第1話:三橋実朝の幼少期と皮膚科開業

文字数 2,208文字

 東京の多摩の裕福な家に嫁いだ三橋佐織は1965年に長女、三橋多英を出産し1967年に長男・三橋実朝を出産。長女は愛想も良く、うわべだけは良い子のふりをして、みんなに好かれた。反面、長男の実朝は笑顔が少なく人の心を見透かしたような、そのまなざしは大人には可愛いとは思われず、生意気そうだ、反抗的だと評判が悪かった、しかし母の佐織は実朝の心は優しく、むしろ多英のうわべだけの愛想の良さの方が怖いと思っていた。

 それでも実朝は小学校の頃から聡明で与えられた絵本を直ぐ覚えてしまう程、記憶力に優れ、大人が以前言っていたことが都合が悪くなると違うことを言う矛盾に耐えられず、反抗。父に殴られる日々。そのため中学は、寄宿舎のある栄光学園で寮生活。しかし成績は優秀で常にクラスでトップクラス。たまに母が会いに来るのを唯一の楽しみにし、近くの喫茶店でケーキを食べ話をするのが心の安らぎだった。

 栄光学園高校でも抜群の成績で現役で東京大学医学部に合格し奨学金をもらい、父の援助を一切断り自分の家庭教師のアルバイトと奨学金で生活。その頃、母は体調を崩し肺を患い結核病院に入院して数年の闘病の後、死亡。母が余りに可哀想で葬式に出たが父に挨拶もせず逃げるようにして帰った。姉の方は実家の父が嫌いで、たまに身体を触ったりされフェリス女学院に入学。

 そこで大学まで出してもらうと直ぐに、お見合いし東京の実業家の息子と仲良くなり、東京世田谷の豪邸に、うまく入り込んでテニス、ゴルフ、海外旅行と上手にたちまわった。その頃、三橋は、大学を卒業し、研修医・インターンで多くの病院を飛び回る生活。以前の母の死を見て、死と直面し難い診療科、皮膚科を選び、東大皮膚科に入局し開業医の手伝いで、患者さんを増やせば儲かることを体得。

 そんな時、手伝いに行った皮膚科医院の奥さんが性格の悪い院長と毎日、口喧嘩。その奥さん三条光子が開業資金出すから新興住宅街の駅前で皮膚科開業しないかと三橋に持ちかけた。旦那さんに愛想尽かし離婚すると言い、開業資金は何とかすると約束。すると三橋が具体的な開業までのプランを説明して欲しいと告げた。その後、三条光子さんの開業プランの説明を受け、いけると判断。

 その後、医局に開業の許可を得るので半年待ってと言うと三条光子が間違いなく一緒に開業するんだねと念を押すので約束し念書にサイン。ついに1994年、医者になって4年の研修期間を終えた。三条光子さんは離婚し、開業資金を出して開業予定の横浜のマンションを探し三橋皮膚科医院を開業。そこは、別れた元旦那の皮膚科医院の最寄り駅から2つ目の駅、開業当社からアトピー、老人皮膚炎、美容皮膚科と宣伝。

 三橋皮膚科は、東大卒で人当たり良いと近くの大型マンションのお母さん方や老人に優しくて上手と評判が立った。院長が優しそうな若手で童顔の男子医師、その他、美人の女性医師2人とハンサムでスタイルの良い、いけめん男子医師をそろえ女性の患者が増えた。三橋実朝は患者さんへの説明が達人で患者の心を引きつけた。そのため3ケ月すると三条光子の別れた旦那さんの皮膚科の患者が減り、その後半減して1年後には医院をたたんで他の地域に移動して行った。

 そうなると三橋皮膚科は、患者さんがあふれかえり三橋の昼食は30分でパンを食べ飲み物で胃に流し込むという忙しい日々が続き事務長の三条光子も笑いが止まらなかった。そして毎月の様に大量に使用している製薬メーカーのプロパーに命じ、勉強会、懇親会、忘年会、新年会、送別会などの名目をつけては接待や寿司、ステーキ弁当の差入をさせた。

 その後、三橋院長が、ちょっと変ったプロパー戸塚伸二と馬が合った。そのプロパーは小さな製薬会社で広いエリアを担当し、橫浜市大病院の皮膚科の情報、この地区の医師会の皮膚科のボスの情報に詳しい。そして橫浜市皮膚科学会の時、医師会のボスの先生に三橋院長を紹介したり、大学の教授にも紹介した。すると三橋が若い皮膚科医でやり手ドクターと評判になった。

 その後も評判が良く、夏間には通常の診療時間は9時から12時半、15時から19時だったが、特に人気の三橋実朝院長は9時に診療開始し、昼休みは30分ほどで診療時間は9時開始、14時から14時半に午前の診療終了。午後は、15時から20時から21時までと超多忙。22時にビルは自動的に閉鎖され、たまに診療を終えて、あまりの疲れでソファーに座り寝てしまい起きたら明朝と言う事もあった。

 2年で開業時の費用を返済し3年目、1997年から儲けは自分達の報酬。しかし三橋実朝は女遊びせず、酒は飲まず、贅沢はしない堅実な生活。預金通帳の金額だけが増加。三橋実朝は、安アパートから三橋医院のあるマンションの2DKの8万円の部屋に引越した。月に1回、東京の世話になった大学病院の皮膚科カンファレンスに顔を出して上司の先生との交流をし、皮膚科のアルバイト医師を紹介してもらった。

 事務長の三条光子が、個性的なプロパーの戸塚伸二の会社の製品を中心に使う事を約束し、他社のプロパーも使い、忘年会、クリスマス会、新年会、納涼会、送別会、医院旅行、商品説明会を次々と企画させて職員の慰安会として利用。やがて三橋院長も診療に慣れ大学の若手派遣の先生を増やした。そして年に2回、正月休みを含め5日間と、夏休みとお盆の5日、海外旅行へ。
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