第76話

文字数 1,953文字

祐斗と栢原さんの背中が夜の闇に消えていった。祐斗がお金を受け取った。それは納得いかないけれど、事実だった。

特進科の面々はそれぞれのグループに分裂して雑談を交わし始めた。予備校があるから、と言って帰路につく者もいる。

当初は高濱さんが一人で渡す予定だと俺は聞いていたから、この大人数が体育館に現れた時は驚いた。でも、後から話を聞くと、高濱さんも予想だにしていない出来事だったらしい。祐斗に直接渡したい。自分一人くらい、友達と二人でくらい、直接渡す場に同席してもいいだろう。特進科のほとんど全員がそう思った結果だった。

そして、あとから知ったことがもう一つ。あの放送が流れた原因は西野だったということだ。西野はこの計画のために親に金を無心して、事情を聞いた親が教師に通報してしまったらしい。

とはいえ、こんなふうに事件の顛末を冷静に振り返ることができるようになったのはずいぶん後になってからで、俺はあの夜、夢を見ているような興奮の中にいた。


あの夜、祐斗と栢原さんが去った直後。

二人を見送ったまま微動だにしない田島の肩に、俺は手をかけた。

「受け取ったな」
「うん」
「俺の負けだよ」
「勝ちとか負けとかじゃないよ」
「でも、俺は祐斗のこと何も分かってなかった」
「……幻滅した?」
「何に?」
「祐斗に」
「まさか」

俺は大げさに首を振って強く否定した。

「祐斗のことだから、何か事情があるんだよ。お金を受け取らなきゃいけない事情が」

それが俺の本音だった。

「おれもそう思う」

田島はらしくない口調で力強く肯定した。

特進科はいいクラスだ、と祐斗は以前に語っていた。俺もそこに異存はない。良心的で、活発で、団結力のあるクラス。それはその通りだ。並みのクラスなんかよりよほど良いのは確かだろう。

でも、だからといって、お互いがお互いのことを心の底から理解しているわけじゃない。それぞれに思惑があって、どんなに親しくできているように感じていても、分かり合えてるわけじゃない。祐斗は俺たちを、クラスメイトを買いかぶり過ぎている。

「橋本くん」

田島が俺に呼びかてくる。

「うん」

俺は短く返事をした。

「今度、祐斗と一緒に東京行ってみない?」
「いい考えだけどさ、あいつお金ないぞ。俺たちが奢るっていうのはあいつが許さないと思うし。まぁ、今回の件があるからわかんないけど」
「お金はかけないよ、自転車で行くんだ」
「正気か?」
「もちろん。野宿を挟めばいけるよ。今年は空梅雨だって天気予報も言ってるし。それで、そこで聞こうよ。なんでお金を受け取ったのかって。あと、どうしておれたちに色んなことを相談してくれなかったのかって」

俺は驚きに言葉が出なかった。田島がこんな積極的な提案をするなんて初めてだった。

「田島、そんなこと言うやつだったっけ?」

田島は苦笑して軽く首を振る。

「そんなこと言うやつじゃないよ。いまのところ。でも、変わりたいんだ。もう流されたくない。高濱さんも、石原さんも、橋本くんも、すごい人に見えた。祐斗のことなのに、おれはまた流されちゃったから。今度こそ、なぁなぁで流さずに、祐斗の本心を知りたいと思うんだ」
「……そうだな。大賛成だよ、俺も」

夜の涼やかな風が頬を撫で、薄雲のはざまに月が白く光っている。校舎の裏手から、野球部の声が聞こえてくる。専用グラウンドの照明が後ろから当たっているせいで、こちらから見える校舎の影は暗い。

祐斗の事件は特進科の人間関係に波紋を起こしたけど、それはやっぱり波紋に過ぎなくて、また明日には、それは早すぎるにしても、少なくとも一ヶ月経てば、わだかまりを抱えながらも表面上は平穏を取り戻すはず。俺たちが負っている上っ面の役割は、こんなことで変わりはしないだろう。根本的に合わないんじゃないかと思える祐斗と栢原さんも、付き合いを続けるに違いない。

それでも、田島がそうであるように、変わろうとする人もいるのかもしれない。俺たちは分かり合えてなんていないけれど、自分から一歩踏み出せば、分かり合おうとすることはできるのかもしれない。少しだけ顔を見せたクラスメイトの本心を、見なかったことにしたくない。

「帰ろう」
「うん」

高濱さんに「お疲れ」と声をかけ、俺と田島も正門に向かって歩き始める。

隣に並ぶ田島の横顔を見ながら、俺は決意した。もし、東京旅行が実現したら、俺のネット上での名前を伝えてみよう。女装して、女声で歌ってるなんて聞いたら、こいつらはどう思うんだろうか。

楽観的かもしれないけれど、きっと、嫌な顔はしないと思う。確かに、心の中でどう思うかは分からない。でも、そういうことを気にしていたら、卒業までいまの距離感で終わってしまう。

祐斗や田島と、もっと親友になりたいと俺は思う。学校生活で関わる人と、もっと分かり合いたいと俺は思う。
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