第17話:ベガスで皮膚科開業1

文字数 2,662文字

 なぜラスベガスなのと聞くとアメリカでも大都会は嫌いで有名な観光地は医者が多く入れない。まさかギャンブルしながら患者さんが来たら診療所に戻り診察するですかと、聞くと、そんなのは無理と言った。三橋が、砂漠に朝日が上がる時のあの独特の雰囲気のラスベガスが好きで、スピリチャルな雰囲気がたまらなく好きなのでと言うと、驚いた様に、そうなんですかと三橋の話を聞いた。

 三橋先生と戸塚さんがアメリカン人の美人さんの彼女がいて、年に数回、海外旅行へ行って楽しんでるという噂も三橋医院で出ますがと言うと、それについてはノーコメントですと言った。とにかく医師としてアメリカで自分の医師としての手腕を試したいと言う気持ちが強いと強調。これまで、ここで努力してきた有田先生に後を引き継いでもらうのが筋だと思い、この話をしているのですと強調した。

 もちろん三橋先生の申し出は、私にとって非常にメリットがあるしありがたい。しかし私は、そんな大金を持っていないので買収できないと言った。それなら、いくつかの条件を今から提示しますので検討して下さいと言った。まず三橋医院の現在の評価額が1億円としましょう年5%の金利で30年で考えると総額2.5億円。2.5億円を30年、360ヶ月で均等払いにすると月間69.5万円、均等払いと言った。

 つまり土地建物の家賃をいれても月72万円均等支払いでどうですかと聞くと有田先生が今の状況で考えると月に最低125万円の利益が出ていますから支払えますと言った。それで本当に良いのですかと有田先生が確認。有田先生が私も大学病院の精神科医局長と言っても給料は多くないし安いマンションの1人暮らしで医局長になって10年が過ぎ、大きな病院に就職するか開業する時期に来ていると語った。

つまり大学病院も年功序列制で入局後10年以上経った先生が10人以上もいるので、後がつまっていると打ち明けた。それを聞くと、三橋先生が、それなら、この話は渡りに船じゃないですかと告げた。そうねと言い、でも何か、きつねにつままれた様な上手い話ですねと言い上手い話には気をつけろという格言もあるしと言い笑った。とにかく、ありがたい、お話をいただきありがとございます。

 今週中に結論を出す予定で良いですかと有田先生が三橋に聞くと結構。是非、検討して下さいと言い、最後に我々の今後の人生がうまくいきますようにと言って乾杯し、話を終え、店を後にした。その後、すぐに、この話を戸塚にしてラスベガスでクリニックを開業したいと思っているけど、その時は戸塚君も一緒に手伝ってくれるかと聞くと興味あると言いキャシーがラスベガスに来いと言っているし手伝いますと言った。

 今晩、付き合ってくれと言われ仕事を終えてから2人で話をする事になった。今週中に有田先生が、ここの三橋医院を購入するかどうか結論が出る。そこで買ってくれれば、ラスベガスのネバダ州の大学病院に行って研修を受けたいと三橋が言った。申し込み許可が下りれば1年の研修後、正式に開業できる。もう既に、日本で開業経験が長いので大学病院で研修しながらでも開業先を大学病院の付属にすれば診療もでき、その期間も研修期間に含まれると話した。だから最低でも2012年には正式開業できるはずだと伝えた。

 ただし、いくつかのハードルがあり、それらを全部クリアーできた場合という条件付きだがねと説明しその後、ラスベガスの医療状況を調べて見ると日本人医師は小児科専門医師1人だけで競争はない。また近年、ラスベガスには、世界中のお客さんが増え、リーマンショックが過ぎれば、また好景気が来る。そうなれば大学病院でもベテランと皮膚科、の医師がいればメリットが大きいと述べた。

 そして有田君に頼みたいことは開業する時の診療所と弁護士、スタッフ探しとなるが、それも1年近く先の話になると言った。その間、新横浜の現在のクリニックで事務長として仕事を継続してくれと言われ、了解しましたと答えた。これで、決まりだなと言い前途を祝してと言い乾杯して帰った。その後、2月22日の朝に三橋が診療所に出ると、有田先生が三橋の院長室に来て、先日のクリニック買い取りの話、お引き受けしますと言った。

 条件は毎月72万円の30年払いでお願いしますと答えた。そこで正式な契約書は後日作成して契約を交わしましょうと三橋が言い握手した。その日の昼、三橋が戸塚に有田先生の買収話が成立と教えた。支払い方法とた契約書の作成を依頼。3日後エクセルとワードで支払い方法と書き入れた売却契約書と戸塚が作成した。三橋に見せ、数ヶ所の訂正があったが、直ぐ、うちに直して、正式な契約書と3通。

 三橋、有田と、万が一の場合用に戸塚も1通持つ事にした。2011年3月3日に新横浜の料理屋の個室で三橋、有田と戸塚の3名で契約書を取り交わした。しかし、この話は三橋が渡米する時までは口外しないように約束。これで直ぐに三橋はラスベガスの大学病院の皮膚科の教授に面会の約束の手紙を送った。3月5日にラスベガスの大学病院皮膚科トミー教授から正式に面談したいので来る様にとの通期が届いた。

 そして3月5日、成田空港へ戸塚に送ってもらい17時発の便に乗り、ロサンゼルス経由で14時半にラスベガス空港に着きレンタカーでラスベガス郊外の大学病院へ入った。
ラスベガスの大学病院の皮膚科のMS教授が手紙な内容はわかった。大学病院で週3回、開業先で週3回の診療をしてくれと言い入局を許可してくれた。最近、ラスベガスに日本人、富裕層が長期滞在するので助かると言った。

 その後、戸塚は連絡していたキャシーに会いに彼女の新居に着いた。その家はツーバイフォーの窓が小さく、大ぶりのいかにもアメリカの住宅と言った感じで、木造3階建てで間取りが4の寝室と3つの風呂で、3世帯が住める大きな家。もし経済的に困ったら部屋をリースできると言った。三橋が大学病院で14日間医療研修で大学病院に通うので部屋を貸してもらい戸塚は、キャシーと結婚し同居すると宣言。

 その家は、ストリップ大通りの中心から車で20分南部、マンダレイベイから約2km、空港から2kmで南部プレミアムアウトレットまで500m、ホール・フーズ・スーパーマーケットも500mと便利な場所。大学病院から8マイル、約13kmの場所にあった。そしてキャシーは戸塚との再会を喜んでくれ、まず車で食料品類を買いに出かけた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み