第41話

文字数 2,374文字

俺は隣の席のやつの話に適当な相槌を打ちながら、教室の勢力図を頭に思い浮かべる。左を向いて喋っている俺の、背後にいるやつ。

つまり、右隣の席の木戸(きど)伸幸(のぶゆき)は俺と同じタイプだ。

ちょっとふざけてみたり、わざと大声で笑ってみたりしていて、でもそれさえ様子見だ。かっこつけるタイプ、見下されるのが嫌なタイプ。

そして、その木戸と喋っているのが西野(にしの)博己(ひろみ)。体格がゴツくて、笑顔に愛嬌があって、坊主頭に近い髪型をしている。

きっと、人のことを悪く言ったりしない人物だろう。典型的な「愛される」タイプだ。天才や名人の近くにいて、でも、みんなと分け隔てなく接する。というか、こいつ自身がそんなの意識なんかしてないんだろう。見た目から、雰囲気から愛される人物は存在していて、彼らは非常に優しくて接しやすいのだけれど、それは本物の優しさじゃないと俺は思う。それは単に、他人が自分を扱ってきたように他人を扱っているだけ。自分の中の冷たい感情に抗ったわけじゃない。多分、彼らには他人を出し抜こうという気持ちがそもそも浮かんでこないんだと思う。だって、そんなことを考えなくたって、他人が自分を押し上げてくれるのだから。そうして、人柄と環境の好循環が起きて、彼らの人生はますます充実していく。

彼らに欠点があるとしたら、本当の孤独や恥辱を知らないことだ。

孤独と言えば物理的な、家や教室に誰もいなくて自分一人だという状況を彼らは思い浮かべるだろうし、恥ずかしさや悔しさはスポーツや勉強の中にだけあるとでも思っているはずだ。そんなこと、知らないほうが幸福なのかもしれないけれど、それを知っているからこそ気づける他人の感情はきっとある。


まぁ、ともかく、もし、天才や名人がいないならば、この二人は中核になれる候補だろう。俺は用を足すという言い訳をして目の前の男子から離れ、言い訳したからにはちょろちょろと用を足し、教室に帰ってきてから木戸と西野の会話に入ってみた。

「木戸、おはよう。今日もテニス部行く?」
「おはよう。俺はそのつもりだけど」

ちょっと唐突だったかもしれないけれど、まぁいいだろう。木戸とは初日から付き合いがあって、体験入部期間には一緒にテニス部にも通っている。

「木戸、テニス部入るんだ」

西野が木戸に聞いて、

「そのつもり。椎名と一緒に」

木戸が俺を話題に混ぜてくれる。俺と西野は目を合わせ、微笑みながら、「うっす」とか言いながら、軽く会釈する。西野の屈託のない笑顔。

「西野は中学のとき野球部なんだっけ?」
「そうだったけど、ここの野球部には入れんからなぁ」
「どうすんの?」
「バド部か柔道部かなぁ」
「バドブ?」
「バドミントン部」
「柔道部とバドミントン部って、全然逆じゃん」
「そうなんだけど、バド部、強いらしいから」

明真学園高校バドミントン部。その存在を俺が聞いたのは、このときが初めてだった。

バド部、強いらしいから。スポーツ推薦でもないのに、そんな視点で部活を選ぼうなんて生徒がいるというのが、俺にとっては斬新だった。中学校ではテニス部だったから、またテニスでいいか、というのが俺の考えだった。

実際に行ってみたら、そんなにキツくなさそうだったし、可愛い女子も何人かいたし、とりわけ中島(なかじま)理沙(りさ)も仮入部に来ていたから、きっと入部するのだろう。特進科の同級生で、多分、一番可愛いのが中島だ。

西野は結局、柔道部に入部した。弱小の部活だけど、その分、初心者でも入りやすいし、自由にできるのがいいらしい。練習にも熱心な部で、学校に指導者がいないことを補うために週四回は近くの道場や警察署の稽古に混ぜてもらっていると言っていた。

部長がやり手で、警察主導のボランティアに参加したりして「実績」を稼ぎ、それを根拠に生徒会から予算をもぎ取って道場の月謝にしているのだとか。入部から一年以上経って、クラスの中で西野博己の呼び方がヒロミに変わっていくのと同時進行で、彼の体格は着実に柔道家になっていった。

 
けれども、そんな俺たち三人の中で、入学時からテンションが変わっていないのはヒロミだけだった。一年生の時の、あの文化祭以来、いや、あの時よりも前から兆しはあったけれど、あれが引き金になって、俺の高校生活は半分死んでしまった。

最初の半年は、本当に天国だった。あろうことか、俺たち三人、「マサタカ」「ノブ」「ヒロミ」がクラスの主役だった。毎日が胸のすく日々。学校に通うのがこんなに楽しいことだとは思わなかった。好きなことを喋って、好きなだけ笑った。堂々と不逞な態度をとれる。それが俺たちだった。

そんな日々の中でも、俺たちが、というか、俺とノブがあえて触れない話題が二つあった。一つは中島理沙で、もう一つは橋本美晃だ。

俺たちがよくしゃべる女子は、中島理沙とか、中島と仲がいい柚木(ゆづき)真希奈(まきな)宮地(みやじ)吉乃(よしの)ではなくて、もっぱら高濱や米山だった。

中学生のときは女子とそこまで親密になることもなかったから、最初は緊張したのも確かだけれど、テニス部にいる普通科のやつから中学生の時の高濱や米山の話を聞いて、俺は少しがっくりした。

まぁ、こいつらだってそんなもんだよな。見慣れてくるとそうでもないけれど、ふとした瞬間に、高濱や米山の顔って全然たいしたことないよなって思う。普通科のほうがやっぱりレベルが高い。

もちろん、特進科でも別格の中島はいるし、柚木や宮地もそこそこ可愛いとは思うけれど、物事には平均という尺度があって、これは有用で雄弁な指標である。

そして男子の中で別格なのが、決して俺たちじゃなくて、橋本だった。本当に面白いやつって、話題が豊富だったり、テンションをやたら上げられたりするだけじゃなくて、切り返しが上手くて、誰と喋っていても面白い会話にできる。そのうえ、みんなが驚くような特技と器用さを持っているもので、それが橋本美晃だった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み