第23話

文字数 2,103文字

最後の角を曲がると、正門の前に二人の影が見えた。二人とも僕に気づいたみたいで、大きく手を振ってきた。

最後の力を振り絞り、僕は速度を上げる。

でも、正門までの距離を半分くらい進んだところで力尽きて、ペースががくっと落ちた。よろよろになりながらなんとか走る姿勢を維持してゴール。

そのまま門柱に背を預けて座りこんだ。

空を見上げる僕の視界を、二人の顔がふさいだ。逆光で見えづらいけれど、それでも、笑顔なのが分かる。

「苦しくても顎ひいて、背筋を伸ばして腕を振ったほうが全体としては楽。ラケット競技でも普段から正しく走るのは大事」

祐斗は僕にそう助言した。

「立って軽く歩いた方が早く楽になるぞ」

橋本くんがそう言って手を差し出してくる。僕はその手を掴んで立ち上がり、正門前の空間をよろけながらくるくると歩き回った。

「戻るか」

祐斗は校舎を見て呟き、すたすたと歩きだす。僕と橋本くんは互いに顔を合わせ、無言のまま祐斗のあとを追った。

「卓球部って、ラダー使う?」

中庭に戻ってすぐ、祐斗はそう聞いてきた。

「ラダー?」
「使わないか」

祐斗は中庭の隅に行き、自分のカバンをごそごそと漁りだす。

「祐斗、鍵パクったのか?」

橋本くんが祐斗に呼びかけると、祐斗はしゃがんだままの態勢で振り返る。

「そんなことしないよ」
「でも、ラダーは倉庫にしか入ってないじゃん」
「だから作った」

そういうのと同時に祐斗は立ち上がる。手にはナイロン紐が巻かれていて、いくつか結び目が見えた。

祐斗はナイロン紐の端を持つと、中庭にラダーなるものを広げた。なるほど。ラダーと呼ぶだけあって、はしごを横に倒したような形をしている。結び目はちょうどはしごの縦と横が交わる部分になっている。

「手作り?」

橋本くんはあきれ返っている。

「もちろん」

祐斗が自慢げに片眉を上げる。

「頭おかしいな」
「褒め言葉として受け取っとく」

祐斗は会話をしながらナイロン紐の歪みをきれいに整え、すくっと立ち上がって僕に振り向いた。

「素振りもやる予定だったけど、田島いるからラダー長くやることにする」
「もしやりたかったら素振りやってもいいよ。おれ見てるから」

呼吸は整い、汗も引いてきたけれど、これ以上やりたくないのが本音だった。

「いや、大丈夫。みんなでやったほうが楽しいし」

祐斗は澄ました顔をしている。なにが楽しいんだろう。

「ごめんね」

練習内容について妥協をさせてしまったようなので、とりあえず謝った。

「謝らなくていいって。じゃあ、とりあえず真似してみて」

祐斗はラダーの端に立つと、紐の部分を踏まないように、足を閉じたり開いたりしながらラダーのうえを進んでいった。

ちょうど、小さいころにやった「けんけんぱ」を両足でやる要領だ。「けん」では紐でつくられた四角の中に両足をそろえ、「ぱ」では逆に梯子の外に両足を開く。けん、ぱ、けん、ぱ、を繰り返して祐斗は進んでいく。橋本くんが続き、僕はその後ろで、足がこんがらがらないようゆっくりと、けん、ぱ、けん、ぱ、と跳ねていった。

「そんな感じ、そんな感じ」

僕が遅まきにラダーの端に到着するのを見て、祐斗は別のステップを踏んでラダーを端から端に進んでいく。ダンスのように小刻みに足を動かしたり、反復横跳びのような動きをしたり。

真似する僕もだんだん足の筋が痛くなってきて、でも、平然とこなす祐斗や橋本くんの前で休憩を申し出るのは憚られて、結局、最後まで付き合ってしまった。

八時ごろになってようやく、祐斗は朝練の終了を宣言した。中庭を通る生徒もぱらぱらと現われ始めている。どこで着替えるんだろう、と思っていると、祐斗は自分のスポーツバッグを持ち上げ、規則的に配列されている並木のうち一本を見定めてバッグを持って行った。

そして、申し訳ばかりに木陰に身を隠すとそこで着替え始める。幹は太いし、通りからは見えない場所だけれども、少し道を外れ、角度を変えれば見られてしまう。しかし、橋本くんも別の幹を選んで身を隠す。ぼくは恥ずかしさに全身が火照るのを感じながらも、しぶしぶ、かなりの距離を移動して一番目立たなさそうな場所を選んで着替えた。

「これ、週何回やるの?」

教室に行く途中で、僕は半分の期待と半分の諦念を込めて聞いた。

「もちろん、毎日」

祐斗は表情一つ変えずに淡々と答える。橋本くんが降参だとばかりに両手を宙に挙げてひらひらさせる。

「死んじゃうよ」
「まぁ、強要はしないけど。俺は毎朝やるからいつでも来てよ」

にっこりと祐斗は笑う。こういうときの笑顔は卑怯だ。それにしても、

「祐斗ってあんまりそんなふうに笑わないよね」

練習で疲れていたからか、僕は率直な感想を漏らしてしまった。こういう発言はよくない。漫画の中では許されても、現実には気持ち悪いのだ。僕のような人間がすると特に。

「やっぱそう思う?」

でもなぜか、祐斗は真剣に取り合った。僕はこくりと頷く。

「夢中になれるとき以外はつまんないからね」

今度は苦笑いの祐斗。この頃の僕は、本当に運動するのが好きなんだなという程度にしか受け取っていなかった。夢中になっているとき以外の時間に祐斗が直面していた現実を思うと、僕は自分の愚かしさが嫌になる。
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