第31話 お客さん

文字数 2,740文字

「あら、あたらしいお店?」
 看板を出しに、あおいちゃんと外に出たら、通りがかった女の人に声をかけられた。
「そうなんです」
「ちょっと、お邪魔しようかな」
「ありがとうございます」
 やった、さっそくお客さんだ。私は、ドキドキとはやる気持ちを抑えて、店内へと案内した。
「おいしそ。どれにしよっかな」
 楽しそうに悩んでくれている女の人を、レジカウンター越しにそっと眺めていた。どれが選ばれたとしてもうれしいけれど、なぜかそわそわしてしまう。緊張するというか、たかぶる気持ちを抑えるのに一苦労するというか。
「これにします」
 女の人は、フォンダンショコラを指さした。
「ありがとうございます。お持ち帰りですか?」
「ええ」
あおいちゃんが、丁寧に取り出して、箱に入れる。しれっとやってるけど、店員さんっぽさが板についている。初めてのはずなのに。
「ありがとうございました」
 女の人を見送った後。こらえていた嬉しさが、あふれてしまう。
「やった、買ってもらえたね」
「ね、うれしい!」
 私は、少しの間夢見心地で、女の人が出て行った扉をぽーっと見つめていた。
 すると、再び扉が開いて、二人目のお客さんが入ってきてくれた。
「いらっしゃいませ」
「いいお店だね」
 入ってくるなり、お客さんはそう言った。
「ここは、喫茶店もやってるのかい」
「はい。こちらのお席で、コーヒーとか、ハーブティーとかをお出ししています」
「ふうん、そうかい。そしたら、ここに失礼しようかな」
 お客さんは、静かな立ち振る舞いで、椅子に腰かけた。
「メニューは、こちらからお選びください。ショーケースのも同じです」
「ありがとう」
 少し長めの髪に、大きめの眼鏡をかけた、男の人だ。利発的、という言葉が似合いそうな雰囲気。どことなく繊細で、丁寧な感じがする。
「それじゃあ、アップルパイと、ミントルイボスティーを、いただこうかな」
「わかりました。ご用意するので、お待ちください」
「ももかちゃん、ミントルイボスティー、お願いします」
「任せて」
 ミントは、冷蔵庫に入っていた。手に取ると、すっと鼻を抜ける涼しい香りがした。ミントの爽やかさは、パイのこってり目のおいしさをお互いに引き立て合って、相性は抜群のはずだ。
「お待たせしました」
「ありがとう」
 男の人は、優雅にカップを手に取り、ルイボスティーを一口飲んだ。続けて、アップルパイをかじる。
「うん、おいしい。これは、あなたが作ったのですか」
「は、はい。私が作りました」
 男の人が急にこちらに目線を投げたので、少しあわててしまう。
「そうかい。お店の装飾も素敵だし、いいお店だ」
「ありがとうございます」
「私は、いろんなお店でアップルパイを食べてきたんだ」
 男の人は、静かな様子で――まるで独り言かと間違うくらいの調子で――話を始めた。
「アップルパイ、お好きなんですか」
「ああ。昔、大切な人が作ってくれて以来ね。ところで、あなたは何かアップルパイに、思い出はありますか」
「思い出、ですか……」
 唐突に質問をかけられて、答えに窮してしまう。特別な思い出は、すぐには思いつかなかった。
 答えに困ったのを察してか、男の人は質問を少し変えてきた。
「では、アップルパイを作るようになったのは、なぜですか」
 私は、しばし昔のことに思いをはせる。
「うーん。もともと、お母さんの得意なお菓子だったんです。運動会が終わった日のおやつとか、特別な時によく作ってくれて。それから、私もお母さんの真似して、作るようになりました」
「そうですか。素敵なお話ですね」
 そう言うと満足そうににっこり微笑んだ。何だか不思議な人だ。
「私は、アップルパイを食べると、大切な人を思い出します。甘くて、でもほんのりと甘酸っぱくて……」
 男の人は、思い出を懐かしむように目を細めた。まるで、遠く遠くのその人との思い出を見つめているみたいだ。
 私も、アップルパイの思い出を、少し考えてみる。アップルパイと言えば、私の中では運動会だ。低学年の頃、運動会の徒競走でどうしても一位になりたくて、放課後、京子ちゃんと練習したことを思い出す。京子ちゃんはインドア派だけど、なぜか運動神経がとってもいいから、いい練習相手だった。両親に、「一位とるから、絶対本番見に来てね」なんて、ハードルを上げるようなこと、わざわざ言ったなあ。今だったら、絶対、なんて根拠のない自信、わいてこない。
 だけど、言葉の通り一位をとれた。頑張りが実ったのもうれしかったし、お父さんとお母さんが喜んでたのも、うれしかった。
ごほうびに焼いてもらったアップルパイの味を思い出す。あの時のアップルパイ、おいしかったなあ。
 そうだ、これが私のアップルパイの思い出、かもしれない。つやつやと光り輝く、あったかい思い出だ。
「ごちそうさまでした。おいしかった」
 男の人は、丁寧に口元をぬぐった。
「お話に付き合ってくれて、ありがとう」
「いえ、こちらこそ、ありがとうございました」
 私は、言うかどうか、少し迷ったけれど、「私にも、アップルパイの思い出、ありました」と言った。
 すると、男の人は、うれしそうに小さく微笑みを浮かべた。
「そうかい。素敵なことだ。お菓子には、時に、大切な物語が宿るものだからね」
 男の人は、お会計を済ませると、来た時みたいにまた、物静かな様子でお店を出て行った。
 なんだか、不思議な人だったな。お菓子には、思い出が宿る、か。





 それから、お客さんが何人も来始めた。注文をとったり、お会計したりは、あおいちゃんがメインでやってくれているけれど、一人じゃ手が回らないから、私も必死にこなす。何かをやっている間に、また別の何かをしなくちゃいけなくなって、てんてこまい。とっても忙しい。
 けれど、忙しいことが、なんだかうれしい。それだけ、多くのお客さんが、興味をもってくれてるってことだから。たくさんの人に、喜んでもらえたらいいなって思う。
 あっという間に、時間が経っていった。ようやく人も落ち着いたころには、もうお昼を過ぎていた。
 外に出てみると、うだるような炎天下だ。道ゆく人も、だいぶん少ない。
「そろそろ休憩に入ろう」
 お店から、あおいちゃんも出てきた、
「朝からずっと働きづめだったからさ」
「うん、そうだね」
 私は、額の汗をぬぐいながら、返事をした。
 表の看板を、一旦裏返しにしておく。
 お店に戻ると、涼しくて、生き返ったみたいな気持ちになった。
「おつかれさま」
「おつかれさま! あおいちゃん」
「忙しかったねえ」
「ほんと」
 ほんとに、忙しかったけど、うれしかった。また、ティータイムになったら、お客さん、来てくれるかな。来てくれるといいな。それまでに、体力をしっかり温存しておこう。
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