第5話:三橋先生と三条さんの過去

文字数 2,214文字

 そんな話をして1時間半が過ぎて送別会が解散。その後、三条事務長が行きつけのスナックへ行くよと戸塚と三橋先生を誘った。そして三条さんのボトルをあけ速いピッチで飲み出した。三条さんが三橋先生に何で、あんた一番先に私に相談しないのさと怒った。三橋先生が、これは自分の問題だからと言って逃げた。すると、あなたは、いつも苦しくなると逃げるのだからと説教するように言い続けた。

 その後、三条さんが三橋先生のお父さんに理不尽な事をされて困った時、泣きついてきたのは18歳だったと昔話になった。その時、私が、お父さんからあなたを引き離し、もう15年以上経つ。医学部の学費も補助しインターン先も探し皮膚科の内藤教授に紹介し皮膚科に入局。あの頃は従順に私の言うことを聞いたのに、なぜ最近悩み事を打ち明けず、1人で抱えるようになったのと問い続けた。

 この質問には答えず、「神妙な顔で、私も大人になってね」と答えた。「そんなの卑怯よ」と三条さんが言うと開き直ったように、三橋が、「これだけ三橋皮膚科医を繁盛させ、みんなに給料を払ったのだから文句を言われる筋合いなんてない」と珍しく怒った。すると三条さんが、「あーそうかい、あなたも随分偉くなったわね」と言った。これに対して三橋が「俺は他人の操り人形じゃない、これからは俺は、俺のためだけに生きたい」ときっぱりと断言。

 三条さんが、「そうかい、好きにすれば良い」、私も三橋皮膚科を次の中島皮膚科へ橋渡しできたら、「もう嫌な思い出ばかりの日本を離れて誰1人、めんどうくさい知り合いのいない外国に移住したい」と打ち明けた。そして彼女の過去を話し始めた。私は「北関東の貧しい農家の3女として生まれた」。「まともな食いものもなく、着るものも姉のお古ばかりで、小さい時は嫌な事ばかりだった」。兄弟たちが寝た後も、「ずっと綿入りはんてんを着て、寒さをこらえれ、眠くなると冷たい水で顔を洗った」。「世間様に馬鹿にされないように月明かりで必死で勉強」。そして准看護婦の試験に合格したと話した。

 その後、家を出て看護婦の寮に入った。「18歳の秋に内科のエリート若手の先生と恋仲になり天にも昇る数ヶ月を過ごし身ごもった」。てっきり結婚できると思い、その男に「結婚してと言うと、笑いながら家柄が違うから無理だと笑われた」。その後、「数ヶ月後、彼は他の派遣病院に出向となり、その後は手紙はおろか電話の1本もなかった」。昼間のアルバイト看護婦をしながら、「乳が、はると安アパートへ行き、子供に乳を与え、直ぐに戻ってる日々が続いた」。

 そんな昭和29年、「この地区でジフテリアが流行し、小さな我が子も感染し、あっという間に亡くなった」。それから「男は信用できないから利用するだけで心を許さないと決意を固めた」。そして必死で働いた。そんな時、「私と同じ様に親にいじめぬかれて、ひねくれる寸前の三橋君に出会った」。「そのひどい父親から解放して大学医学部を卒業させて、いっぱしの医者にした」。それからというもの「三橋君を支え医学部の皮膚科の教授にワイロを渡して入局させた」。その後、「口がうまくて優しい性格の三橋君に皮膚科医院を開業させた」。

 そして事務長として「橫浜市内でも屈指の患者数を誇る三橋皮膚科医院をつくりあげた」。「そんな大きな恩に報いず勝手に閉院する、不義理にも程があると激しく罵った」。すると三橋先生が、「そういう重荷を背負って生きてきたために身を粉にして働き心まで病んだ」と反論した。これからは「自分だけの力で生きさせて欲しいと涙を流して懇願した」。

 それも見ていた戸塚が、「私も三橋先生の言っている事は、まさに心の叫びだと思う」。「もういい加減に三条さんも三橋先生を1人させるべきだ」と大声でどなった。それを聞いて、三条さんが、「いいよ、いつも、私が悪者にされて、これだけ奉仕したのに何も、ご褒美もない」。「なんで神様は不公平なの」と小さな声で言った。言い終えると、あふれる涙で何も言えなくなった。そして酒をあおり、酔い潰れ戸塚と三橋先生がタクシーを呼んで三条さんのマンションに帰った。そこは古ぼけたエレベーターのないマンションで、3階まで2人が肩を貸して、彼女に部屋の鍵を借りて運び込んだ。

 すると部屋は1DKでテーブルと椅子とエアコンとテレビ、冷蔵庫、ガスコンロと頑丈そうな金庫があるだけで他に何もない殺風景な部屋。そして三条さんが戸塚に向かって、「お前は、金がなくて欲しいだろ、この金庫には1万円札の札束と宝石が詰まってる」と言った。「欲しいだろう、欲しかったら、私を殺して奪え」と言い、でも金庫は私以外、開けられないよと言い切った。

「不敵な笑いを浮かべて、男なんて、若い女の身体と金しか興味がないんだろ」と毒づいた。それを聞いていた三橋先生が飲みすぎだと言いコップに水を入れて三条さんに無理に飲ませようとするとコップを手で強く払いのけるとコップが宙を舞い床に落ちた。あわてて戸塚が雑巾で床を拭いた。そして、三橋先生が三条さん飲み過ぎだぞと言った。

 三橋先生が戸塚に帰ろうと言って、ドアをあけて外に出ると、三条さんが、三橋に向かって、「弱虫、また逃げるのかと、大声を投げつけた」。その声には応えず、三橋と戸塚は一目散に階段を降りて、待たせておいたタクシーで自宅へ帰った。
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