心中吐露々々
文字数 1,311文字
私には妻と二人の子がいる。
近頃、次女が保育園入園となり、妻が復職した。それ以来、我が家での妻と私は、どこかギクシャクしてしまい、会話も笑顔も交わしはするが、棘を含んだ発言や相手の不満を口にすることが増えてしまった。当然、妻を愛していた気持ちも少し萎えてしまい、私は時々そのことに焦燥を感じて、あれほど「妻を大切にすると決めていた」じゃないかと自省することも頻繁となった。
そんな折、私の職場に異動があり、若手女性社員が配属され、私は彼女の指導役となった。私の職場は、社内では比較的心に余裕を持てない側の職場で、一人一人が自分のノルマをこなす事に精一杯という状況だったが、このジェンダーフリーの時代にどうなのかと思いながらも、私の中で女性に残業をバリバリさせるというのは忍びなく、私は彼女のフォローに入ることが増えた。必然、彼女と雑談もよく交わすようになり、面白い感覚を持っていると好感を抱くようになった。
それが良くなかった。
話していると、昔の妻に良く似たところがあって--というよりも、他人にそれほど興味ないから興味ない人には結構適当に接するところとか、少しボケているところとか、昔の妻にとてもよく似ていて、つい楽しい気持ちになってしまうのだ。そして、ふと見せる可愛げのある話や所作を見せつけられ、チャンカワイの至言「惚れてまうやろー!」と、心中で呟く場面が出てくるようになってしまったのだ。
勿論、私は妻や子供らの心に傷を創りたくはないから、浮気だ、不倫だと、不純なことをすることはない。しかし、内心妻と付き合っていた頃のように、時々心がキュンキュンすることがあり、これは心の浮気ではないか、と暗澹たる気持ちになることが、最近の常になりつつある。(残業も課内で一番するようになった上、最近は「妻というものがありながら、なんという意思の薄弱さか」という自省もあって、最早全てを捨てて、「どこか遠くへ行きたい」が独り言の主となってきた。)
しかし、未熟ながらも一端の物語を書く者としては、感じる心や他人を好きになる心を否定したくはなく、最近は心の在り方について思い悩む日々となっている。
そもそもとして、正直私は彼女自身のことを好きなのか、彼女には失礼だが"妻に似ている"彼女が好きなのか、分かりかねている。もっぱら私がチャンカワイになったのは、妻に似ていると気付いてからだが、それ自体心の言い訳なのではと自疑することがあって、判断は付いていない。
その上、私はただ今現在が、業務繁忙や育児疲れなど心中辛いところがあって、「今、妻とうまくいないから、表面上うまくいっている彼女との関係に心地良さを感じているだけではないか」という自己分析も持ち得ていて、そもそも妻との萎えた気持ちの分の心の熱量を誰かに注ぎたいだけではないかという、血気盛んな若者が持て余した心を喧嘩に向かわせるような、そんな心の現象なのでは、と思う面もあって、なかなか結論を見ない。
種々理論立てて書いたが、兎に角まあ私は、今若手社員に鼻を伸ばしていて、オジサンなのにみっともないという状況にあるのだということだ。
そこで、五十代で恋をしたらという話を思いついたのである。
近頃、次女が保育園入園となり、妻が復職した。それ以来、我が家での妻と私は、どこかギクシャクしてしまい、会話も笑顔も交わしはするが、棘を含んだ発言や相手の不満を口にすることが増えてしまった。当然、妻を愛していた気持ちも少し萎えてしまい、私は時々そのことに焦燥を感じて、あれほど「妻を大切にすると決めていた」じゃないかと自省することも頻繁となった。
そんな折、私の職場に異動があり、若手女性社員が配属され、私は彼女の指導役となった。私の職場は、社内では比較的心に余裕を持てない側の職場で、一人一人が自分のノルマをこなす事に精一杯という状況だったが、このジェンダーフリーの時代にどうなのかと思いながらも、私の中で女性に残業をバリバリさせるというのは忍びなく、私は彼女のフォローに入ることが増えた。必然、彼女と雑談もよく交わすようになり、面白い感覚を持っていると好感を抱くようになった。
それが良くなかった。
話していると、昔の妻に良く似たところがあって--というよりも、他人にそれほど興味ないから興味ない人には結構適当に接するところとか、少しボケているところとか、昔の妻にとてもよく似ていて、つい楽しい気持ちになってしまうのだ。そして、ふと見せる可愛げのある話や所作を見せつけられ、チャンカワイの至言「惚れてまうやろー!」と、心中で呟く場面が出てくるようになってしまったのだ。
勿論、私は妻や子供らの心に傷を創りたくはないから、浮気だ、不倫だと、不純なことをすることはない。しかし、内心妻と付き合っていた頃のように、時々心がキュンキュンすることがあり、これは心の浮気ではないか、と暗澹たる気持ちになることが、最近の常になりつつある。(残業も課内で一番するようになった上、最近は「妻というものがありながら、なんという意思の薄弱さか」という自省もあって、最早全てを捨てて、「どこか遠くへ行きたい」が独り言の主となってきた。)
しかし、未熟ながらも一端の物語を書く者としては、感じる心や他人を好きになる心を否定したくはなく、最近は心の在り方について思い悩む日々となっている。
そもそもとして、正直私は彼女自身のことを好きなのか、彼女には失礼だが"妻に似ている"彼女が好きなのか、分かりかねている。もっぱら私がチャンカワイになったのは、妻に似ていると気付いてからだが、それ自体心の言い訳なのではと自疑することがあって、判断は付いていない。
その上、私はただ今現在が、業務繁忙や育児疲れなど心中辛いところがあって、「今、妻とうまくいないから、表面上うまくいっている彼女との関係に心地良さを感じているだけではないか」という自己分析も持ち得ていて、そもそも妻との萎えた気持ちの分の心の熱量を誰かに注ぎたいだけではないかという、血気盛んな若者が持て余した心を喧嘩に向かわせるような、そんな心の現象なのでは、と思う面もあって、なかなか結論を見ない。
種々理論立てて書いたが、兎に角まあ私は、今若手社員に鼻を伸ばしていて、オジサンなのにみっともないという状況にあるのだということだ。
そこで、五十代で恋をしたらという話を思いついたのである。