第14話 オレの非道な仕返しを難なく返され、苦悶することになるオレ

文字数 3,223文字

水出し緑茶の入ったガラスコップをソファ前の低いテーブルにコトリと置く。

「ほらよ。冷たいお茶。」
「うわぁ、ありがとう!冷たいお茶?すぐ出てきたけど、どうやって冷やしたの?」

オレはダイニングテーブルに戻り、椅子に座りがてら答える。葦名はコップを両手で包むように持ったまま、オレを目で追って体を捻った。ソファの背もたれ越しに会話する。

「ウチは、水出し緑茶が水代わりなんだ。だから、作り置きがある。熱い緑茶を冷やしたんじゃなくて、元々冷たいお茶をコップに入れただけ。」
「すごーい。水出し緑茶をいつも飲んでいる家って、初めて聞いたかも。なんかウッチーの家って変わってるね。」

そう言って葦名はこちらに微笑んだ。ウチが変というのは少し引っかかるところがあるが、それはまぁいい。その笑顔にオレは満足する。とてもいい笑顔じゃないか。それがただの水出し緑茶ではないとも知らずに。

ふふふ、そう!葦名のお茶には小細工をしておいたのだ。こっそりと塩を振って、しょっぱくしてある。初めて上がる家でなかなかお茶がまずいとも言えまい。とくと味わうがいい。しょっぱいお茶を!

そんな思惑を持つオレは、今か今かと葦名が飲むのをこっそり待ちつつ、自分のただのお茶をずずずと啜る。さあ、早くその苦しむ姿を見せよ!すると、葦名もそれを見て、コップを掲げてこちらへ意気揚々と宣誓する。

「じゃあ、いただきまーす。」

葦名の淡い桃色の唇が、ガラスコップにぷわりと触れて、コップの傾きに合わせて、透き通った緑の液体が水平を保って、コップの縁までジワリジワリと迫っていく。そして、遂にコップの縁まで辿り着いたその緑色の液体は、その桃色の洞窟の中へと吸い込まれるのだった。

やった!
オレは内心ニヤニヤしながら葦名を観察する。さあ、お返しされた気分はどうだ!?どんな反応をするんだ!?





…あれ?
葦名はお茶を含んだ後、数秒経っても飲み込むこともなく、コップを両手で抱えて、無言でお茶を見ているようだった。

しょっぱまずくなる程度には塩を入れているはずだ。想像では噴き出すか、すごい顔をするかと思ったが。塩味のお茶なんて、想像するだけでも不味い。オレは絶対飲みたくないし、間違って飲んだならすぐ様吐き出すだろう。

しかし、葦名の横顔は平然としていて、口にお茶を含んだまま、お茶を見つめているようだった。オレは思考を巡らす。もしかしてコイツ、バカ舌か?

ソワソワしながら様子を窺うオレに、葦名が目を向ける。その顔はやはり無表情である。オレはギクリとしながらもその真意を図りかねて固まった。

しかし、それも一瞬のことで、途端に葦名は猫が雀を捕まえる時のように素早い動作でオレの手のコップを取り上げて、それを飲んだ。あっ。そして、なぞなぞを解いた時のように笑顔で叫ぶ。

「やっぱり!」
(しまった!)

「変だと思ったー!」

そして笑顔から、含みのある悪戯な怒り顔に変容して、オレを睨みつける。

「やったな、お主〜。」
「な、何の事だ?」

オレは精一杯とぼけて見せる。しかし、通用するはずもなく撃沈する。

「塩!塩振ったでしょ!」
「ま、まぁな。」
「ひどくない!?全然美味しくないんですけど。」
「家ではそれが一つの流行りなんだ。」
「そんなわけないでしょ!」
「ちなみに、茶葉は静岡じゃなく、宇治市のものだ。」
「どうでもいい!」
「おいおい、ひどいな。」
「今は!話逸らさないで!」
「くっ。いや、アンタもさっき言っただろ?ウチは変なんだよ。」
「うそっ!」
「いや、マジだよ。宇治市ならではのお茶の甘味を感じられるって、父も母も喜んで飲んでるぞ。」
「うそだー!」
「マジだよ。」

目を合わせることもなく冷や汗を滴らし、必死にその場ででっち上げた嘘を信じ込ませようとするオレを、葦名は頬を膨らませて覗き込む。そして、葦名の塩茶をオレの顔面に突き付ける。


「じゃあ、飲んでよ。」
「えっ?」

「私のこれ、飲んでよ。」

オレに王手がかかる。必死にここまで嘘をついてきたが、無念。これ以上勝ち筋は見えない。もう投了するしかないか。流石にこれを飲みたくはないからな。

「分かった。すま…」
「嘘だったら佐野さんとのこと言うから。」

オレの体がまるで蝋人形のように不自然に停止する。葦名はオレの言葉を遮り、ヤクザが風俗勤めを嫌がる借金塗れの女性に「臓器は高く売れるけえの。」と脅しをかける時のような悪どい笑顔で言う。

「飲まなくても言う。お母さんに。」

しっ、しまった!コイツにはまだ奥の手があった!正しく大富豪のジョーカー。UNOのワイルドカード。オレは投了することすら許されないっ!なんて事だ!

オレは唾を飲む。なんて答えるか。それによっては、オレの家すら葦名による災禍の渦中に、いや火中となるだろう。

「まあ、落ち着けよ。ほら、口に合わなかったなら、新しいの出してやるからさ。」
「ダメ。飲んで。」
「いやまあ、飲んでもいいけどさ。ほら、あれだろ。」
「なによ。」
「オレ、塩アレルギーなんだよ。」
「…佐野さん。」
「ごめん、今のは冗談だ。」
「なら、ほらあれだ。知ってるか、葦名。」
「何?」
「塩は昔貴重だったらしいな。」
「知ってる。」
「だから、上杉謙信は困っている武田信玄に塩を贈ったらしいな。」
「知ってる。それで?」
「オレもそれに倣った。だから、葦名という敵に塩を贈ったんだよ。」
「いいんだね?」
「すまん。今のはノーカンで頼む。」

必死の時間稼ぎも虚しく、王手がかかり続ける。仕方ない。オレも禁じ手に出るしかない。オレは一つ気付いていたことがあった。


そう、それは"それを飲めば間接キスになる"という事だ。厳密に言えば、さっきオレのを葦名が飲んだ時点で間接キスはしているのだが。しかし、それをオレ自身が認識してしまえば、オレも途轍もなく恥ずかしくなってしまうから、頭のどこかに過りながらも無視していた。故にこれまでそのワードは使わずにいたのだ。とは言えこの状況。言うしかないのではないか。しかし、それを言うのは、とんでもなく恥ずかしい気がする。もし、葦名が気にしてないならこちらだけまるで恋愛経験がないようで、「間接キスもしたことないの?」と馬鹿にされ兼ねない。かと言って、葦名が気にするようなら、更にお互い恥ずかしがり喋れなくなり、とても気まずい時間を過ごさなくてはならないのではないか。しかし、ここで負ける訳にはいかない。突如としてオレの中の闘志が燃え上がる。

「いいのかよ、葦名。」
「なにが?」
「アンタのそれを、オレが飲むと言うことは…」
「?」

オレは手でコップを飲むようなジェスチャーをしてから、自分の唇をちょんちょんと叩いた。

「またふざけてんの?」

葦名は目を細めて、呆れた顔をする。朝と似たようなバーサーカーモードに突入した葦名は、これほど分かりやすいジェスチャーもわからないようだった。言いたくないけど、言うしかない。オレは覚悟を決めた。

「い、い、いいのか?」
「だから、何が?」
「つまりさ。」
「うん。」
「これはさ。」
「か、」
「か?」
「か、か、か」
「か、か、か?」
「間接…」
「関節?」

深呼吸ひとつ。


「間接キスだぞ?」

オレは炎天下の部活後くらいに火照る顔を精一杯隠すために、口角を引き攣らせながら持ち上げて、まるで不敵な笑みとでも言いたげに笑顔を作り上げた。葦名は、ハワイのビーチから見る夕日のように、耳まで真っ赤にして目を見開き、お互いそれぞれ思うとこあり、二人して黙った。そして、数秒。


「…んで。」
「えっ?なんて?」
「…のんで。」
「はい?」

オレはわざとらしく耳に手を当てて、声量を上げるように促す。途端、葦名が叫んだ。


「いいから飲んで!!!」

赤らんだ顔。叫び声。耳がキーン。
あっ、これ、前にもなかったっけ?そうそう、前もあった。あのときは何で怒鳴られたんだっけ?そうか、オレがすぐ友達作り辞めさせようとしたからか。まーた、やっちゃったよ。

そう、オレは本日二度目の葦名の逆鱗に触れたのだった。
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