あとがき

文字数 1,227文字

 もうご存知かも知れませんが、女塚神社と新田神社の縁起を基にこの話は書かれています。
 前作の中で、女塚神社の由来について「城に仕える女性が自害した」と簡単な説明をしたのですが、本当は、少将局という女性を祀っていた神社だったのです(これを書くと本編より長くなってしまうので、そこでは少し話を変えたのです)。
 そんなこともあり、どこかで彼女の話をちゃんと書かなくてはと云う思いがあり、この話を書いたという次第です。
 とは言っても、この話が全て縁起通りかと云うとそんな訳も無く、半分以上がフィクションで出来ています。そもそも、堅香子と云うタイトルからして作りもので、彼女の幼名が分からなかったので、適当に花の名前を取りました(その勢いで、新田義興を仁木義興、少将局を少将内侍に変えようかとも思いましたが、それは止めておくことにしました)。
 少将局の死因についても、竹沢の(江戸のではない)屋敷に義興を誘き寄せることに失敗した後に、彼に殺されたという説と、義興が死んだ後に少将局も自害したという説があります。いずれも本作とは違っています。
 縁起話では、この後、新田義興の祟りで江戸遠江守が狂死。畠山国清と竹沢右京亮が戦死、船の底を抜いて置いてけぼりにした船頭(頓兵衛とか言ったかと……)が悔いて地蔵を奉納したのだが、溶けた(とろけ地蔵と言うそうです)とかいう因縁話になっていきます。
 こういった話は、太平記を始め、平賀源内の「神霊矢口渡」にも語られているのですが、私は敢えて義興が怨霊となって祟ると云う部分を一切書かないことにしました。私の思い描く新田義興は、足利基氏を許し、竹沢を許し、あの江戸遠江守すら許すと思うからです。
 江戸長門は彼自身の持つ良心の呵責から狂死し、祟りの様な因縁話は南朝方の兵士や農民たちによって義興を慕う余り創作された。そう私は思っています。
 少将局も、義興の首を見た時は江戸たちを恨みましたが、結局、彼女も、義興と同じように江戸たちを許したのだと思うのです。元々彼女は竹沢に恨みなど持っていません。私の中にある彼女は、人を恨むなど全く似合いません。
 義興は大明神となって、北朝方に祟り、南朝方の武士を守護したと伝えられています。でも、南朝も北朝のない現在では、義興(そして少将局)は全ての人を護り、平和を願っているに違いありません。
 私はこの話を書いている最中(さなか)、義興を祀る新田神社と少将局を祀る女塚神社に参拝に行ってまいりました。
 その日、空には山峰近くにほんの少し雲があるだけ、爽やかな快晴で、黒雲も湧きあがりませんし雷鳴も轟きませんでした。当然、狛犬が唸ることもありません(私が江戸の子孫という訳ではないので、唸らなかったのかもしれませんが……)。
 それはつまり、私がこの様(二人は万人を護る神となったということ)に書くことを、義興も少将局も認めてくれているのだ。
 私は、そう信じております。
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