秘密

文字数 874文字

 結局、義興はその日、江戸長門とは何も話をすることが出来なかった。
 彼は一旦自宅へと戻り、その足で竹沢の屋敷へと向かっている。彼はこの会合が不調に終わったことをひどく残念に感じている。
 彼は江戸の案も一理あると思っていた。ただ、それは以前彼が鎌倉を攻め落とした武蔵野合戦を繰り返しているに過ぎない。
 成功したとしても戦乱は南朝有利に傾くだけで、南北朝の争いは一層混乱を増すことになってしまうだろう。
 それならば、まず武家が意志を統一し、南北両朝の融和を図る方が、はるかに南北統一の訪れは近いのではないだろうか? であるならば、賭けではあるが彼の考える新田足利同盟も、試してみる価値があるに違いない。
 しかし、恐らく江戸遠江守はその様なこと同意はすまい。彼は敵を倒し恩賞を得ることしか頭に無い。例え鎌倉公方の家来に復権出来るとしても、戦さの無くなる世など望む筈がない。
 その様なこと、家人に愚痴っても、誰も彼の考えを理解してはくれない。彼の理想を理解するには、同意するにしても否定するにしても、それを理解出来る教養が必要なのだ。
 それが出来るとしたら、今、それは竹沢の屋敷にいるあの女性(にょしょう)しかいない。

 彼が訪れると、少将局は竹沢の許可も待たず、彼を部屋へと招き入れてくれた。
 二人は何度も酒宴で杯を交わし、お互いに相手が存在することに対する喜びを感じている。
 勿論、二人にも秘密はある。
 少将局は竹沢の命により、彼が義興の配下となれる様、義興を懐柔するように義興に近づいたのであるし、義興は義興で、少将局を人間として信用はしても、立場というものもあり、足利新田同盟や、基氏への面会を求めていることなどはまだ口にしてはいない。
 それともう一つ。少将局のことを、昔、彼が京で出逢った少女ではないかと勘違いしたことを、義興は彼女に話してはいない。少将局に童女とは言え、別の女性(にょしょう)の話などすることなど、彼としてもきまり悪かったのだ。
「どう為されたのですか?」
「いや、今宵は少将殿に無性に逢いたくなってな」
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