さらにダイライが力を入れると同時に朔は刀の正面からずれる。そして自身の刀を斜めにしてダイライの刀の刃先を滑り鍔の縁に刀を強く当てる。朔の力とダイライの力が加わった刀は軌道修正できずに勢いよく雪原に落ち青い花弁と雪を舞い上げる。視界が悪い中で朔はすぐにダイライがいる場所に一歩近づく。突如右側の青い花弁から乾燥した弾ける音が聞こえる。直後にその花弁は蝶の羽が焼け落ちるように燃える。すぐに刀を右側に引き寄せ立てる。雷光の瞬間の光が瞳に映ると同時に朔は一瞬にして吹き飛ばされる。雪の白い煙から弾き飛ばされた朔は雪原の上を二回飛び跳ねてからようやく自分が吹き飛ばされたことに気づく。朔は刀を雪原に刺し宙を舞う足を無理矢理に雪原の中に埋め込んだ。それでも勢いは止まらず勿忘草にがんじがらめになった木にぶつかりようやく止まった。顔を上げると歩いて近づくダイライの姿がある。朔の息はもう上がっているが彼はまだまだ余力があるように見える。
 どうしてだ。どうして以前よりもはるかに強い。
暗雲に覆われた地上は灰が混じる光にみにくく照らされる。ダイライの瞳が刀を抜かない愚かな男の瞳を映す。
「あの瞳はまやかしだった」
希望のないこの世界で彼は呟いた。














 直日の頭は動転していたが全ての動きがとてもゆっくり見えている。風に揺らされる袈裟の音や僅かな揺れや男が円卓の上に落ちていき足をつける動きまでも全てが止まったかのように映っている。
「離れろ‼︎」
バルドの怒声じみた叫びが袈裟を着た男の後ろから聞こえた。何を言ったかは理解できなかったが力強い声に直日の意識は引き戻される。直日が即座に立ち上がると男の手が彼女の首を引き寄せるように掴んだ。
「ぐっ––––––––––––––」
直日の口から嗚咽が漏れ唾が飛ぶ。
「命は取りません。ただ数日眠っていただきます」
バルドが手先を動かすと同時に直日の首がさらに強く締まり男の手が直日の首の皮の中に沈む。
 クソ野郎が。
「やっていることが矛盾しているぜ。坊さんよ」
「判断をするのはあなたです。バルドさん」
バルドは舌打ちをする。
「あ………な………」
口に溜まった涎が開いた喉の中に入り込みむせる。口から涎が飛び男の額にそれがつく。直日は両手を動かし男の腕を掴み爪を立てる。爪は皮を裂きさらに肉の表層を裂き血を出させるが男は微動しない。男の顔は無情だ。瞳に殺意はない。むしろそれどころか、鬱屈としたやりきれなさがある。
 まさか彼が襲撃者になるなんて。
直日は男の経歴を知っている。代々家に伝わるその男は弘法太子十大弟子とされている。男の生い立ちの真偽は置いて男の存在は数百年以上前から記述されていた。男がなぜそこまで長く生きているか。男の目的は何なのかはわからない。唯一、確かなことはその男がどのような戦いにおいても不干渉であったことだ。しかし、此度の戦いには男が干渉してきた。考えられる理由は明白だ。直日はそれを男の顔つきなどを見て深く納得していた。
「–––––––––。」男は意識が断続し始めた直日の瞳を気鬱な目で見ている。「私もまた彼らと同じように順流しています。ですが、この世界に希望を与えることができるのは彼女だけなのです」
「なんだ。お前さんもこの世界はって言ってんのか」
バルドは直日の首を絞めている手を一瞬だけ見遣る。そしてすぐに男の姿態を凝視する。今までにない異質な感覚が男にはある。人のようだが神聖な霊力が感じられる。聖気を操る神や物の怪ほどの清さはないが生身の人間が扱うには本来それは精神に毒すぎる。
 加護があるのか。
「その彼女にこの世界の住人と天秤にかけるほどの価値があるとは思えんがな」
「………………………。」
返事はない。だが、僅かに意識がこっちに向いたのは感じた。バルドは苦笑を浮かべる。浮かべるしかない。ただの少しの怒りで肌にある毛がハリネズミのように尖り立っている。事態は深刻だ。計画の裏をどこまでかかれたのかわからない。加えて、男だけが瞬きほどの時間で長距離を移動できるとは限らない。神が神出鬼没で檍原の土地を闊歩できるとしたらもう樹海を越えて平原や封印の祠についている可能性がある。
 彼女を狙ったのは神の鎖の効力が本当に神の力を強く抑制するからだろう。だから彼女を襲いに来たこいつはおそらく神ではない。しかし、単身で乗り込むだけでの自負がある。
「お前さんほどのやつがどうして今まで戦ってなかった。どうして今になってこんなことをしている。世界に絶望しているなら雷神軍で戦えばよかっただろう」
 朔とひのかちゃんたちの状況も気になる。最悪、ひのかちゃんたちは戦闘を開始している恐れがある。それも無傷の神と戦闘慣れしていない彼女たちがぶつかっている。
「–––––––––––––––。」
「本当は世界なんてどうでもよくてその女のことが大好きなんじゃないのか」
一触即発な空気の中でバルドはぎこちない嘲笑を浮かべる。直日の手がだらりと下がる。男はゆっくりバルドに振り向いていく。
「………………………………。」
直後に鉄の塊が男の肉体にめり込むように横から強打する。人の骨と鉄が直接ぶつかりあう強打音が響く中、飛ばされた男は庭園の壁をぶち抜き樹海の中にはいった。
「よくやってくれた。本当に優秀な機械なんだな」
「え?バルドさんは信じていなかったの」
無邪気な機体は半壊した円卓の上に直日を仰向けに置く。
「朔とひのかちゃんから連絡は来たか」
バルドは直日の頭に近づきながら胸元からリボルバーを取り出す。そして元々装填したあった弾を全て落とす。
「朔君からはダイライと遭遇したって信号が一度だけ届いたよ。だけど彼のGPSにエラーが起きているせいか場所の特定ができないんだ。ひのかちゃんは異常もなく平原を歩いているらしいよ」
バルドは新しい弾を装填し直しシリンダーをフレームにはめ込む。
 朔は樹海にいたはずだ。両者とも俺の索敵網に引っ掛からなかったとなると抜け道が存在するのか。となると朔の勘は正しかったのか。
「–––––––––––ど……………」直日の口が動き絞り出すような枯れた声が聞こえた。「し……ます」
「おそらく相手は奇襲を仕掛けるために数を相当絞っている。こちらの準備が整われてない状態で格上の相手に人海戦術を敷いたら被害だけが膨らみ打開に繋がることはないだろう。よって俺たちにできる行動はおおよそに分けて二つある」直日が咳き込む。彼女は咳き込みながら上体を苦しそうに上げていく。「……一つ目は実力がある奴が戦う。その場合、神は時間を浪費させるだけでいいがあの男は確実に戦闘不能にさせなければいけない。理由は–––––––」
「彼が他のものを瞬間移動させる可能性はないわ」
直日は手形がついた自身の首を撫でながら言った。
「それは僥倖だがどのみちそんな能力を持っている奴を動ける状態でほっとくことはできない」
「当然だわ。それで次は外部からの援軍でも呼ぶかしら」
「そうだ。この世界を壊されるかどうかの状況で世界を守った後の話なんてものは意味がない」
「イカロスさん」
直日は無邪気な機体に顔を向ける。
「はい!」
「祓除師は非戦闘員の避難を終わらせてから禁足地から離れた場所に行き私に巫力を送るように指示を出してください」
「了解しました!」
前足の片方を上げ無邪気な機体が意気揚々と返事をする。
「勝算はあるのか」
「どのみちもう封印の祠には間に合いません。それに朔様に関しては元より一人で戦わせるつもりでした。彼は誰かが近くにいる方が気が散っていけませんから」
「…………若雷とおたくの神が俺たちと会うことを祈りましょうか」バルドは銃を胸元に入れる。「まぁ、あいつらとの戦いはいつもこうでしたからどうにかなるでしょう」
バルドは微笑んだ。全ての盤面が崩れた緊急事態の中でそんな顔をする彼に直日は驚き、またつられて微笑んだ。
「それはいいことを聞きましたわ」直日は立ち上がる。足を床につけ進む先は戦場だ。死を想起する体は指先や足先まで固くし先に進む意志に強く忠告する。今まで感じたことのない吐き気をもよおす虚脱感に直日は生と死を身近に感じる。「そういえば、どうして私の依頼を受けましたか。戦場でのこの死の空気を知っていながら依頼を受けるなんて考えられません」
「………………自分でもよくは」
彼は眉を平行にさせ自分に呆れながら言った。
「意外に適当なのね」
「まぁ、そのくらいの方が楽ですから」
「………そう」直日はそう言った彼の瞳にため息をつく。そして壊された壁から見える鬱蒼とした樹海を見る。「行きましょう」
「了解」
「了解‼︎」







禁足地 平原
 ひのかと小戸海が平原を歩いて三時間が経過していた。樹海を出てからずっと見えていた丘のような小高い大地はもう大きく見えるようになった。ひのかは手を後ろに回しリュックの側面にあるポケットに入れた水筒を手に取る。先頭を歩く小戸海の足取りを見る。さらに耳を澄まして小戸海の息遣いを確認する。旅慣れているだけあってこの三日間で疲弊を思わせるものは感じない。水筒の蓋を開け立ち止まる。口をつけ顔を上げて水を飲む。灰雪が積もる白い平原はとても寒いが重い荷物を背負いずっと歩いている彼女たちにとってはやや暑い。上げた視線の先にある小高い丘も雪に覆われている。もうすぐ長い道のりが終わる。丘を登り峰を越えるとカルデア湖が見える。その中央には封印の祠が祀られている。水筒が空になりひのかは飲むをやめる。水筒を閉めリュックのサイドポケットに入れる。そして小さく飛び跳ねながら背中の中央からずれているリュックを元の位置に戻していく。
 どんな場所なんだろ。ここの平原から生き物が全くいないから何だか変な感じがする。それに神様が封印されてるって想像できない。あぁー、嫌な予感しかしないよ。
ひのかは何気なく後ろに振り向く。
「ひと?」
ひのかの目に男が映る。困惑するひのかの足元に青白い光の線が現れる。

 地面が裂ける音が聞こえた小戸海はすぐに振り返る。直後に小戸海はひのかに投げ飛ばされる。小戸海の立っていた場所から無数の木の枝のようなものが大地を割り空に伸びていく。雪原の中に落ちた小戸海はすぐに立ち上がる。そして、横にいるひのかに顔を向ける。
「何が起きていますか」
ひのかは急いでリュックを下ろしている。
「わからないです。とりあえず、リュックを捨てて先に祠に向かってください」
「葛木さんを置いてですか」
「右側を見てください」ひのかは奥にいる男に最大限の注意を払いながら小戸海と話す。小戸海の視線の先には素早く動く人らしきものがある。「おそらく白輝さんです。私たちの足止めのために目の前の彼はいると考えられます」
「ですが–––––––––」
「どれだけ時間が稼げるかわかりません。早く行って早く帰ってきてください。小戸海さんが白輝さんと話し合うことでしかここを打開する道はありません」
男の足元から雪原を滑るように稲光がひのかたちに近づいていく。稲光が過ぎた直後の雪原から急激に成長した木々が雪原から飛び出す。木々は重なりやがて一体となり先を鋭くさせひのかたちに襲いかかる。小戸海はすぐに足を動かして逃げようとするがひのかは全く動じていない。小戸海は慌ててすぐに声を出す。
「逃げてください。早く‼︎」
ひのかの腕が動く。それはまるで音を出さずに水面に足を踏み入れたかのように静かな波紋を広げていく。木々が地面を裂く騒音が薄まっていく。ひのかはまるで神楽を舞うように腕や足や腰を魅せるように美しく動かす。ひのかの両足が縦に綺麗に並ぶ。そして地面から力を受け取ったかのように彼女の腰に力が入り胸が力強く張られる。左手を前にして両拳を頭の高さまで上げる。彼女は迫り来る木々を鷹の目のように狙い見る。両拳が同じ高さのまま前後に離れ始める。途端に鞘から出た直後の刀の鋭利な輝きのように紅炎が出現した。ポニーテールに結ばれた髪は猛る紅炎に呼応するように激しく揺れる。曇天に蓋をされた地上でその炎は地上を焼き尽くすと思わせるほどに過激に輝く。後ろに引いた右手から前にある左手にかけて糸を伝うように炎の線が現れ盛んに燃える。そしてすぐに炎は圧縮されるようにおとなしくなり矢となる。同時に輪郭がおぼつかない炎の弓が出現する。すぐに弓は炎の弦を張ると形を固定化させ血の色の弓となる。ひのかはすぐに炎の矢を放つ。矢は勢いよく燃えながら延焼する火の如く風すらも取り込み木々の塊に速く向かっていく。矢は木々の塊を裂き内側に入り込む。すると木々の塊は内側から延焼していき炎に呑み込まれるように燃えていく。勢いが衰えない矢は木々の塊を抜け男の足元の地面に刺さる。
「小戸海さん、早く」
勇ましいひのかの顔つきを前に小戸海は強く頷く。小戸海はカルデラ湖に向けて走り出す。
「女、わざと外したな」
男は軽蔑と憎悪を含んだ殺意しかない眼光を向ける。
 大地に雷を這わせて植物を操る能力。話に聞いてた通りなら若雷になる。この時期での襲撃はイレギュラーだけど予定通り彼と戦うのは私だ。
「どうして世界を壊したいんですか」
「お前には関係ない」
若雷の周囲に電流が現れそれらは稲光となり四方の地面に広がっていく。

 各地での戦いが始まる。直日とバルドが画策した骨組みとなる作戦は悉く潰され残されたのは個人の能力に任せた戦いのみになった。しかしそれは襲撃を気づかせないために少数で攻めてきた雷神側にも同じことが言える。勝敗を分かつのは抜きん出た個の力を持つ雷神側にあるのか、勝ち目の薄い戦いと知りながら戦う彼らにあるのか。未来のことは神でも知ることができない。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み