第2話 クラスでボッチを極めるオレと美少女の登校時の邂逅

文字数 3,152文字

枕に顔をうずめて叫びたくなったり、頭を壁に打ち付けたくなったり、そんな嫌な、忘れたい思い出が沢山ある。

それらの記憶は、あるときは学校で、またあるときは電車で、またまたあるときは交差点で、あらゆる場所でフラッシュバックして、オレの胸を万力のように締め付けた。

何か一つキッカケとなる記憶の鍵が目に入ると、嫌な思い出は次から次へと墓地を漂うゴーストのようオレに近づいてきて、目を逸らそうとしても耳元で囁いてくるのだ。

「よぉ、あのときお前。すげえから回って、女子に引かれてたよな!」
「そういえば、テスト勉強も頑張った割に60点!」
「お前、何も知らずにアイツの彼女に告白しちゃってヨォ…」

そうやって、際限なくオレを苦しめる。だから、オレはこの嫌な記憶の連鎖を、"百鬼夜行"と呼ぶことにした。

これ以上、百鬼夜行の行列を増やさぬため、

「何もせず何人(なんぴと)にも関わらず」

をモットーに過ごし始めて二年目。高校二年の5月。

オレは、誰とも会話しないキャラとして、高校で確固たる地位を築いていた。

今日も何事もないことを望みながら、教室の扉に手をかける。今日も誰とも関わらずに生きれますように。ガラガラと戸を開ける。

「おはよう。」

不意に、オレに宛てた声が聞こえた。オレは、黒板消し落下の罠に引っかかったような衝撃を覚えて、思わずビクッとした後、教室に入る体勢のまま固まった。

脳みそだけが競輪選手のペダル並みに回転し、考える。

(幻聴?いや、たしかに聞こえた。えっと、挨拶された?いや、それは有り得ないよな?なぁ!?)

フクロウよりも見開いた目を室内に走らせると、そこにいたのは見知らぬ美少女だった。

黒髪の綺麗なポニーテールを結うその少女は、霜の降りた朝のように澄んで見えた。彼女は頬杖をついて、遠くを眺めながら、オレの席に腰掛けていた。

久方ぶりの危機に、災害時のNHKニュースの画面が連想される。アナウンサーが「警報が発令されています。直ちに安全な場所に避難してください。」と冷静に告げている。オレの心臓は、バクバクと激しく脈打つ。

頭の中でサイレンが鳴り続けるも、思考停止し、時を止められたように固まっていたオレは、スクールバッグがずり落ちて正気に戻った。

咄嗟に後ろを振り返り、人影がないか確認する。いない。オレはぎこちなく、もう一度彼女の方に顔だけ回す。汗が滝のように流れ出す。

(オレの安寧が今…?)

彼女がこちらに顔をゆるりと向ける。その顔は少しむつけたように怒っていた。彼女がオレに向けて言う。

「挨拶。」

オレはその発言の意図が読めずにキョトンとした。挨拶?

「挨拶、返してよ。恥ずかしいでしょ。」

彼女は、少し赤面しながら頬を膨らませて、軽く怒ったような顔を作った。あぁ、言われてみれば、挨拶を返してないな。そこで初めて気づいた。もう挨拶をしない日々が長くなってしまった。

しかし、それはこのオレに挨拶をした貴方が悪い。オレは焦りながらも、なんとか開き直って、安寧を守るための台詞を捻り出す。

「あの、人違いだと思います。」
「人違いではないですぅ。」

怒った顔のまま口を尖らせて、彼女はオレの嫌味に即答した。

(正気か…っ!?)

普通の人間は、初対面でこんな対応されたら、ましてや転校初日にこんなこと言われたら、軽くトラウマになるだろう。しかし、この美少女はなんと即答!メンタル鋼か!頭の中の自分が、頭を掻きむしりながら叫ぶ。もう一人の眼鏡をかけた自分が、眼鏡の位置をクイクイと直しながら告げる。次の手を打ちましょう。

「じゃ、おはようございます。」
「連れないなぁー。もっと楽しげにいこうよ。さぁ、もう一度!」

彼女はまるで保育園の先生のように、笑顔で手を広げて、もう一度返答を求めている。オレは、睨むように目を細め、口をへの字型に開ける。

「変質者の方ですか?」
「ひどーい!普通の女子高生です!」
「いや、普通ではないですよ。」
「えーっ、初対面でいきなりそんな事言う!?失礼だなぁ!」

もう無敵に思える彼女を無視することにして、オレはツカツカと自分の座席へ足早に向かう。道すがら、財布だけ鞄からポケットに移して、辿り着くなり、机の横に鞄を引っ掛ける。さぁ、退けてくれ。そこはオレの席だ!

オレは無言で立ち尽くした。彼女はそんなオレを不思議そうに見上げていた。

しばらくそんな不思議な時間が流れた。

(いやいや、おかしいでしょ!)

「そこ、オレの席なので、どけて欲しいんですけど。」
「あー!なるほど。」
「でも、その言い方トゲがあるなぁ。だから退けない!」

(いや、どけろよっ!)

心の中のオレが白目で唾を撒き散らして全力で突っ込む。これ以上の会話はもう流石にカロリーオーバーだ。

「すみません。もう話しかけるのやめてください。」
「えーっ!?なんで!」

彼女は、椅子から立ち上がりそうな勢いで、跳ね上がり、心底驚いてみせた。いや、そんな驚くことか?ていうか、理由聞く?オレは驚きつつも、その勢いに気圧されて、思わず後退りした。

「なんでって…。馴れ合うつもりないんで。」
「えぇー!」

のけぞるほど驚いた後、オレから目線をずらし、彼女は口に手を当てて考え始めた。そんなに驚くことか?たしかに、普通は転校生に対して、話しかけるな、なんて言う奴いないかもしれないが。というか、転校生だよな?見覚えが少しあるような気もするが、昨日のサッカーのとき見たからだろう。

「とりあえず、どけてくれ。」
「うーん、書いてあった事と違う…。『本人、比較的乗り気』って書いてあったのに…。」

彼女は、オレの一言を無視して、独り言を呟いている。何の話だ?乗り気?

「わかった!」

少し経ったのちに、彼女はポンっと手を叩き、そう叫んだ。オレは突然の事にビクッとした。

「あっ、驚かせちゃってごめんね。」

彼女に笑顔が戻る。その顔は、なぞなぞの答えが分かったときのように晴れ渡っていた。そして、その笑顔のまま、オレを見つめて立ち上がり、手を握ってくる。オレはポンっと一瞬で、茹で蛸のように赤くなった。恥ずかしい。でも、やっと退けてくれた。

「私がほら、葦名愛美(アシナマナミ)だよっ!」

ほーん。で、何?

「まだ分からない?」
「?」
「私が君の"青春応援担当"になった葦名愛美だよっ!」
「?」

葦名は手を上下にしながら、オレの記憶を揺り起こそうとしている。いや、そんなに手を振っても、存在しない記憶は出てこないが。

「ピンと来ない?」
「はい。」
「うーん。なら…!」

と、葦名はより勢いよく手を振って、必死に記憶を呼び出そうとする。オレは死んだ魚の目をしながら遠くを見つめて思う。青春応援担当ってなんだ?すげぇダセェネーミング。当然のように名前出してきたけど、そんなもの聞いたことない。

「やっぱりダメ?」
「はぁ。」

何もピンと来ていないオレの様子を見て、何かを察したのか、葦名の顔が徐々に青ざめていく。口が徐々に開いていき、何かやらかしたかのような不安そうな苦笑いを浮かべた。

「えっ?」
「えぇ…。ちょっと、君、まさか…。聞いてないの?」

オレはついていけず、只々死んだ魚の目をし続ける。

「ウソ。でも、同意書には確かに『伝える』にサインが…。」

「ねぇ、君。"繊細人格学生生活補助事業"って聞いた事ある?」
「いえ。」

オレは死んだ魚の目で金魚のように口をパクパクさせて、機械的に答えた。

「私、やっちゃった…?」

葦名が手を離し、口を覆うように両手を当てながら、一歩後退りをして、落ちるように椅子にストンと座った。あっ、オレの席がまた。

無言の時間が流れる。オレは、呆然としながら、呆然とする葦名を眺める。そして、告げる。

「とりあえず、どいてください。」

こうして、オレの平穏な日常は、突如として終焉を迎えた。その事に、オレはまだ気づいていない。
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