二節 私の痛み 四

文字数 6,498文字

 全ての階層が抜け落ち朔は瓦礫と一緒に落下している。頭上に断続する黒い雷光がはしり雷鳴が哭く。朔が動き出そうとした同時に強烈な落雷がくる。ただ光に反応し咄嗟に心部の上に刀を掲げると音もなく黒雷を纏う拳が重なる。神速の拳の力に叩き落とされる。後に空を裂く雷鳴が轟き朔は一階を突き抜けさらに地下一階も抜ける。青い水のなかに沈み血が水面に上がっていく。落下の勢いが消失すると朔はすぐに上がり陸を探す。あたりはとても暗く何も見えない。
 ここに大雷がいるのか。
水に浸されてない大理石の廊下に上がる。突然灯りがつく。一眼では数え切れないほどの柱廊が大理石の廊下の周囲に等間隔で水の上に建っている。その柱は穹窿形の天井を支えている。水に浸っている壁の部分は煉瓦だがそれより上は木材になっている。水の中には魚や植物などが一切いない。波の揺らぎすらない仄暗い地下は妙な圧迫感がある。何もいないとわかる異常が厳かな雰囲気を造っているのかもしれない。朔が開けた天井の穴から瓦礫が雪崩こみ青い水に落ちていき最後に大きな瓦礫が落ち水飛沫が上がる。
「邪魔をするなら殺す」
上がった水飛沫が小雨のように水に落ちている。金髪を濡らした白輝が瓦礫の上に立っている。
「これが本当に果たすべきお前の責務なのか」
黒雷が白輝の体を瞬時に駆け巡り瞬きする間もなく距離を詰めた。右手の初撃を刀で受け止めるが頭部に雷撃を纏う左手の拳が撃たれる。朔は鞘尻に添えていた左手を真下に移動させ手根で鞘尻を素早く上げる。朔の頭部を殴るために大きく開いた脇下に鞘尻が当たる。白輝の体重が前に入り込むと同時に鞘尻を大きくあげ柄を下げる。すると白輝の左腕の下に朔の体が入り拳は鞘の上を滑り朔の頭部の上を過ぎる。白輝の左足が廊下から離れている間に背中をとった朔が刀を横に振り胴部に一撃を入れる。が白輝は残った右足に黒雷をはしらせ朔の足元に雷撃を喰らわそうとする。直前で朔は後方に大きく跳び白輝はその片足で前方に跳んだ。
 一方通行の道で距離を取られるのはまずい
先に足を地に着けた朔が背中を向けている白輝に距離を詰めに走り始める。白輝は手を柱にかけて体を反転させて朔と向かい合い地に足をつける。すると先ほど触れた柱から黒雷が発生し天井に上がっていき隈なく広がる。天井の大理石が割れる騒音に重なり実態があるかのような分厚い雷鳴が水面を揺さぶる。朔は落ちる天井を一瞥し白輝に視線を戻す。しかし大理石の廊下に落ちた巨大な破片がすぐに彼女を隠す。大きな塊や破片や塵などが落ち無作為な波が至るところでできてはその水面に新たな瓦礫が落ちまた波が生まれる。朔の周囲が黒くなる。朔は刀を差して石の欠片が無数に落ちている廊下をさらに強く踏み込み走る速度を上げる。途端に白輝を隠した巨大な瓦礫が雷に砕かれ朔に飛んでくる。走ることで乱れていた息を深い一呼吸で正常に近づけさせる。足の速度をさらに上げて朔は目を見開き体の五感で必要な視覚と聴覚だけを残しそれら以外を全て削ぎ落とす。朔は瞳だけ動かし左右を一瞬だけ見る。小さく数も少ないが瓦礫が積み上がり水の中に陸ができている。朔は周囲の物体にそぐわない速さで手を柄に近づける。
 選択肢はない。

 白輝は先に続く唯一の入り口の前に立ち朔がいる大理石の廊下の一本道に体を向けている。自身が壊した天井から落ちる瓦礫のせいで朔の姿は見えない。大きな水飛沫が右側の水から上がる。そして間が経たない内に廊下に大きな瓦礫が落ち廊下を砕きこの階層の中央を覆うほどの水飛沫が発生する。水を帯びた突風が黄金の髪を揺らす。水飛沫がなくなりかける間際に鞘の末端部分だけが見えた。そしてそれはすぐに右側の柱の中に消えた。
 終わりだ
白輝の手に黒雷が蠢く。右側にある半壊した柱と水面から僅かに出ている瓦礫の山を見る。
 柱の裏に隠れるなら柱ごと砕き焼き殺せばいい。
全ての瓦礫が落ちきり波音が残響する。天井の中央からは視界を明瞭にさせない塵が舞い、斜陽が沈みきった空からはただの闇が音もなく地下におちている。雷光が夜を裂く。途端に木が雷に喰われるような重低音と高音が交錯する苛烈な衝撃音が地下を越え空にまで上る。漆黒の瞳は黄金の瞳に呑まれ白輝の体からは黒雷が天動している。黒雷の熱で蒸発しながら水は天地がひっくり返ったかのように激しく動いている。一個体が持つにはあまりにも分不相応な力の塊。一人の人間を殺すには大仰すぎる攻撃だ。それは白輝が実力者と認めた上での行為なのか。それとも感情が先立ち理性に欠けた判断なのか。判別することはできない。ただ言えることはその黒雷が過ぎた後は何も残らなくなることだけだ。彼女が最早待つ必要はない。彼女の腕が動く。そして、掌を柱に重ねる。指が動いていく。黒雷が放たれる。神の無慈悲な一撃が全てを無くす。瞬間に中央の塵の煙の中から血を滴らせる朔が突如現れた。
 廊下を隠していた中央の塵の煙の中から傷だらけになった朔が現れ柱に手を向ける白輝の眼前に迫る。白輝の脳は目の前に朔がいる事実をすぐに理解できなかった。頭部から滴る血にずっと浸されていた朔の汚れた赤い眼球が白輝の右腕を見る。遅れて白輝が腕を前に構え始める。地上から放たれた黒雷は天に駆け上がり力を爆散させる。天が響き地が共鳴する。紛うことなき神の一撃が戦局に与える影響は大きい。それは彼らの話ではない。ビルの上で放った最初の一度目の黒雷の一撃は地上を闇の光一色に染めた。そして今放たれた二度目の一撃は空を支配し人間たちがいる地上を畏怖させた。戦局が有利であったはずの人の陣営に大きな乱れが生じる中で対照的に物の怪の群は檄を飛ばされたかのように沸き立つ。潮目が変わり終わりかけていた争いがまた燃え上がる。物の怪の軍勢は人の軍勢より凄まじい。腕がもがれようが足が飛ぼうが生命の核になる部分が傷つこうが止まらない。この戦いに勝てばかつての居場所が取り返せる。しかし、この争いに負ければ彼らの居場所を取り返す機会はおとずれない。居場所を奪われた恨みだけではない。生きるための戦いでもある。その想いを知らない人間は彼らを死を知らない化け物だと錯覚する。だが、忘れてはならない。物の怪たちも人間達にも等しく守るものがあるが故に戦っていると。
 朔の左手は白輝の右手首を下から持ち空に上げていた。体勢が崩れている白輝に朔は攻撃をしかける。足を力強く踏み入れる。朔の瞳が白輝を見る。世界を救ってしまった者は世界を心の底から愛おしく思えていない。だが世界を憎む者は世界の美しさを知っている。彼らは共通したものに動かされている。それは呪いになってしまった想いだ。
「お前の責務は本当にこれなのか」振り下ろした朔の拳が白輝の頬を昂る怒りとともに思いっきり殴る。「答えろ。お前が誰かから受け取った想いは世界を壊すことを許すのか」
白輝が奥の部屋に飛ばされる。その部屋には柱がなくただ一面に青い水が浅く張られている。天井にはステンドグラスが一面に貼られている。そのステンドグラスには大きな術式が描かれており天井から降り注がれる月光がそれを鮮やかに水面にうつしている。白輝は立ち上がり水が張られた床に足をつける。赤くなった頬を軽く撫で切れた口内から出た血を吐き出す。唯一の入り口から朔が足を踏み入れる水の音が聞こえる。鞘に収まった刀を片手に持っている、
「曖昧なことをやるだけの貴様にことを糺される由縁はない」
「一緒だろ。あんたは世界を愛しながら世界を壊そうとしている。それに踏ん切りがつけられずにいる」
「鞘を抜かずに私に相対すお前が何を語る!」
黒雷が発生する。しかし水面に触れたそれらは次第に勢いをなくし亡霊のように消えていく。
 なんだ。この空間は––––––––––
朔の拳が腹部に向けてはしる。白輝は腹部にあたる寸前で左手でそれを掴み防ぐ。だが朔の足は止まらずに距離を詰めにくる。直線的な動きしかしない朔の頭部に拳を入れるが朔も白輝のその拳を受け止める。朔の頭部が勢いをつけると同時に白輝も頭部を引き前方に勢いをつけて押し出す。互いの額がぶつかり黄金の瞳と月光を僅かに反射させる瞳が至近距離で睨み合う。
「あんな瞳で夜空を見るくせにお前は何をしたいんだ」
「お前こそあんな瞳をするくせにどうしてそちら側にいる」
互いの拳が互いの手を振り解きありったけの力で頬に拳をめり込ませる。頭部が激しく揺さぶられ意識が断続する。互いに瞳が朦朧とする。水に満たされた床を踏む足に力が入りにくくなり震えている。だが、彼らは唇を深く噛み血を垂らし無理矢理意識を判然とさせる。彼女らは互いに理解できない。朔が頭部に拳を伸ばす。それは白輝の頬を掠め外れると白輝はすかさず右手の手根を朔の心部に穿つ。衝撃で前のめりになった朔の体勢に白輝の蹴りが腹部にめり込み細胞を激震させる。水に打ちつけながら朔は球のように転がっていく。受け身を取れずに地面に伏した朔と白輝の間には水面に淡く溶けていく血が点在している。白輝は鼻から吐き捨てる息を出すと地下部屋のさらに奥に行くために歩き始める。
「待て」
肩から息を吸いバランスを崩しながら朔が頭を上げて立ち上がる。世界を愛しながら世界を壊す選択をする者を朔は決して赦さない。
「まだ意識があるのか」
「–––––––」息を吸う度に体が肺の動きに引っ張られ揺れる。「お前は何が目的だ」
「何も分からず戦う貴様が他人の何を知れる」
「世界を愛するものが世界を壊す姿をもう見たくないだけだ」鼻から息を吸い背筋を張る。そして彼は拳を構える。「今はそれだけだしかない」
「不快だ」白輝の黄金の瞳が過激な憤怒に満ちた光を放つ。「世界をとり友を見捨てたお前が私を知ろうとしていることがこの上なく不快だ」
白輝の素早い足取りに水が弾かれる。朔は唇を窄め息を深く吸う。白輝の動作を観察しながら全身の力を抜いている。体の限界を知っているが故に活動する時間を一秒でも減らす。あの時と同じだ。水の音が聞こえる。世界か一人かまた選択を迫られている。そして彼はあの頃よりほんの少し進んだだけで未だにこの世界とどう向き合うべきか彷徨っている。白輝が水に濡れた重そうな金髪を靡かせ近づく。朔は唇を閉じ鼻から息を出し意識で強引に崩れそうな体を戦闘体勢に切り替えさせる。
 俺はまた信念を持たずに戦っている。
白輝の拳が頭部を狙いにいく。朔がそれを避けすぐに掴もうとしたがすぐに拳が戻される。続けてまた右手の拳が連撃を打ちにくる。一発一発がすぐに戻されるため浅い一撃であるが今の朔の体では一発ですら致命傷になりかねない。朔はずっと構えられたままの左手を警戒しつつ左腕や手を使い当たる寸前でどうにか弾いていく。反撃の機会をうかがいながらも白輝の追撃に空隙がないため防戦一方を強いられる。それでも朔はひたすらに瞳を動かし局面を変える瞬間を探る。膠着した現状が続けばやられるのは朔だ。自身の動きが徐々に鈍くなり攻撃の芯をずらして弾くことが困難になっている。白輝が左足を踏み込ませる。その強い足取りに水が彼らの頭上まで舞い上がる。長く続く現状に痺れを切らした白輝が動き出す。風を纏う剛速の拳が腹部を狙い深く鋭敏に放たれる。足を入れた寸暇のおかげで先を予見できたが急激に速度が上がった一撃に朔は覚悟を決めざるおえなくなる。腕で弾くことができない一撃は今の足取りを変えざるをえないからだ。朔は当たる寸前で体を縦にして避けるとすぐに踏み込まれた足の外側に右足置き動き始めていた白輝の左手が振り切る前に内側の手首を右手で掴み外側に捻る。そして白輝の左手を朔の左後ろに引き込み白輝の踏み込んだ足を左足にかける。白輝の体勢は瞬く間に崩れ体が朔の引き込んだ方向に逆らえず両足が地上から離れ仰向けになる。攻撃を防ぐことが不可能な劇的な瞬間が生まれる。朔は左手を引き拳をつくりあげる。かつての多くの戦いがなくては皮肉にも彼はここまで戦えなかった。それはただ勝つためだけに培った技術や痛みに少しだけ慣れているからではない。朔は戦いを白か黒に分断しただけの悲劇的な結末を知っている。それを否定する意思だけが彼をここまで駆り立てる。剛毅の拳が白輝の視界に入る。敗北を察するが彼女はそれでも足掻くように気迫に満ちた声を出す。彼女は数百年間も背負い続けた責務がある。それを成すためだけに方法を思案した。朔の一撃が彼女の腹部に深く深く入り込む。彼女の口から血が吐き出されると拳の勢いに落とされた体が地面に落ちる。水が飛び散り二人の全身が濡れる。全てをだしきった朔は棒立ちになり浅い息で必死に呼吸する。
「少し––––––––頭をひや–––セ」
「ふざけるな」彼女は血を吐き出す。重だるくなった瞼に逆らい何度も瞼を開けようとする。白輝のぼやけた瞳には月光の輝きを一身に受ける鮮やかなステンドグラスが見える。僅かに揺れる波が耳にぶつかる度に鼓膜に水面の音が直接響く。それは輝きに満ちた夜空を映す湖上を思い出させる。慣れ親しんだ日々ではなかった。自身の存在を知らずに時間が流れ続けた。外の景色が美しいと思いながらもそれに触れられない孤独が世界に仄かな憎悪を抱かせた。この世に神がいないと証明してしまってからはそんな感情はなくなり絶望だけになった。神にもなれず人にもなれず世界に住むことすら赦されない。なくてもあっても変わらない存在だった。死んでいた。私はかつて死んでいたんだ。だが–––––––––––––––あいつが川海が私を私にさせた。あいつとともに見る星はかつての情念を思い起こさせ知らないことを知る興奮を思い出せた。全てを諦めていた私に生きる希望を示してくれた。あいつといなければあの景色が郷愁に思えない。私は諦めるわけにいかない。この世界を壊してまでも私はやらなければいけない。
 白輝の脳裏に川海との日々が蘇る。
 –––––––––––––––––世界を証明する旅に出るの
ずっと思い出せなかった幸福が滂沱として流れ始める。胸底が咽び泣くようにしめつけられる。あいつは最初は気にしなくなかった身だしなみを気にするようになった。短かった髪は長くなり髪を結う度にいつも私に感想を言って欲しそうに見ていた。だが、表情がコロコロ変わるところは変わらなかった。瞳の輝きは成長しても変わりはしなかった。だが、時折見せる濡羽色の髪が光を反射させる大人びた表情はさいごまで好きにはなれなかった。
「ドウテンツツジ」彼女が私を見る。無邪気な瞳でとても楽しそうに。「満点星って書いてドウテンツツジって読むの。–––––––––––つつじの瞳に星のような満点の希望が宿るようにってつけたの」
そして、川海は微笑んだ。今にでも泣き崩れそうな悲壮に満ちた笑顔だった。だが、あいつは–––––––本当に笑っていた。
一縷の黒雷の閃光が体から発生する。彼女にはすべき責務がある。それはたった一人の人間を解放するための決意。世界と彼女では到底釣り合わない。誰かが生きる世界では納得できない。誰と世界と生きたいか。それが彼女が世界を壊す理由だ。
 あいつを助ける。この身が朽ちたとしも私は–––––––––私はあいつとでしか世界を生きられない。
「お前には到底測れない」
確固たる決意を宿す純然たる黄金の瞳が輝く。
「まだ動けるのか」
黒雷が放電されステンドグラスが粉々になり朔は容易く飛ばされた。白輝が腹部を抱えながら苦痛に顔を歪め立ち上がる。結んだ髪は解け黄金の髪は砕かれたガラスが星のように瞬く中で明けの明星のように一際輝く。気力なく飛ばされた朔も立ち上がる。
「これは誰でもない私の–––––––私だけの痛みだ」
黒雷の慟哭が遠吠えのように勇ましくも悲哀に響く。白輝は朔の選べなかった選択を選び朔は白輝が選べなかった選択を選んだ。二人の根底にある授けられた想いは「––––」になるはずだった。だが、この世界がそれらを狂わせた。
 二人は同じだ。想いに呪われている。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み