第22話「最終章」:恩人の死と新しい命の誕生

文字数 2,645文字

その時「三橋君には、いつも悪いねと、ほんの一瞬、真顔になって、こんな姿は見せなくなかったと大泣きして、それを見ていた三橋がどうでも良いから早く消え失せろと怒鳴った」。すると、すごすごと帰って行った。そして、しばらく何もなく2013年が終わり2014年を迎えた。その後も三橋クリニックは繁盛していたが2014年5月10日、ポリスから電話で検死してくれと要請を受け、パトカーが三橋クリニックに来て、三橋と戸塚がパトカーに乗ってラスベガスの裏通りの人通りの少ない路地にうつ伏せの遺体が転がっていて顔を見ると三橋の顔色が真っ青になった。

 その遺体は三条光子だった。それを見て、三橋は馬鹿野郎と大きな声を張り上げて泣き出す姿をみてポリスが知り合いかと聞くと首を横に振り、一応、脈と動向をみて死亡を確認したとサインした。戸塚は凍りついたように一番安全と言われているラスベガスでも簡単に殺人事件が起きるのですねと辛そうな顔をして三条の遺体に手を合わせた。この時、三橋の顔から表情が消え、自分が不幸のどん底にいた時に、まるで女神のように自分を地獄から救い出してくれた三条が今後は地獄へ行ったのを見て、なんとも言えない不条理な事件に腹が立って仕方がなかった。

 そんな2014年2月11日に戸塚の奥さんのキャシーが妊娠し8月11日に出産予定と知らされ、その翌週の2月15日にティモシーにも子供ができた事がわかり9月1日が出産予定日と知らされた。その頃には三橋クリニックはギャンブル依存症のクリニックとしてラスベガスだけでなくアメリカ中から患者が来るようになり、診療時間が9時から20時までになり、定休日が一日になり忙しくなっていた。やがて戸塚とキャシーに男の赤ちゃんが誕生した。

 名前とアメリカン人の発音しやすい戸塚健太「とづか、けんた」と名付けた。続いて9月1日にティモシーと三橋に女の赤ちゃんが誕生し英語で発音しやすい三橋純「みつはしじゅん」と命名した。その後、三橋クリニックが医師が忙しいのでベビーシッターを雇って毎日、家事と育児を手伝ってもらう様になった。そして、三橋クリニックの忙しい毎日が続き、秋が来て、直ぐに冬が来て、2015年があけた。

 そして特に変わらず、たまに時間ができると乳母車で戸塚と三橋家族で家の近くレストランへ行って食事をしたり冬の暖かい日射しの日には昼間に乳母車で散歩した。それでも月に数回、強盗殺人事件が起こって、たまに検死の依頼が舞い込んで、三橋と戸塚が出かける事があった。そのために家の防犯や防犯カメラなど、家の防犯に万全を尽くした。あまり忙しいので大学病院から若い医者の応援を頼んで三橋クリニックの休診日を週に2日にしクリニックの18時以降は若い医者に任せた。

 そして早く家に帰るようにして子供達との時間を持つようにした。そのために休みにはレイクラスベガスの美しい湖畔の豪華ホテルの庭を散歩したりして素敵なレストランで食事をした。しかし日本に帰る程の休暇は取れずに、ずっと、ここで過ごさざるをえなかった。やがて季節が進み、また寒くなり2016年があけた。この頃になると子供達も日増しに可愛さが増し戸塚も三橋も仕事に行くのが嫌になるほどだった。そして2010年8月に1550ドルで200単位を31万ドルで買ったSP500ファンドが2800ドルになり200単位を売ると残金が83万ドルになった。

 彼女の仕事で貯めた20万ドルを合計して103万ドルになった。三橋クリニックも儲かり三橋の資産は440万ドル約5億円、奥さんのティモシーが103万ドル、1.2億円を越え、戸塚の資産も約2億円となり奥さんのキャシーの資産も350万ドル4億円近くになった。と言う事で十分すぎる程の富を得た。こんな2016年10月初旬、キャシーの家から2kmのマンダレイ・ベイ・リゾート・アンド・カジノで開かれたカントリー・ミュージック・フェスティバル会場に向け自動式の銃を数千発発砲、50人以上が死亡、500人が以上が負傷するラスベガス銃乱射事件が起こった。

 ホテルの部屋からはライフルを含む23丁の銃と弾薬が発見され、うち2丁は三脚に固定されテレスコピックサイトが装着されていた。これを使い自動小銃に近い速度の連射を行った。事件後、警察がラスベガス北東約130kmの犯人メスキートにあるパドックの自宅を家宅捜索した結果、少なくとも18丁の銃と爆発物、数千発の銃弾を発見したと発表した。この事件を受けて三橋は3年前の三条光子の遺体の検死の顔が思い出されて怖くなって戸塚と相談して、子供達の安全と将来を考えて、やはり日本に戻ろうと提案し戸塚も同意した。

 その話をキャシーとティモシーにすると直ぐに賛成しキャシーが地元の不動産屋に、この大きな家を賃貸にして貸して、賃料を日本のキャシーの口座に送るように手配した。ティモシーも子供の安全を最優先して日本に行くのに賛成した。そうして10月11日の早朝、大型ワゴンタクシーで家を出て7時半発シアトル経由で10月12日14時に成田空港に到着した。そして、三橋がみなとみらいのマンションの近い所に住まないかと言うと賛成してくれ不動産屋に物件を捜してもらい10月中はホテル住まいした。

そして10月22日までに同じMMタワーのマンションの20階と18階の89平米の3LDKの海の見える部屋をそれぞれ1億円で購入した。それからは家から徒歩5分のけいゆう病院の皮膚科に三橋が勤め、薬剤部に戸塚が勤めて電動自転車を4台買って休みの日には、山下公園、中華街、元町、橫浜駅などを回ってきたり、中華街で旨い中華料理、関内駅周辺や元町のフランス、イタリア料理の店、日本料理の名店などをめぐって、子供達の健やかな成長と、2家族、6人の安全で健やかな生活を元の橫浜の最高の場所に戻ってきた。

 そんな春の晴れた日、山下公園のバラを見に行き三橋が氷川丸の船体を見つめていると船体に若い頃の三条光子が不幸のどん底で苦しみもがいている若き日の三橋を抱きしめて大丈夫、これから、お前を助けて一人前の男に育て上げてやるからと言ってくれた。そんな優しくてきれいな顔が見え、その顔が三橋と戸塚家族をうれしそうに眺めているように見えた。すると三橋の目に涙があふれてきた。しかし他人に悟られまいとハンカチでに涙を拭き風でゴミが見えに入ったと言って笑顔を作った。「終了」
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