母と黒い粒

文字数 291文字

「もう来ないでって言ったでしょ」
 夕方の台所から、母の声がした。そっと台所を覗くと、母がテーブルの前に座っていて、その母の目の前に、何か黒い粒があるのが見えた。
 よく見るとその黒い粒は、一匹の蟻だった。
「何なのよ、もう」
 母はうつむいてすすり泣きを始めた。蟻はしきりに触角を動かしていた。謝っているような動きに見えた。
 母はしばらく泣いていたが、急に泣き止んで、立ち上がり、背後の食器棚から砂糖壷を取り出した。
「これで最後にして」
 そう言って母は砂糖壷の蓋を開けた。蟻は壷の中に入り、砂糖を一粒抱えて出てきた。
「私、もう母親なのよ」
 母の言葉に、蟻は何も言わず、台所を去っていった。
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