第7話:三橋医院の開業と欧州旅行

文字数 2,571文字

 その後、14時から午後診療を始めて、三橋先生が1人10分程度でスピードで診療を終え、18時半に受付を終了、19時に診療を終えた。午前中に18人午後に30人の合計48人を診療。診療を終えた三橋先生が平日は何とかなるが多分、土日の外来数は5割増70人以上来ると予想して対策を取らないと駄目だと話した。それなら土日だけパートの先生の応援を頼まないと無理と戸塚が発言した。

 その晩、電話で以前、話をした精神科の有田好美、神経内科の板東恵子に相談すると土日なら病院が休みだから手伝っても良いと言ってくれ来ることになった。三橋先生が休診日に、大学病院の医局へ行き、医師の科研を要請に大学の消化器科、循環器、呼吸器、消化器、精神科、心療内科に話しに行った。不定期だが若手の先生なら派遣できると言われ先生の頭数はそろった。
 
 翌日、8時過ぎに戸塚が来ると、既に三橋先生が来ていた。診察を終えた後、患者さんに薬の服用方法、日常生活で、特に注意しなければならない事を懇切丁寧に説明したほうが良いと言うと戸塚も同意。時間は10分足らずで良い。それで多分、患者さんが熱心な医者だと感じてくれるはずだから2人の薬剤関係者と一緒に実行して欲しいと言われ了解した。

 例えばと言い、受付の人が戸塚に「服用と書いたメモ」を渡すと、「食後20分後に毎回3回TM錠を忘れずに服用すると治りが早い」と声をかけたり、「緊張と書いたメモ」を出すと、「患者さんに意識して緊張をほぐし、笑顔で人と接するように心がけましょうね」と声かけするよう頼んだ。もう1人のMR経験者の両角君にも教えた。その後、今日から試験的に実施して見ると患者さんの評判が良い様だ。

 ただ口頭での患者指導・治療「ムンテラ」は、基本的に保険が効かないので薬の処方が少ない割に治療費が高くなる。そのためか思ったほど患者さんが増えなかった。それが幸いし平日40から50人、土日70人から90人程度で、それ以上、患者数が増えず対処できた。もちろん以前の皮膚科に比べてスタッフも多く医者の懐に入る純利益は半分以下となったが水曜、木曜日が1日休みで、身体は楽で三橋先生は上機嫌。

 患者さんも2週間に1度の通院で症状が安定してる患者さんは薬を4週間分処方し、少しずつ月あたりの再来受診者数を増やした。そのうちに2004年も4月を迎えた。4月5日、月曜日の朝8時半に戸塚に証券会社の担当者からヤフー株上昇してるから140万円で売り指し値が良いと思うと連絡が入り直ぐに三橋先生に言うと君に任せるというので2人とも140万円で売りと指示。

 結果はメールで返してくれと言うと、昼過ぎにヤフー株、全部売れ、三橋さんと戸塚さんの口座残金が9520万円となったと知らせが入った。これで三橋先生が今迄の皮膚科で稼ぎが2億円だから資産合計が3億円、戸塚は退職金やその他の株の儲けをいれて資産が約5千万円で合計1.5億円となった。この日も三橋先生の腕で50人を診療。診療後、戸塚が、一緒に食事に行こうと言った。

その時、車中でヤフー株が売れ9520万円の儲けと言うと、三橋が思わず信じられないと破顔一笑。それなら患者さんを減らし週休3日にしようと言い、次週から火、水、木曜を休診日にした。その後、戸塚君ここの診療所の1階が物置になってるのを片付け家賃をとらないから住んで欲しいと唐突に語った。何でと聞くと三橋先生の友人の開業医の診療所に泥棒が入った。

 ところが医院には何も金目の物がないのに泥棒が腹をたて医療機械や硝子を壊されて大変な目にあったと話した。戸塚は快諾し現在の2LDKの12万円のマンションを引き払い来月から、ここに住むことにした。その結果、家賃、年間144万円、電気、ガス、水道代で最低、年間36万円として180万円が浮くと心の中で戸塚はニッコリとした。週休3日の実施は半年後の10月5日に実現された。

 そのため6週間の薬剤投与を継続し再診の間隔を基本的に6週間とした。三橋が精神科の有田好美から若手精神科医の給料が減る言う話も大学での仕事があるからかまわないと言われ安心した。更に3人の30歳代の医師、椎名里美、根来一平、長谷悦夫、彦根啓太の4人を紹介してもらい、三橋は日曜と月曜だけ外来に出て、その他を有田好美に任せて外来をしていく様にした。

 そして週間スケージュルを組み8月に、その順番での外来に変更。もちろん給料が増えた有田好美、椎名里美、根来一平、長谷悦夫、彦根啓太は大喜び。その後、三橋と戸塚は毎月、世界のカジノを回ろうと考えた。それでも、三橋の懐には年間3千万円以上の収入が中島皮膚科と三橋心身科医院から入ってきて戸塚の飛行機代は全て三橋が支払うと言った。それ以外の自分のギャンブル代金とホテル代などを戸塚が自分で払うという答えられない生活を続けた。

 早速9月14日に朝9時に横浜を出て上野経由でスカイライナーで11時過ぎに成田空港へ到着しフィンランドエアーの飛行機でヘルシンキ空港に着いた。90分待ちでベルリン行きの飛行機に乗り換え9月14日17時にベルリン空港へ到着。スピールバンク・カジノの近くのホテルにチェックインした。その晩は、早めに床についた。翌9月15日、三橋と戸塚はバカラとポーカーが好きでカジノへ向かった。

 今回は最初、ポーカーを楽しむと意外についているのがわかった。一方、バカラでは、つきがなくポーカーをする事にして時間を忘れて没頭。戸塚のつきが大きくと掛け金を少しずつ増やし儲けた。その後、お腹が空くと簡単なサンドイッチをつまんでポーカーを続けた。一方の三橋は、つきがなく気分転換に歓楽街の情報を入手しようとフロントの男性に、ここから近い歓楽街はどこか聞いた。

 ここから約10km離れた所のドイツ・ベルリンFKK「アルテミス」がお奨めだと言った。多くのタイプの女性がいて好みのタイプを選べるし、年齢が低くてヨーロッパ各国の女性が大勢いると笑いながら説明した。1プレイが80から100ユーロで1、2泊すると十分に楽しめるよと教えてくれるとホームページもパソコンで見せてくれた。この日は休みなくポーカーを楽しんだ三橋と戸塚は23時過ぎに部屋に帰り、爆睡。
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