書きはすれども

文字数 1,079文字

 ネタを一二日くらいで思いついたので、勢いで書いた『奇術(探偵)部の山縣君』。ですが、二日かからず書き終えて、結構良い関係性の二人を書けたんじゃないかと嬉しくなり、続きを書いてみる事に。なら、「入部のときの出会いを描いてみるか」と思い、入部試験があったことにしようと。そして、「その内思い付くだろう」と二話目を、入部試験のトリックが思い付かないまま書き出し、投稿。現在もトリックが思い浮かばず。トリック、トラック。夜中にプレッシャーで目が覚める事態。いや、プレッシャーはそれのせいではないか。

 最近、妻に対して怒りを感じる事が増えています。妻も余裕がないからそういう行動になっているのだろうと頭では理解すれど、「オレも辛いんじゃあ!」と言いたいけど言えない日々(家庭内のパワーバランスは妻が上なのだ)。私も余裕があれば、さらりと流せるのでしょうが、そんな余裕はなく、何というか「学生の頃とはもう違うんだな」と思う日々。妻も昔の方が可愛げがありました。私も高田純次を目指していましたし、妻のわがままも「可愛い奴め」と許せていました。今はお互い可愛げがありません。こんな何処かもやつく気持ちも小説に出来たら少しは人に評価されるようになるでしょうか。

 家庭を自分の生きるヨスガとしているのですが、最近は家庭に疲れているところがあります。手前味噌ながら「結構いい父親(夫)してるよな」と思う一方、時々道端で出会う父親勢の一場面を目撃して「オレはダメな方の父親(夫)だろうか」と卑下する面もあり、自分ごとながら矛盾した心を持ちうるところ。人と比べても幸せにはなれないし、ダメな自分も受け入れた方が精神的に楽なのは重々承知しながらも、やっぱり「こうありたい自分」を求めてしまうし、正直求める事が良い事と思っている自分。
 世の風潮として、「ありのまま」や「辛い事からは逃げ出す」ことが重要視されている事は分かりつつ、辛い事と向き合う事で得られる事もあると、それを部分的に否定したい自分もおり(逃げた方がいい問題と逃げずに向き合った方がいい問題があり、ただ無責任に「逃げる事」だけを推奨するように感じられる近年の風潮に疑問)、矛盾が常に自分の胸中に在る。その矛盾への自覚が多分精神的苦痛をもたらしていて、気持ち悪さをもたらしていて、それが日常のストレスとなっているのだろうと思うところです。
 ストレス解消のはずの駄文を重ねる日々にも時々疲れを感じるところ。父でもなく、夫でもなく、社員でもなく、兄でも弟でもなく、ただ何も役割の無い、人間としての休みが欲しいと希求するなもし。
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登場人物紹介

チン・コロッテ

 よくチンチン(電車)に似ていると言われる五十代の男。職業は一級セクハラ士で、決め台詞は「坂道下る君の心の恋人、どうもチン・コロッテです」。アイドルに詳しくないが、アイドルという文字を見るとムラムラする。

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