第37話 きっかけ

文字数 1,756文字

 ――おとなしい子だな。
 それが、京子ちゃんと出会った第一印象だった。
 京子ちゃんと出会ったのは、小学校二年生、クラス替えをしてからだ。クラスのメンバーが変わって、初めは少し戸惑っていたけれど、一か月もすると、新しい友達が何人も出来た。
 だけど、私には悩みがあった。それは、未だに、後ろの席の子と、仲良くなれていないことだ。
 古賀京子ちゃん。私の知る限りでは、あまり他の人と話しているところを見たことがない。休み時間とかも、一人で本を読んでいることが多いイメージが強い。私も、プリントを渡すときとか、授業中の話し合いとかで、ちょこっと話すくらいの、そんな感じの関わりだった。
 静かな子だと思う。仲良くなりたいのに、なんだか話しかけづらい。そんな風に思っていた。
 そんなある日の放課後のこと。事件は起こる。
「えいや」
「とう」
 放課後の掃除の時間。教室の後ろで、二人の男の子がほうきでチャンバラごっこを始めた。掃除の時間とは思えない、にぎやかっぷりだ。先生は今日、事情があるらしくて、掃除の前に教室を出て行ってしまった。
 ちゃんと掃除するように釘を刺されていたのに、先生がいないとなると、隙あらば遊びを始める男の子がいる。ほんとに、子供っぽい、なんて思いながら、私は注意するのも面倒だし、黙々とほうきでほこりをはいていた。真面目にやっているそばで、ふざけられるのはなかなかに腹立たしい。だけど、構う暇があれば、さっさと終わらして帰りたかった。
 一通り掃除が終わったのに、男の子たちは、まだチャンバラごっこに夢中になっていた。まるでまわりが見えていなくって危なっかしいったらない。ああ、先生がいてくれたらな。なんて思っていながら、ほうきを片付けようとした矢先だった。
 勢い余ってよろめいた男の子が、事もあろうにふらふらと私の方へ近づいてくる。
「危ないって」
 よけようとした私は、勢い余って、体勢を崩してしまった。
 ――がん。
 にぶい音がした。嫌な予感とともに、恐る恐るほうきの先を見る。
 教室の後ろの棚の上。ぽろぽろとこぼれている小さな粘土の塊。かわいらしいネコの粘土人形の耳が、欠けてボロボロに崩れていた。
 ――やっちゃった。
 私のまわりだけ時間が止まったみたいに、頭が真っ白になる。ど、どうしよう。誰かの、大事な作品を、壊してしまった。
 ぶつかりかけた男子が、事態に気づいたようで、動揺したようにこちらを見て言う。
「お、俺は知らないからな」
 そして、何事もなかったように、さっと逃げていってしまう。
 みんなは、掃除が終わったから、帰る準備を始めてしまった。私は、取り残されたみたいに立ち尽くす。足が、ふるふる震えて、言うことを聞いてくれなかった。
 恐る恐る、もう一度作品をみる。作品のプレートに、古賀京子って書いてある。壊してしまったのは、京子ちゃんの作品だった。
 謝らなくちゃ。掃除当番以外の子は帰っちゃったけど、京子ちゃんの席にはまだカバンが置かれていた。
 席に座って、とにかく京子ちゃんを待つことにした。
「ももか、帰らないの?」
「ごめん、きょ、今日は用事があるから先に帰っといて」
「そうなの? わかった」
 友達もみんな帰ってしまって、教室には私一人だけ取り残された。
 しーんとした放課後の教室。とても、物寂しくって、だんだん不安が強くなってくる。
 一生懸命作った作品を壊されて、京子ちゃん、怒るだろうな。仲良くなりたい、なんて思っているのに。嫌われたくないのに。
 時間を巻き戻したい。チャンバラをやめさせてたら良かったし、やめさせなくても、ぶつかりそうになりさえしなければ。ぐわんぐわんと後悔が渦巻いて、いたたまれなくなる。
 いつもクールな京子ちゃんが、悲しそうな顔になるのを、怒った顔になるのを、想像したくなかった。それなのに、考えまいとすればするほど、嫌な想像ばっかりしてしまう。
 結構な時間が経った。京子ちゃんは、まだ帰ってこない。不安な気持ちがどんどん増幅していって、とうとう、こらえきれなくなって泣いてしまった。ちゃんと、謝らなくちゃいけないのに。泣いている場合じゃないのに。机に突っ伏して、必死に心を静めようとする。落ち着け、私。泣くのを、やめなきゃ。泣いている場合じゃない、泣くのをやめなきゃ。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み