籠の鳥

文字数 989文字

 近頃の義興は、竹沢屋敷に訪れることに関して以前のような抵抗がない。
 表向きは江戸からの便りを待つと云う名目ではあったが、その様なもの自分の屋敷で待っていても大きな差など無い。結局のところ、義興は少将局に逢って話がしたかっただけなのだ。それと同時に、彼の竹沢に対する不信感も大分払拭されており、これについても少将局は充分に役目を果たしていたと言っていい。
 今夜も義興は竹沢屋敷を訪れ、少将局の酌で酒を飲んでいる。
 右京亮も心得たもので、以前のような宴ではなく酒と少々の肴を侍女に用意させ、二人きりの部屋で食事をさせていた。
 彼女は上古の話やら、中国の古典や詩歌、四季折々の草花とそれに想いを描けた人々の話などを彼に聞かせた。戦さに明け暮れた武家の義興には、そのような平和で情感のある時代は、夢の中の世界にしか思えない。
「さて、少将殿は身分高き家柄の生まれと聞くが、なぜこのように辺鄙な東国に?」
「公家と云えば聞こえ良うございますが、所詮は籠の鳥。いかに美しき声で鳴こうとも、籠から出て自由に飛ぶなど叶う訳もありません。例え籠から外に逃げたとしても、鷲や鷹の餌食となるのは必定にございます」
「確かに世間は猛禽やら、豺狼が横行しておるからな」
「そのような事を申している訳ではありません。私は公家と云うものが浅ましゅう思っているのです。公家は品だ種姓などと云うてばかり。それでいて何も出来ぬくせに他人の悪口。公家にはそのような賎しき血が流れておるのでございます。私は公家に生まれたこと、幼き頃より口惜しく思うておりました」
「公家はお嫌いか?」
「大嫌いです」
「これは困ったな……」
「義興様は、帝の流れを汲む源氏の棟梁の御家柄、決して斜めの公家に引けをとるようなことなどありません。その上、戦さにおいては御父上をも凌ぐ無類の強さとのお噂。やはり血は争えぬというもの。私は義興様のようになりとうございます」
 少将局は酒のせいか、幼き頃からの想いをつい義興にぶつけてしまい。少し恥ずかしく思って頬を赤らめた。
 それは今、目の前にいる武家の棟梁である凛々しい新田の御曹司への恋心であったのだろう。だが、それは彼女には偽りの恋愛遊戯に過ぎないものであった。
 彼女が心の底から愛するのは、あの日からずっと心に描き、理想化されている身分の低いあの若者以外にはあり得ない。
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