堅香子

文字数 958文字

 少女は河原に行って、花を摘んだ帰りであった。
「帝が居らぬと、京と云えど、魔の巣に化すのだな」
 義興はそう呟くと、寸刻違わず、少女を襲っていた数人の男に向かって行った。それはもう彼の本性としか言いようがない。彼は隠密行動をしていることも忘れ、感情の赴くままに動き出していたのだ。
 そして彼は、暴漢二人を次々と持っている力の限り殴り飛ばした。その圧力はさながら大風の後の川の濁流の如くである。残りの暴漢数名は、義興の勢いに押され、何もせずに脱兎の如くに逃げ出していった。そして、吹き飛ばされた二名も顎を押さえ逃げながら、義興のことを魔神でも見る様な目で何度も振り返り、この場を脱出していく。
 勿論、あんな連中を義興は追いかけたりはしない。単にあの様な(やから)を殴りたくなっただけで、彼はそれ以上のことなど、何も求めていなかったのだ。
 だが、結果、そこには義興と汗衫(かざみ)姿の少女だけが残された。

 義興は「帝が居らぬと都と云えども魔の巣と化す」と言っていたが、京は平安の昔より魔の巣窟である。幾度もの厄災に見舞われ、平氏や源義仲に蹂躙され、盗賊がはびこり、子供は人攫いに遭い、女性(にょしょう)は襲われた。
 そういう意味では、この少女、どういう生まれであるにしろ、昼間とは云え、京の町を一人で花を摘みに行くなど、分別に欠けていると云われても仕方がない。それに良く見ると、まだ十にも満たない歳の様であるが、気品と言うか美しさが既に滲み出ている。これでは攫ってくれと願っている様なものだ。
「危なきところ、お助け頂き、ありがとうございます」
 少女ははにかみながら礼を述べた。
「いや、助けてなどおらん」
 これは決して謙遜ではない。彼は少女を助けたというよりは、自分の美観から外れた許しがたい連中を思いっきり殴り、ただ留飲を下げただけだ。それでも、この美しい少女に礼を言われると、照れくさくなり顔が赤らむ。
 少女はと云うと、この凛々しい青年は、自分の事を奥ゆかしく謙遜している様にしか思えない。そして、少し頬を赤らめているところが、繊細な神経の持ち主である様に感じられ、それが先程の力強さとの対比で、より一層際立って見える。
其方(そなた)、名は何と申す?」
堅香子(かたかご)にございます」
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み