第2話:三橋と戸塚コンビの活躍

文字数 2,281文字

 その時、仲の良い戸塚も一緒に行動。すると三橋先生がギャンブル大好きな事がわかり、最初はラスベガスに泊まり戸塚はギャンブルは好きではないが付き合い、場末のアダルトショーにも出かけた。最初は1人ずつツインルームに泊まっていたが、そのうち三橋先生の部屋から夜な夜な変な声がした。それを三橋先生に聞くとカジノで2人組の女性の1人に声をかけ、英語を教えてと口説きブリンブリンのグラマー女性を連れ込んだと白状。

 部屋で酒を飲んで、くんずほぐれずとなり最後は天国を見て昇天したと笑いながら言った。それから毎晩のように英語以外のレッスンのために女の子を呼ぶようになった。そして戸塚君も独身であり、楽しい夜を心いくまで楽しんだ。翌日は、そんな話で盛り上がり朝食をすませた。あっという間に4泊5日が過ぎ日本に帰った。その後、年に数回、時間ができればラスベガスへ通った。

 3度目の旅行の時、三橋先生が一緒に「チキンランチ」へ行こうと言うのでチキンランチよりもビーフステーキの方が良いなと言うと、笑いながら食べ物じゃないと言い超高級な男のオアシスだと言った。仕方なく2日目の朝10時にホテルからタクシーで1時間半かけて砂漠な中のとんでもないところに派手な看板の店があり私は怖いから待っると言うと三橋先生がカーテンの中に消えた。

 午後14時過ぎに三橋先生がにやけた顔して出てきてスゲー美人だったとか柔らかかったとか、ちょっと放心状態のような感じで濃いめのコーヒーを頼んだ。そして軽い昼食を取って何もない砂漠の道をタクシーで1時間半走りホテルに戻って来た。そして昼間はギャンブル夜はグラマーな、ねーちゃん三昧の日々もあっという間に過ぎて日本に帰って来た。

 その後、毎年2回以上、ラスベガスへ。2000年10月12日、仕事を終えた三橋先生が、折り入って話があると言われた。話を聞くと三橋先生が一緒に三橋皮膚科で薬剤師としてペアを組んで小児のアトピー性皮膚炎、老人性掻痒症、乾皮症、美容品、日焼け止めの使い方などを外来患者さんに説明し患者指導をし、軟膏、クリーム、塗布剤の使い方の指導などをして欲しいと言われた。

 皮膚科に来てる患者さんの相談を直接や聞くと更に患者が増えると三橋院長が解説。医者が足らなければ大学の研修医の応援も増やすと約束。給料は5百万円で休みは週一日、夕方は夜7時までと言う条件でどうかと聞かれ戸塚は快諾。やがて若手の研修医の卒業生に交代で診療してもらい1週間の休みを年に最低2回、最大4回取れるようにしたいと話した。

 更に三橋先生が戸塚に結婚する相手もいるのと聞くと戸塚が先生と同じで広く浅くですと笑った。この話の回答はいつまでですかと戸塚が聞くと1週間以内と答えた。でも決して無理はしないでくれ、後で困るのは、お互い嫌だからと優しく告げ、了解と戸塚が言って帰った。戸塚は、その後、東北の小さな漁村で育ち、奨学金をもらい東北薬科大学にはいれ薬剤師になった昔を思い出した。

 昔から、次男坊で親に期待されずに育ったのを思い出し、この話を両親に話さないでおこうと考えた。酒を飲みながら今迄の人生を振り帰った。人に縛られるのと命令されるのは大嫌いで、よく両親に反発したことを思い出した。三橋先生と組めば、金銭的に路頭に迷うこともまずないだろうと考え、同意しようと決意。翌日、三橋先生に、会社を辞め、先生と一緒にやりたいと答えた。

 事務長にやってる仕事を聞いて戸塚はメモ。昼休みになり昼食の時間はいつも決められた弁当を取って食べた。この費用も全部、三橋皮膚科で支払ってくれた。でも本当の理由は少しでも患者さんを見る時間を多く診るための工夫。あらかじめ患者さんの情報を細かく知ることで外来診察の時間短縮につながり、とにかく診療の速さは素晴らしかった。

 三橋先生の患者さんを引きつける柔和な笑顔と話し方、患者さんの話に耳を傾け決して真っ向から反論せず、こうした方がもっと良いよと諭すように治療しくいくやり方は神業に近いと驚かされた。それを見て戸塚が患者さんが増えたわけが理解できた。そのため三橋先生に診てもらいたい会いたいという信奉者が多いのには唖然とした。

 9時から12時半まで3時間半で50人をこなした。1人当たり約4分だ。その代わり、看護婦やスタッフが、その後の処置や説明、指導を補助していた。午後2時から7時半まで3時間半で73人、合計1人で123人の患者さんを診たり。その話をすると三条光子事務長が土曜日なんか150人を診るよといった。ただし看護スタッフを2人増員して6人にして大学からの研修医が2人応援に来ると説明。

 そのため経費が多いので収入の金額の割に純利益も多いと笑った。そして今年の忘年会の協賛員を事務長の三条光子がプロパーさんからしっかりと集めて横浜中華街の重慶飯店の個室を予約して忘年会を開いた。ちょと辛めの麻婆豆腐が絶品、その他にも回鍋肉、青椒肉絲、シューマイなど、残った料理を包んでもらい看護婦さん達の子供さんのためにお持ち帰り。三橋先生と戸塚は体力温存のためにその後、自宅に直帰。

 そして2001年があけ今年もインフルエンザが流行り三橋は、毎日マスクを替えアルコール消毒を欠かさずニンニクを使った体力のある食事を心がけた。三橋医院では冬場に悪化するアトピー性皮膚炎の治療教室を開き、戸塚が、アトピー性皮膚炎の症状に応じたステロイド軟膏の使い方や保湿剤、高級なワセリン・プロペトの使用方法を懇切丁寧に教えた。
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