第一節 変わらぬ星 

文字数 5,345文字

翌日の朝
 全く眠れなかった。枯葉に穴を開けるほどの雨が五月蝿かったからでも空気が冬のように底冷えしていたからでもない。ただそこに座り何もせずに一夜を過ごした私を液晶画面の光が照らしている。何かをしようと思い座った訳ではなかった。眠れない理由を誤魔化すために座ったがそれがずっと思考を遮り私に自身の人生という糞にも劣るどうでもいいことを考えさせた。私は自分の人生をずっと自身で選んできた責任と自負がある。生まれのせいでそうなったと嘆いたことは一度もない。どんな風に生まれても生きるのは自分だと知っているからだ。だが、どうしても逃れられない運命があるとふとしたらとときどき思ってしまう。それが人を殺した故にか。生まれながらなのか。そんなくそ屈辱的なことを思う自分に腹立たしく思う。両手で机を叩き力のままに立ち上がる。車輪がついた椅子は勢いよく壁にぶつかり中身がない軽いアルミの音を鳴らす。後ろの壁の隅には小さい冷蔵庫がある。

 シュークリームが入った箱を片手に持ちあいつが眠る部屋を開ける。カーテンが朝日を遮る部屋は闇にも光にも似つかない蒙昧な鈍色に満たされている。その中で仰向けでベッドに横たわるあいつの瞼が動いた。
「起きてたのか」
朔の──こいつの顔を見て辛気臭く思うことはあっても後ろめたさを覚える日が来ようとは夢にも思わなかった。
「ついさっき起きた」
「……………………。」私はベッドの横にある棚の上にあるリモコンを取りカーテンを開ける。やりきれない明度は晴れていったが今度は明るすぎる朝日に不快な思いをする。私は椅子の足を蹴りベッドの横に椅子を動かした。「奇跡的に目立った外傷はない」
「わかった」椅子に座りあいつの顔を見ると瞳と合ってしまった。「ありがとう」
嫌な言葉だと心底思う。だから私は余計な話をこいつにしてしまう。
「例を言われる筋合いはない。私たちはお前たちの戦いを傍観していたんだからな」
「これはまた同じことを繰り返してしまった俺の過失だ。それに千雨さんの実力は普通じゃなかった。アノンが戦いに参加しなかったのは当然だ」
「初めから私がこうなることを知っていたとしてもか」
あいつは瞳を天井に向ける。床は陽光に当てられ明るいが天井は鬱蒼とした暗さがある。あいつの様子は変わらない。自責の念に満ちた目で自分を見ている。
「大きな力を手に入れるのは信念がなくてはできない。千雨さんをあそこまで追い込んだのは彼女の境遇によるものかもしれないがその大きな一因に俺が関わっている」朔は私に背を向け横になる。彼の背から伸びる濃い影は私の全身をゆうに呑み込んでいる。「昔、一人の友人を救うために世界を壊す選択をした友人がいた。あの時、俺は彼のその選択に見合う信念も答えもなく戦った」虚脱した姿態であいつは淡々と言う。「…………今もその答えがないのに俺は戦いに行こうとしている」
「………戦いから逃れられない理由でもあるのか」
「…初めて星を見た夜を思い出したんだ」
「は………なんだそれは」
「前に言っただろ。星が綺麗だったから戦ったかもしれないって」
私はあまりにも抽象的な答えに思わず鼻から息が漏れる。
「お前、あれ適当に言ったわけじゃなかったのか」
「うん」あいつは泣きつかれた子供のように釈然としない返事をした。「…………………アノンたちが言うことは正しかったかもしれない」
部屋の窓からは朝日が見える。
「……正しいとかつまんねぇ言葉使うな。一理あるって言え」
「……………………アノン、自分なりに生きるって苦しいのか」
「……………………………」私は瞳を落としてあいつの影に隠れる私の手を見る。あいつの鬱陶しい影と私の影がまるで同じ性質のように見える。「自分で歩いて確かめてみろ」
私は立ち上がりシュークリームの箱をクソタレった後頭部に投げ当てる。あいつはすぐに後頭部を前に倒して手を回した。
「なにを投げたんだ」
あいつの影から出た私の体は明るすぎる陽光に当たる。日頃から室内でしか生活しない私の柔肌にはそれは過激だ。改めて思うがこの世界は碌なものじゃない。
「この部屋から早く出るんだな。私はもう出るからな」
あいつは顔を私に向ける。相変わらず情けない顔だがまぁ、まだマシだ。
「また酒を一緒に呑めるか」
「–––––––––。」
あいつは体まで向け私の返答を待つ。あいつの顔を見ているとまるで私の未来を見ているような気にさせる。
「アノン……………。」
「呑めるに決まってんだろ。お前にイカロスを一機預ける。これでいいだろ」
「……………何かあったら連絡をくれ」
「お前みたいなガキができるようなこと私ができないわけねぇだろ」
「わかっている。だけど–––––––––––」
「あーーーはいはいはいはい」うるさいあいつの声を弾き落とすように手を振り扉に歩く。「戸締りはしっかりしとけよ」
「アノン–––––」
あいつは立ち上がるがすぐに痛みを覚えて足が崩れた。扉を開けた私は振りかえる。
「またな」
私は扉をすぐに閉めた。長い会話になるのはごめんだ。あいつと長く一緒にいるとどうも精神が弱るらしい。
「あら?ちゃんとお別れはすましたの」
二階に上がってきたルーツが言った。気持ち悪い微笑みだ。
「しばらくここを出るってあいつに言っただろ」
「私たちに会いに来るかもしれないでしょ」
「こねぇーよ」
「ふふふふふ。そうね」
「きめーーーーーーーーーー。」
今度会った時も立ち止まってたら後ろから蹴ってやろう。まぁ––––––––––––––
「あらあらいいことでもあったの。いい顔してるわよ」
「してねぇーよ!オカマ」
心配なさそうだけどな。







一週間後 詠垓家 不天領

 二千年ほどの古い歴史を持つ詠垓家はその歴史の中で広大な領地を保有するばかりか近代に至るまで拡大し続けていた。長い歴史の中で形成されていった詠垓家の建築物は当時の権威をよく表している。東大寺の門を想起させるような巨大な建造物や見上げなければ全貌が見えない楼閣などとにかく大きい建造物がちらほらとある。現在ではそのような規模の建造物を築いてはいないがその権威は衰えておらず財政界などと深い関わりがある。そんな栄えある詠垓家の歴史の中で影を落とす存在がいる。詠垓家はどのような権力者やまた集団や組織であっても一方的な有利な条件か平等な条件しか交渉を成立させることはない。ただ与えるだけの搾取されるだけの立場になることは詠垓家の名にかけてあってはならない。しかし、それを揺るがす例外が詠垓家の中から生まれてしまった。その男の性格が狡猾で交渉が上手いこともさることながら彼は最も原始的な方法で多くのものを従わせざるをえない状況にさせることができる。それは力だ。抽象的な何かの力ではなく単純な力である。男の力は斉天と呼ばれる神に匹敵する力を持つ物の怪や人間に与えられる称号を持っている。多くの祓除師はその存在を都市伝説のようなものとしか捉えてないが一部のものたちはそれが実在することを知っている。そしてその力を不天が有していることを幸か不幸なことにも詠垓家の上層部は知っている。それは世代が移り変わろうとも暗黙の了解としてずっと彼らが共有しているものだ。先代の残した過ちを学べない何人かの愚かな人間は悲惨な目にあったが概ね彼と彼らの関係は長らく悪くはない。その象徴と言えるのは詠垓家の領地の中に彼だけが保有する領地が長らく存在する。彼が許可をしたものだけがそこに入ることが許されている。今代の詠垓家の当主はそこに立ち入ることを許可されている。
「素晴らしい。私の予想を超える結果だ」
電子画面を見ている不天がうなった。彼がいる和室の大部屋には不天の執務机がある。執務机がある空間に接する敷居には襖がなく代わりに生地の薄い黒いカーテンが隣の部屋を隠している。カーテン越しに見えるその空間は奥行きがあり部屋の半分以上を占めている。その空間の中央には二台の長机がある。縁側に接する障子には外部からの光を閉ざすため背の高い棚が所狭しと並べられている。長机の上には何かを浸けた大きなホルマリンや仏像や西洋の悪魔をモチーフにしたような彫刻などがある。棚の中には木箱や鏡面を見せないように置かれた手鏡や呪符が貼られた竹筒などがある。これらは実験途中であったり収集したりしたものだ。執務机が置かれた和室の障子が自動で開きそれに面している縁側から陽光が入り室内を明るくさせる。男が見ていた薄くなっていく電子画面には曇天に座す千雨の姿が映っている。アノンとネキは目的がわからない黒いカーテンの部屋から視線を外し男の顔を見る。
「お前の思惑通りに動いた結果、彼女はそうなったのか」
椅子に座る男を見下すアノンの後ろの隅には詠垓家の当主が腕を組み立っている。その若い男は崖から落ち落下していく朔の姿を目を細め見ている。
「悟りとは往々にして絶望と幸福を知るものしか得られない境地です。そのどちらもこの世界にあると体感し理解しそれらが一つの事象や現象を通して収縮また拡大していることに気づくことです。端的に言えばどのような物事にも繋がる普遍の事柄をみいだすことです」
「答えになってないぞ。チンカス野郎」
男は感情を表面に出すアノンと静かなネキを交互に見る。態度は違うが二人のその瞳の本質は一緒だ。男は部屋の隅にいる若い男を見る。
「親睦を兼ねて少々、入り組んだ話をしたいと思います。どうして千雨さんがここまでの力を発揮できたかのについてです」
若い男が瞳を不天に合わせる。不天が二人の顔を見遣る。
「––––––––––––。」
「––––––––––––。」
「––––––––––ではさせていただきます。この方法は前提として天上の神、高天原、神話的に言わなければ上位階層と言えばいいのでしょうか。私たちが存在するこの世界を上から見る神と何らかのつながりがなくてはいけません。そしてかつ、真理に近づいたものしかその領域に達することはできません。千雨さんと神の繋がりは肉体になります。彼女の母方の方が神の血を持っている物の怪になります」
「それだとおじさんの説明がつきません。私たち詠垓家には神の血統を継ぐものは存在しないのにあなたはそこまでの力を有しています」
若い男が言った。
「………では他の主な二例についても言及いたします。一つ目は神の寵愛を受けたものとなります。ほとんどの神に当てはまることですが神は気に入ったものがいれば自身と同じ存在にして上位階層に連れていこうとします。聞き慣れた言葉で言えば神隠しがそれに当たります。一度、神と同じ世界に踏み入れてしまえば人間でなくなり人間としての思考をしていた自分は消えてしまいますので千雨さんのような人間の意識を持ったまま昇華することは不可能になります。また現世に留まる可能性もかなり低く見積もることになります。二つ目は神の眷属器を持つことです。これも同様に神から寵愛を受けることが前提になりますがその本人が真理に近づくのも前提になります。昇華の例がかなり少ないのでなった後の状況については差し控えさせていただきます」
「それであなたはどれに当てはまるの」
ネキが腕を組み言った。
「そのような力を持っていると噂がされているだけで実際はありませんよ」
男は微笑んだ。アノンは男のお得意なその笑顔に舌打ちする。
「帰る。お前と話すのは本当に時間の無駄だ。親睦を深めるつもりがあるならはぐらかすのをやめろ」
扉に近づいたアノンはドアノブに手をかけ鉄が軋むほどに力を入れ回す。そして突き飛ばすようにドアを開けた。ネキは何も言わず男に背を向けアノンと共に廊下に出ていった。
「–––––––––檍原の治める禁足地には行くなという話はどういうことですか」
「その話の途中でした」不天は錆びたラッチがうまく引っ込まず半端に閉まった扉を見ていたが視線を若い男に移す。「本格的な戦いが始まれば成果を得ることがおそらく困難を極めます。どのように使っても他の勢力に文句が言われない神に類するものは確かに魅力的ですが相手の若雷が持つ戦力を思えばリスクが高すぎると思いませんか」
「私に行って欲しくない理由があるんですね」
若い男は不天の前では無駄に表情を作らない。不天とはもう幼少期からの関わりになる。故に若い男はいまさらそんなことをする気になれない。
「そうとは言っていません」男はははっと微笑む。「しかし、もし行かないのなら君にとっても私にとってもよい提案ができます」
「どういった提案ですか」
「面倒な男がある拠点から抜ける日があります。その日の内にある研究内容を盗んでいただきたい」
若い男は何かを察する。すると手を顎に当て瞳を下げた。彼は利益とリスクを天秤にかけ熟慮し始める。
 十二月に世界の命運をかけた戦いが始まることはどの派閥の人間が知っていることだ。しかし、彼らにはそれはさして重要なことではない。彼らには彼らの思惑がある。彼らはずっと変わらない。どのような理想や望みを持っていようとも権力や武力は必要だ。不天はそれを理解している。もう長い間そうやってボードゲームを行なっている、不天にも望みがある。故に彼もまた自分を駒の一つとして思っていない。
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