第174話 保護か誘拐か略取か Bパート

文字数 7,371文字


 初めこそは穏やかに喋っていたのだけれど、時間が近づくにつれて。思う事もあって緊張もしているのか、私が蒼ちゃんの手を取っても、少しずつ口数が減って行く。
 その中で刻み続けた時間だけがきっちり14時を刻む。それからしばらくもしない内に緊張に包まれたリビングを切り裂くように、玄関の呼び鈴が鳴り響く。
 呼び鈴一つで全身に力が入ったのがお母さんから見ても分かったのか、私に苦笑いと目配せをした上で、玄関へと向かう。
 そしてお母さんと一緒に姿を見せたおばさん。そのいで立ちは余所行きの服装なのか、綺麗にお化粧をした上で全く年齢を感じさせない上品さを備えた裾の長い半袖の濃紺のワンピースに、蒼ちゃん同様つやのある長い黒髪。
 その服装一つとっても親子なんだなとも分かるし、なんだかんだ言って蒼ちゃんもおばさんの影響をちゃんと受けているんだなって分かる、伝わる。
 ただいくらお化粧をしたと言っても、目元の腫れと赤く残った瞳だけは隠せなかったみたいだ。
「ちょっと蒼依! お母さんがどれだけ心配したと思ってるのよ!」
「心配なんて嘘ばっかり! それに心配してなんて私、頼んでない!」
 ただし私がおばさんのいで立ちをゆっくり見られたのはそこまでだった。蒼ちゃんの姿を認めたおばさんが、蒼ちゃんの元へと一直線に駆け寄る。
「嘘って……どうしてお母さんたちが心配してるのが分からないの? さぁ、帰りましょ」
「嫌! 帰りたくない! どうせ帰ったらまた部屋に閉じ込めるつもりなんでしょ。そんなのまっぴら!」
 だけれど、蒼ちゃんの気持ちがどこにも入っていないおばさんに対する蒼ちゃんの態度はそっけない。
「ちょっと蒼依! ワガママ言わないの! それからお母さんに顔くらい見せて」
「そうやって何かあったらワガママワガママって……私はお母さんの人形じゃない!」
 その上、視線だけじゃなくて顔ごとおばさんから逸らし続ける蒼ちゃん。ただ私からしたら蒼ちゃんの気持ちは分かる。
 蒼ちゃんの気持ちも希望も入っていないのに、蒼ちゃんに対してワガママだって言うのは私でも納得出来ない。
「一度(つつみ)さんも落ち着いて下さい――それから愛美。こっちいらっしゃい」
 二人が言い合いをしている間に飲み物を用意したお母さんが、二人をなだめ蒼ちゃんの隣に腰掛けていた私を、お母さんの隣へと場所を代わるように言われる。
 お母さんが配膳してくれている間に席の変わった私たち。
 一つのテーブルに対して私がリビングに一番近い入り口で、その隣。台所側に私のお母さん。そして私の正面、リビングの入り口側に蒼ちゃんが座って、その隣、お母さんの正面、私のはす向かいに蒼ちゃんのおばさんが腰かけて、改めて四人での話し合いが始まる。

「改めて言うけど私、家に帰るつもりないから」
「うちの娘がお世話になりました。これはほんの気持ちですので、受け取っておいて下さい――蒼依の話は家で聞くから、取り敢えず先に帰るわよ」
 蒼ちゃんの言葉に返事をしないで、バックの中から茶封筒を出したおばさんを見てびっくりする。
「ちょっと辞めてよ! 何でこう言う事するの?!」
 おばさんの行動を見た蒼ちゃんの目に涙が浮かぶ。気が短い気もするけれど、やっぱり大好きな蒼ちゃんだから。蒼ちゃんの涙を見て、例えおばさんでもそろそろ私も我慢の限界かもしれない。
「あのね蒼依。女の子があんな時間に着の身着のまま一人飛び出して、岡本さんが
“預かって”頂かなかったらどうしたの? まだ“未成年”の蒼依が、一人夜道で何かあったらお母さんもお父さんもどうしたら良いの? これ以上犯罪に巻き込まれるような事があったら、お父さんとお母さんがどんな気持ちになるのか、蒼依にはまだ分からないんでしょう。その安全を確保して頂いたんだから、この気持ちは当たり前なのよ」
 言って蒼ちゃんの静止も聞かず、お母さんの方へ出した茶封筒を差し出すおばさん。
「それに、昨日岡本さんから連絡を頂けてなかったら警察に届けようかって話をしてたところだったのよ。だからせめてこのくらいはさせて頂かないと、気持ちの整理がつかないのよ」
 ……おばさんの言わんとしている事は分からなくは無いけれど、そこにはやっぱり蒼ちゃんの気持ちが入っていないからなのか、何でなのか、どうにも納得できる気がしない。
「結局そう。今のその封筒も、私を部屋に閉じ込めるのも学校を辞めさせるって言うのも、全部二人の自己満足じゃない!」
 確かにそうかも知れない。これだとおばさんの気持ちは分かるけれど、蒼ちゃんの気持ちはやっぱり入っていない。これじゃあ先週から大喧嘩していたお父さんと同じだ。
 確かに私も同性のお母さんからこんな言い方されたら、家出を考えるかもしれない。
「……失礼ですが、私どもがその茶封筒を受け取るわけにはまいりません」
 だけれど私の気持ちを分かってくれているお母さんは、差し出された茶封筒を言葉と共に押し返してくれる。
「それはどう言う意味ですか? 私の娘に対して下心があったと理解して良いんですか? 確かお宅には年頃の息子さんもおられるとか」
「ちょっとお母さん! お願いだから失礼な事言わないでよぉ」
 ……それは慶をさしているのか。確かに慶も男の子だし以前私と“そう言う視線”で大げんかもしたけれど、蒼ちゃんに対しては本当にラブだし、言葉も丁寧で大切にしている……乱暴者ではあるけれど。
 ただそれを差し引いても、私の目もあるんだから万一も無いのにさすがに慶を悪しざまに言われてムッとする。
「確かに息子もいますけど、蒼依さんには娘の愛美がずっと付いてましたので、その心配はありません。私がお断りしたのは、蒼依さんを“保護”したからで、営利目的でも金銭目的でもないからです。仮に受け取ってしまったら“保護”にはならず、特に主人と慶久と言う男性二人がいるこの家では、むしろ下心を疑われる立場になってしまいます。ですからこれは頂けません」
「ちょっと待って“保護”って何? 昨日お母さんが、友達が泊りがけで遊びに来てくれただけって言ってくれていたじゃない!」
 せっかくさっきまでは、私の気持ちも分かってくれる自慢のお母さんだって思っていたのに。
 しかも慶もお父さんも言われるがままに、反論はおろか穏やかな表情をしているし。
 浮気したお父さんも、この前それを正当化するような発言も、確かに同じ女として許せないけれど、一体お母さんの中で男二人はどんな扱いになっているのか。
「――それに愛美もこう言っておりますので、娘の友達から接待を受けるなんて出来ませんよ」
「……」
 なんか私の想定している話の流れとは違う気がする。
「お母さん。お願いだからそれしまって!」
 そこで改めて目に涙を浮かべた蒼ちゃんがおばさんに向き直る。
「それじゃあこちらの気持ちも渡せない、受け取って頂けない以上、よそ様にこれ以上ご迷惑はおかけ出来ないから、蒼依も一緒に帰るわよ」
 その蒼ちゃんに向けた一言で、私の我慢の限界を超える。
「何ですかそれ。私、蒼ちゃんに来てもらって迷惑だなんて思った事ありませんし、毎日一緒にいたいって思っているくらいなんです。なのに私や私の家族、それに蒼ちゃんの気持ちを蔑ろにするのは辞めて下さい」
 お父さん相手にも思ったけれど、何でそうやって私たちの気持ちを決めたがるのか。全く蒼ちゃんの言う通り、私たちは人形じゃないってのに。
「愛美ちゃんよね。蒼依を連日外に連れ出したのは。それは今の蒼依の状態を理解した上での話なのよね」
 私の言葉に思う所があったのか、あのいつも温厚なおばさんが私に厳しい目を向けて来る。
「はい。私が連れ出したのは変わりありませんが、おばさんと違ってちゃんと蒼ちゃんの同意、了解を得てから出て来て貰いましたよ」
 さっきから全く蒼ちゃんの意思が入っていないおばさんに対する不満を皮肉と言う形でぶつけてやる。
「愛美ちゃんも人の親になれば分かるけど、自分の娘に何かあったら心配なの。それは小学生でも、今でも、10年後も変わらないの。自分の子はどれだけ時間が経っても、自分も年を取る以上自分の子なのよ」
 ……確かにそうかも知れない。私が優希君とどうなってもこの家族は変わらないし、慶が私の弟だって言うのも変わらない。
 その上、お化粧の上からでも分かるおばさんの目に出来たクマ。心配なものはいくつになっても心配なのかもしれない。
 以前実祝さんのお姉さんに言われた時に感じたのだけれど、子供どころか結婚もしていない私には、それ以上は想像でしかなくなる。
「愛美……『!』……でも娘には、それ以上に色々な経験をしてもらって、広く色々知った上で幸せになって欲しいと思いませんか? 少なくとも私は愛美を信頼してますし、色々な人と触れ合って、繋がって……その上で娘なりの幸せを見つけて欲しいって思いませんか?」
「お母さん……」
 私が納得せざるを得なくなった瞬間、優しく私の頭に手を置いてくれたお母さんが、笑いかけてくれる。
「それを。娘と同じように、同年代の男子から乱暴されたとしても同じ話が出来ますか?」
「言えますし、言いますよ。この子がそうしたいって言ったのであれば、親として出来る配慮だけはして、希望は叶えるようにしますよ」
 蒼ちゃんの話をしているはずなのに、どうして私の心が温かくなるのかな。
「愛ちゃん……」
「愛美……」
 いつもいつも私のしたいようにさせてくれて、私を第一に考えてくれて。私の気付かない所でも私を大切にしてくれていて。
 お父さんには悪いけれど、浮気するようなお父さんをどうしてお母さんが選んだのか分からなかったりする。
「そちらの考えは分かりました。何も私は蒼依をずっと部屋から出さないつもりなんてありません。ただ医者が言う三ヶ月の間、完治するまでは家で大人しくしてもらうだけです。それに元々蒼依は料理学校に行きたがっていたのを、私たち親の気持ちで今の学校に通わせたんです。それを元の蒼依の希望に改めて沿うだけの話です――さあ蒼依。帰るわよ」
「――っ! 嫌! 離して! 私は今の学校を卒業する! 大体お母さんがそれから料理学校に通っても遅くないって言ってくれたんじゃないっ!」
 おばさんが蒼ちゃんの腕を掴んで帰らせようとするけれど、今の蒼ちゃんの腕でそんな掴み方をされたら……
「ちょっとおばさん! 今すぐ蒼ちゃんの腕を掴んでいる手を離して下さい!」
 思い至った時にはもう声を上げていた。
 一方おばさんも説得出来ていると思って油断したのか、私が厳しい声を上げたのにびっくりして蒼ちゃんの腕を掴んでいた手を離してしまう。
 その隙に席を立った蒼ちゃんが、テーブルを回って私の元へと駆け寄って来てくれる。
「愛美ちゃん。今のはどう言うつもり? どう言う意味?」
 おばさんの行動に叫んだ私に、次は怒りのこもった視線を向けられるけれど、蒼ちゃんの親友であり断金へと至った私たちからしたら、いくらおばさんだからって今のは看過できない。
 蒼ちゃんの状態を誰よりもよく知っているおばさんのする事じゃない。
 だったら女四人しかいない、男の人が誰もいない今のこの家の中で、蒼ちゃんの味方でいると決めた私の言う事なんて決まっている。
「どう言うつもりも何も、蒼ちゃんの腕や体中がアザだらけなのに、何でそんな乱暴に腕を掴めるんですか? 蒼ちゃんが痛がっているのが分からないんですか? それとも自分の子供なら物のように、人形のように扱っても良いんですか? おばさんが蒼ちゃんの心配をしているのは伝わりますけれど、そんなのは言葉だけで蒼ちゃんを大切にしてくれていないじゃないですか!」
 私はおばさんから蒼ちゃんを守る意味も込めて、堂々とおばさんの視線を受け止めてその場に立ち上がる。
「私たちの気持ちも知らないで何勝手な事ばかり言うの? 蒼依に万一のがあったらどう責任取ってくれるの?」
 どう責任って……蒼ちゃんの話も聞かずに大切にもしないで、挙句蒼ちゃんを部屋に閉じ込めて、その上乱暴したのもおばさんなのに。それでも責任なんて取れる訳が無いから、分かってはいても言葉に窮してしまう。
「責任責任って、私そんな事頼んでないし、少しくらい自分でだって責任取れるよ。それでも愛ちゃんを責めるんだったら、私だってお母さんに乱暴されました、私の話なんて何も聞いてもらえませんってみんなに訴えてやるから!」
 そんな私を助けてくれるのもまた蒼ちゃんなわけで。
「な?! ちょっとお宅の愛美さん、よそ様に対していくらなんでも失礼じゃないですか? 今までどんな教育をされて来たんですか?」
 ただそうなると、最終的には私のお母さんに矛先は向くのだけれどって……なんかお母さん笑っているし。
「どんな教育も何も、基本出来る限り愛美には好きなようにさせてますよ。それから先ほどから蒼依さんの話を伺ってますけど、お母様は娘さんのお話を聞いてらっしゃらないんじゃないですか? それにいくら親子だとは言っても、しつけ以上の暴力は感心しませんけど」
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【児童虐待防止法第14条 全項 親権行使の配慮】
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「暴力って、こう言うのをしつけ、他人にご迷惑をおかけするのはいけないって教えるのが親としての義務なんじゃないんですか?」
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【民法820条及び822条:懲戒権】
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 お母さんがたしなめたのに対して、おばさんが反論するけれどこう言うのがしつけになるのかどうか分からない。少なくとも私も、知る限りでは慶も両親から

手を上げられた事は無かったりする。
「……」
 そして親を持ち出されて蒼ちゃんもその口を閉ざしてしまう。
「親と言う義務としての側面はありますけど、そもそも初めに申し上げました通り、迷惑とも思っておりませんし、愛美に至っては友達が泊りに来たって

くらいなんですから。(つつみ)さんが仰る教育、しつけと言うのはこの場合において必要無いと思いますよ」
 確かにそうだ。暴力とかしつけの方に頭が行ってしまっていたけれど、よく考えたらだれも迷惑だなんて思っていないから茶封筒を返してくれたんだった。
 だったらさっきのおばさんを見てしまった私が、このまま黙って蒼ちゃんが連れ帰らされるのを見ている訳にはいかない。
「私たち、明日も病院だからもう一日泊まって明日一緒に病院行く?」
 私は理由を作って泊りのお誘いをかける。
「愛ちゃんがそう言ってくれるならもう一日お願いしようかな」
 誘いに対して当然蒼ちゃんは乗ってくれるけれど、
「もう一日って……愛美ちゃん本当にどう言うつもり? 今までの話を聞いてたにもかかわらず、失礼なだけじゃなくて常識も無いんじゃないかしら」
 案の定おばさんは納得しない。
 ただ誰であっても蒼ちゃんを大切にしてくれない人に、蒼ちゃんをお任せ出来ないだけだ。そんな人から言われる常識なんてどうでもいい。
「だったら蒼ちゃんの話を聞く、大切にするって約束して下さい。そしたら今日泊ってもらうのは辞めます」
 ただ蒼ちゃんの味方を続けるだけだ。
「分かったわ『!』今日の所は帰るけど『……』本当に一緒に帰る気はないのね」
「お母さんこそ、愛ちゃんとおばさんに言った失礼な言葉を取り消して。それから学校の話も私、辞める気なんて無いから。それでも聞いてくれないなら、この家から学校通う」
 今までの蒼ちゃんの性格だったら、ここまで反抗しなかったであろう事はおばさんの戸惑いを見ても

。それでも自分の気持ちを精一杯伝えようとしているのが、私の肩を掴んでいる蒼ちゃんの手の震えから、どのくらい本気の想いなのかが


「……分かったわ。それが今の蒼依の意思なのね。それから岡本さん。昨夜娘を預かって頂いたのは感謝しますけど、今日娘を返して頂けなかったのは、正直申し上げまして誘拐、略取と同じですからね」
「お母さん最低っ! もうお母さんの顔なんて見たくない!」
 おばさんの言葉に動揺が走った私に対して、私たちに気まずくなったのか蒼ちゃんは、それとも純粋に顔を見たくなかったのか、そのまま私の部屋に駆け込んでしまう。
「……分かりました。とにかくお互いにもう少し頭を冷やした方が良いと思いますので、今日の所はお引き取り下さい。その上で娘さんは大切に“保護”させて頂きますのでご安心ください」
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【改正児童福祉法 33条①項及び②項】不足分は 177話で追加解説
※児童相談所(児相)運営指針 5章 一時保護項目 も一部該当
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 なのにお母さんだけは全く表情を崩さず、おばさんを送り返そうとしている。
 このままだと、たまにクラスの友達なんかが話している通り、刑事物のドラマなんかでよくある子供、人質を返さなかった私たちは、誘拐犯になってしまうんじゃないのか。
「愛美は少しリビングで待ってなさい」
 なのに私の焦る気持ちを分かっていないお母さんが、一緒について行こうとした私を止めてしまう。
 だからおばさんの見送りも、言いたい事を言う機会も無いままにおばさんをリビングで見送る形になってしまう。

――――――――――――――――――次回予告――――――――――――――――
            予想通り頑なだった防家の母親 
   自分は間違った事はしていないと信じたいのに、大きく影を落とす
             誘拐・略取と言う二つの言葉
           なのに表情をほとんど変えない母親

      それだけでも大変なのに、そこにかかって来る二つの電話
     一つは可愛い妹さんからの電話だったけれど、もう一つは……

           「もう良いよ蒼ちゃん。電話切ろ?」

 
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