第16話:米国で皮膚科開業の夢に挑戦

文字数 2,688文字

 近々、その2人に面会したいので、紹介していただきたいと皮膚科教授に言うと、日程はと聞かれ、2010年1,2月に行きたいというと、彼らの都合も聞いて見ると言ってくれた。1週間後1月24日までに聞いくと言われ、お礼を言って失礼した。

 1月25日、医局を訪ねるとM教授が三橋を呼び今日中室に入ると、1人目が木村スキンクリニックの木村妙子先生で火曜日が休診日で、その日なら会える。もう1人が臼田スキンサージャリーの臼田達夫先生と教えてくれ。彼は水曜日が休診日で会えると言った。ホノルルの住所と電話番号も教えてくれた。早速、三橋先生が電話すると、木村先生も臼田先生も三橋の後輩で、快く面会を快諾してくれた。

 そして戸塚に一緒に言ってくれないかと言うと良いですよと言われて同行してもらった。2月7日、日曜日に18時に戸塚の運転で成田に行き、22時発の飛行機でホノルルの10時に着いてホノルルのホテルにチェックインした。そして2月9日火曜日の10時、木村妙子先生に開業先で面会してくれる約束と2月10日水曜日10時、臼田先生と開業先での面会約束を取った。

 2月9日診療前、木村スキンクリニックに行くと既に来ていて最初に挨拶した。すると、あなたが三橋先生ですかと言い、ムンテラが上手で医局でもトップクラスの外来数を誇っている事で有名でしたねと言った。なぜ他の先生に繁盛してる皮膚科をゆずったのと質問された。そこで忙しすぎて身体が持たなくなったからですよと笑いながら言った。そうですかと言った。

 次にアメリカで開業したいのですかと聞かれ、そうですか言うとアメリカと言っても各州が独立国みたいで州内の病院で開業を後押ししてくれる所で研修して開業するというのが一般的。私もハワイ大学医学部皮膚科教室で1年間働いて許可をもらったと言い、現在はホノルルでは開業医が多く新しく開業できないと言った。ところで、どちらで開業したいのですかと聞かれ、ラスベガスというと、突然、マジですかと言った。

 なぜと聞くので三橋先生が、実はバカラが好きでラスベガスに何回も行き、あの雰囲気が好きですと言うとへーと驚いた様に言った。ダムができて水問題は解決したが、もともと砂漠の真ん中ですよと言い夏の暑さは半端じゃないですとと言った。私自身もラスベガスで開業してる皮膚科の先生は知らないと話した。あの灼熱の地域ならきっと皮膚科の患者さん多いのじゃないかしらと言った。

 ラスベガスの事は知らないのでネバダ州のラスベガス近郊の病院へ行って直接聞かれると良いと言った。そして大きな病院で開業医のトレーニングをサポートをしてくれる病院を捜すことですねとアドバイスした。それを聞き、わかりました。ありがとうございましたと言い橫浜、霧笛楼の焼き菓子を手渡すと喜んでくれた。また困ったことがあればメールで質問してくれれば、わかることでしたら、お教えしますよと言った。

 翌朝も9時半にホテル出発タクシーで臼田スキンサージャリーの臼田達夫先生の開業先に10時少し前について、クリニックのドアをノックすると臼田先生が出て来た。挨拶して臼田先生が、あなたが、あの有名な三橋先生ですかと言い噂はかねがね聞いていますと言った。ご質問は何ですかと聞かれラスベガスで皮膚科を開業したいと言うとラスベガスって、あの砂漠のギャンブルシティですかと聞くので。そうですと答えた。

 なぜですかと聞かれ、町の雰囲気が好きですからと答えると、へーと不思議そうに言った。あそこは御存知だと思いますが金鉱山に荒くれ者が集まってできた町で最近、大きなダムができて生活できるようになったが砂漠の真ん中で夏は45度から50度にもなるのですよと言った。もちろん、そう言う過酷な所ですから皮膚科の患者さんはいるかも知れませんが、どうなんでしょうかねと言った。

 まず競争は少ないでしょうねと言いクスッと笑った。こりゃ失礼と言い三橋先生があまりに突拍子もないことを言うからですと言った。アメリカでは基本的に医者の開業はその州で決めることになっているのでラスベガスの大きな病院の皮膚科医局で研修し許可をもらい州に申請して許可されれば開業できると言い基本的に研修には1年以上かかると言った。あくまでも、その病院の皮膚科の責任者の判断、次第でしょうねと言った。

 最後に、アメリカは、何でも訴訟の国ですから、いくら理不尽な判決でも訴訟に負けると大変な事になるから是非、弁護士と契約する事をお奨めしますと言った。私も大金を弁護士に支払って雇っていると言った。これは絶対に守るべきですと強く言った。わかりました開業が決まれば弁護士と契約してから開業しますと言い貴重な御意見ありがとうございますと言った。

そして橫浜の有名な焼き菓子を、お土産ですと渡すと、霧笛楼じゃないですかと言い、実は、私も橫浜出身で翠嵐高校を出たのですよと笑いながら言い握手して成功することを祈ってますと言ってくれた。もし不明な事があればメールで質問して下さい、できるだけ協力しますと言ってくれ臼田先生と別れた。ホテルで戸塚と話してラスベガスで開業するには、まずラスベガスで皮膚科のある大病院を捜す事だと言った。


 そこで開業のための研修とサポートが受けられるか聞くこと。次に有能な弁護士を雇うことだなと確認した。そして翌2月11日、13時前の便でホノルルを飛び立ち、2月13日の17時に成田に着き、橫浜の家に19時半に到着した。2010年2月15日、大学病院精神神経科の有田好美先生に時間のある時、相談したいことがあると三橋が言うと、明後日夕方19時で良ければと言われ、三橋と新横浜の料理店の個室で会った。

 19時前に三橋が行き有田医師を待つと19時に来て、夕食をとってから話し出した。まず三橋が大学の若手医師の協力で三橋医院は順調に患者さんを増やし収益を上げていることにお礼をのべた。それに対して有田医師が三橋先生の人気で患者さんが増えたためですと言った。そこで相談なのですが三橋医院を買収する気はありませんかと聞くと、えー、なぜ、売るのですかと不思議そうに聞いた。

 あんなに儲かって人気があり三橋先生も自由な時間をもて、海外旅行もされ何かご不満でもあるのかしらと言い返した。特に不満はないですけれどと言った。しかし最近、医者として世界に挑戦したくなったと言うと、どういうことですかと聞き返したので、アメリカのラスベガスで皮膚科と精神科のクリニックをやりたいと話した。
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