心清き者

文字数 875文字

「済まぬな。昔語りなどして……、どうも飲み過ぎてしもうたようだ」
「いえ別に……」
「そう云えば、あの娘の名、何と言うたかのう? かた……、確か、花の名だった思うたが。何と言うたかのう?」
「それは、もしかすると、堅香子(かたかご)では?」
「おお! それだ! それ! 堅香子(かたかご)だ」
 義興は嬉しそうにその名を繰り返した。
「少将殿、よく考えてみれば、堅香子(かたかご)も其方と同じ位の年頃の娘、少将殿はその様な娘のこと、聞き覚えはないか?」
「さ、さぁ。公家の娘と云っても、数少なくはありませんので……」
「そうか、それは残念!」
「……」
「されど、心清き娘故、幸せに暮らしておるに違いない」
「え?」
「そうあって欲しいものよのう」
「……」
 少将局は下を向いた。別にそうする心算はなかったのだが、視線が自然に下に行ってしまう。自分は義興の望むように、心清きものなのか?
 少将局は自分の心に問いている。しかし、その答えは問う前から分かっていた。
 彼女は今、ずっと心に思い描いていた人の傍らにいたのだ。その人は、今でも彼女の思い描いていた通りの凛々しい武人であった。だが、彼女自身は自分が一番嫌っていた公家の一番得意な技、謀略の手助けをし、その心に思い描いていた人を調略していたのである。
「心清き者が、幸せになれる世であって欲しいものだ」
 義興は独り言のように、そう口にした。
「義興様、(わたくし)も、少しばかり飲み過ぎてしまったようです。気分が優れませぬ故、失礼させて頂きたきとうございます」
「おお、そうか」
 少将局は義興の返事を待たず、口を押さえながら奥の部屋へと小走りに去って行った。暫くし、部屋に現れたのは少将局ではなく、この屋敷の主、竹沢右京亮であった。
「おお、これはこれは竹沢殿、今宵も馳走になっておる」
「いえ、何ほどのこともございません。新田様のお気に召すのであれば何より。それより、新田様へ急ぎお伝えすべき儀があり、まかり越しました」
「さて、それはいかに?」
「江戸遠江守よりの書状にございます」
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