第1話 図工の時間
文字数 2,118文字
―小さい頃に戻りたい。なんてときどき思う。この街に生まれてはや十二年。最近毎日が同じことの繰り返しでつまらない。
私が低学年の頃までは、こんなに退屈じゃなかった。今日の休み時間は何をしようとか、今日の給食はシチューだとか、ちょっとしたことでワクワクしたものだけれど。小学校も六年目ともなれば、新鮮味だってとうに失くしてしまった。
―退屈だな。 心の中でつぶやく。ぼんやりと机の上の画用紙を眺める。中庭に植えられたタチバナの絵。下書きは完成したけれど、絵の具を塗るのはこれからだ。
教室はワイワイガヤガヤとにぎやかだ。図工の時間って、なぜだかみんな騒がしくなるよね。私はミニバケツに水をくむため、水道場へと向かった。
さて、どんな風に色を塗ろうか、なんて水を入れながら考えていると、ツンツンと背中をつつかれた。
「びっくりした? 京子ちゃん」
振り向くと、ももかちゃんがいたずらっぽい目でこちらを見つめている。私はミニバケツとは反対の手で、ビシッと軽く手刀をかました。「痛あ。」なんて言うけれど痛そうには見えない。寧ろ「あはは」と笑いだす始末。
「京子ちゃん、絵、もうすぐ完成しそう?」
「頑張れば」
「私も終わるかも。けど、この絵が仕上がっても、夏休みの宿題でまた絵を描くんだって」
「え、そうなの?」
初耳だ。
「うん。さっき先生が言ってた。今やってるのは宿題のための練習らしい」
「ふうん、めんどくさいね」
ももかちゃんは先生と仲が良い。だから、私の知らない情報をよく仕入れてくる。ももかちゃんが言うならきっとそうなんだろう。
席に戻って、パレットをひらいた。タチバナの木は常緑樹だそうだ。一年中、緑色の葉っぱが茂っている。けれども実がなるのは秋になってからだ。実がないタチバナは、少し物寂しい感じもする。
緑色を作るために、青と黄色の絵の具をパレットに乗せた。筆先を少し湿らせて、大きめのくぼみで色を混ぜ合わせる。
もう少し濃い色が良い気がする。あれ、青を足せばいいのかな、それとも黄色? とにかく絵筆を一度綺麗にしないと。
絵筆をミニバケツに近づけたとき、筆先からぽつりと雫が零れた。無色透明の水溜りの上を、雫が瞬く間に波紋となって広がっていく。青色、黄色、二色の絵の具は、混ざるとも混ざり切らずに、マーブル模様を作り出した。綺麗だな、と思ってなんとはなしに目を細める。こういうの、なんていうのかな、そうだ、「幻想的」だ。
私の日常なんてものは、幻想的とは程遠い。いうなれば単色。深みもなければグラデーションもない。一色の絵の具で、つうっと一本の線を引いていくだけ。そしてその上を、てくてくと死ぬまで歩いていく。それが人生。
大学生のいとこのゆうりちゃんが、「悟り世代」なんていって私のことを笑っていた。なんでも、夢とか欲とかを持たない若者が増えているらしい。私からすれば、しっかりご飯を食べられてそれなりに長生きできれば幸せだとおもうんだけどなあ。ちなみにゆうりちゃんはバックパッカー? に憧れているらしい。
しばらく考えていたけれど、ふっと我に返った瞬間、教室の喧騒がよみがえってきた。いつまでもぼけっとしていてもしょうがない。私はよく思索にのめり込んで、ついつい余計なことを考えてしまう。けれども考え事ではお腹が膨れないことも知っている。
青色を少し足したら、良い感じの色合いになった。鉛筆の線の内側を、はみ出さないように慎重に塗っていく。こういう作業は性格がよく出ると思う。隣の席の子が、鉛筆の線をはみ出しまくっているのを見て、そんなことを思った。
地道に葉っぱに色を付けていく。塗っている間に絵の具がかすれたり、水を足したりしたから、少し色が変わってしまった。けれども、それはそれで陰影がついているみたく良い感じになった気がする。終わりよければすべてよしだ。
一時間目も終わりかけた頃、ようやく葉っぱを塗り終えた。一番大事な箇所を終えたから、気が楽になる。次は、幹の茶色だけれど……。
茶色はどうやって作るのだろう。教科書を確かめてみると、黄色と赤と黒を混ぜると書かれていた。なぜ茶色の絵の具そのままを使わないのかというと、そういう授業だからだ。色を混ぜ合わせてつくる練習をしているらしい。
それで赤色のチューブを取り出したけれど、中身が入っていなかった。どうやら前に使い切ったまま、買い替えるのを忘れていたらしい。はあーっと小さくため息をつく。新しいのを買わないと。茶色に、少しだけ他の色を加えるなんて駄目かなあ……。
「夏休みの宿題では、思い出の場所というテーマで一枚の絵を描いてもらいます」
授業の終わりに先生が言った。ももかちゃんの情報通りだった。今はもう夏の真っ盛りだ。後一週間ほどで夏休みに入る。私はお盆の頃におじいちゃんの家に行くくらいで、あとはこれといった予定もない。退屈さに拍車がかかると思うと少しだけうんざりした。
けれどもみんなは、気もそぞろといった感じだ。お喋りこそしないけれど、なんとなく空気がそわそわとしている。先生の話も上の空で聞いているよう。かくいう私も、暑さのせいもあってぼんやりと話を聞いていた。
私が低学年の頃までは、こんなに退屈じゃなかった。今日の休み時間は何をしようとか、今日の給食はシチューだとか、ちょっとしたことでワクワクしたものだけれど。小学校も六年目ともなれば、新鮮味だってとうに失くしてしまった。
―退屈だな。 心の中でつぶやく。ぼんやりと机の上の画用紙を眺める。中庭に植えられたタチバナの絵。下書きは完成したけれど、絵の具を塗るのはこれからだ。
教室はワイワイガヤガヤとにぎやかだ。図工の時間って、なぜだかみんな騒がしくなるよね。私はミニバケツに水をくむため、水道場へと向かった。
さて、どんな風に色を塗ろうか、なんて水を入れながら考えていると、ツンツンと背中をつつかれた。
「びっくりした? 京子ちゃん」
振り向くと、ももかちゃんがいたずらっぽい目でこちらを見つめている。私はミニバケツとは反対の手で、ビシッと軽く手刀をかました。「痛あ。」なんて言うけれど痛そうには見えない。寧ろ「あはは」と笑いだす始末。
「京子ちゃん、絵、もうすぐ完成しそう?」
「頑張れば」
「私も終わるかも。けど、この絵が仕上がっても、夏休みの宿題でまた絵を描くんだって」
「え、そうなの?」
初耳だ。
「うん。さっき先生が言ってた。今やってるのは宿題のための練習らしい」
「ふうん、めんどくさいね」
ももかちゃんは先生と仲が良い。だから、私の知らない情報をよく仕入れてくる。ももかちゃんが言うならきっとそうなんだろう。
席に戻って、パレットをひらいた。タチバナの木は常緑樹だそうだ。一年中、緑色の葉っぱが茂っている。けれども実がなるのは秋になってからだ。実がないタチバナは、少し物寂しい感じもする。
緑色を作るために、青と黄色の絵の具をパレットに乗せた。筆先を少し湿らせて、大きめのくぼみで色を混ぜ合わせる。
もう少し濃い色が良い気がする。あれ、青を足せばいいのかな、それとも黄色? とにかく絵筆を一度綺麗にしないと。
絵筆をミニバケツに近づけたとき、筆先からぽつりと雫が零れた。無色透明の水溜りの上を、雫が瞬く間に波紋となって広がっていく。青色、黄色、二色の絵の具は、混ざるとも混ざり切らずに、マーブル模様を作り出した。綺麗だな、と思ってなんとはなしに目を細める。こういうの、なんていうのかな、そうだ、「幻想的」だ。
私の日常なんてものは、幻想的とは程遠い。いうなれば単色。深みもなければグラデーションもない。一色の絵の具で、つうっと一本の線を引いていくだけ。そしてその上を、てくてくと死ぬまで歩いていく。それが人生。
大学生のいとこのゆうりちゃんが、「悟り世代」なんていって私のことを笑っていた。なんでも、夢とか欲とかを持たない若者が増えているらしい。私からすれば、しっかりご飯を食べられてそれなりに長生きできれば幸せだとおもうんだけどなあ。ちなみにゆうりちゃんはバックパッカー? に憧れているらしい。
しばらく考えていたけれど、ふっと我に返った瞬間、教室の喧騒がよみがえってきた。いつまでもぼけっとしていてもしょうがない。私はよく思索にのめり込んで、ついつい余計なことを考えてしまう。けれども考え事ではお腹が膨れないことも知っている。
青色を少し足したら、良い感じの色合いになった。鉛筆の線の内側を、はみ出さないように慎重に塗っていく。こういう作業は性格がよく出ると思う。隣の席の子が、鉛筆の線をはみ出しまくっているのを見て、そんなことを思った。
地道に葉っぱに色を付けていく。塗っている間に絵の具がかすれたり、水を足したりしたから、少し色が変わってしまった。けれども、それはそれで陰影がついているみたく良い感じになった気がする。終わりよければすべてよしだ。
一時間目も終わりかけた頃、ようやく葉っぱを塗り終えた。一番大事な箇所を終えたから、気が楽になる。次は、幹の茶色だけれど……。
茶色はどうやって作るのだろう。教科書を確かめてみると、黄色と赤と黒を混ぜると書かれていた。なぜ茶色の絵の具そのままを使わないのかというと、そういう授業だからだ。色を混ぜ合わせてつくる練習をしているらしい。
それで赤色のチューブを取り出したけれど、中身が入っていなかった。どうやら前に使い切ったまま、買い替えるのを忘れていたらしい。はあーっと小さくため息をつく。新しいのを買わないと。茶色に、少しだけ他の色を加えるなんて駄目かなあ……。
「夏休みの宿題では、思い出の場所というテーマで一枚の絵を描いてもらいます」
授業の終わりに先生が言った。ももかちゃんの情報通りだった。今はもう夏の真っ盛りだ。後一週間ほどで夏休みに入る。私はお盆の頃におじいちゃんの家に行くくらいで、あとはこれといった予定もない。退屈さに拍車がかかると思うと少しだけうんざりした。
けれどもみんなは、気もそぞろといった感じだ。お喋りこそしないけれど、なんとなく空気がそわそわとしている。先生の話も上の空で聞いているよう。かくいう私も、暑さのせいもあってぼんやりと話を聞いていた。