第71話
文字数 2,145文字
バドミントンのマナーとして、ラリー中に声を出す観客はいない。
ラケットがシャトルを打つ音と、シューズが床を擦る音と、得点が入った瞬間の掛け声。バドミントンが行われている体育館では、三種類の音が不規則に混じりあう。
でも、そこにはなぜか秩序が感じられる。俺にだって、最初は全てが雑音に感じられた。でも、あるときを境に、それはどこか心地よいリズムになる。雑音の中に隠れていた優美な規則性を自分の心が発見する瞬間がある、そのときから、体育館は自分の居場所になり、その心地よさを思い出せば、放課後が待ちきれなくなる。
毎日毎日、その音は違うはずなのに、体育館に近づくと、扉越しに聞こえてくる音は、これこそまさにいつもの音だと俺を安心させた。
長いラリーを俺はものにした。得点は十―十一。最後は三点差がついて十八―二十一になる予定だから、ぎりぎり追いつかないくらいがちょうどいいだろう。
冷静にそう考えている頭とは裏腹に、心に蘇るのは先ほどの声援だった。中学校に入学してから四年半のあいだ、俺はバドミントンにのめりこんだ。中学校でも、高校でも、部員の誰かに優しくしたわけでもなく、友達になろうと行動したこともなかった。
美晃以外の部員とは、基本的にこの体育館以外では会わない。音楽の時間に見かけるか、廊下ですれ違ったりしたときには挨拶するけれども、それっきりの仲だ。
もしかしたら、何時間も一緒に練習をして、一言も交わさなかったこともあるかもしれない。そんなやつらでも、間違いなく仲間だった。
バドミントンは個人競技だけれど、バドミントン部はチームだと思えた。馴れあうためでもなく、喧嘩するためでもなく集まる仲間。それをチームと呼ぶのだと思う。
自分の感覚が研ぎ澄まされ、集中力の高まりが感じられた。何気なく打ったヘアピンがネットイン。十一―十一。
副島先輩の背後で、二年生の男子が手を軽く、遠慮がちに叩いた。拍手の輪はまたたく間に広がり、四方から俺の健闘を称えてくれていた。
次のラリーで、俺は序盤に中途半端なショットを打ってしまった。同点だから、得点調整をしなければ。そう後押しする声はまだ頭の中で強くこだまして、迷った末のショットだった。
そしてもちろん、副島先輩相手に少しでも甘い球を打ってしまうと万事休すである。じりじりと追い込まれ、最後はスマッシュが決まって十一―十二。
「ナイスショット」「よっしゃ」
三年生の先輩たちから歓声が上がる。少し遅れて拍手もやってくる。俺はシャトルを手で拾い、副島先輩のコートに投げ返す。副島先輩はそれを無表情でキャッチした。そして、俺が構えるとすぐにサーブを打ってくる。
今度は副島先輩が、らしくない甘い球を放った。俺はそれを、少し力を抜いたスマッシュで返す。副島先輩のレシーブは鋭いクロスへの切り返し。俺は追いつけず、連続得点を許す。
十一―十三。三年生たちが湧き、二年生たちは半ば感心したような、神妙な顔つきで黙していた。
じわりと悔しさが胸にこみあげる。どうせ負けてしまうなら、と俺は決意した。
次のラリーから、俺はひたすら強い球を打ち続けた。緩い球ですかしたり、少し苦しくなったからと言って高く上げたりしない。ひたすら低く、強く打った。
当然、ネットに引っかかる確率は上がる。引っかからなくても、こちらが速い球を打つということは、相手からの返球のタイミングも早い。無理な態勢から打てば、次の球には追いつかない。
それはまるで、副島先輩のバドミントンだった。ここまで極端ではないけれど、ひたすら強い球を打ってくる傾向があった。たまに打つ緩い球も妙に際どいところを狙っていて、そのせいでミスが生まれたりもする。
繋ぐ球、組み立てる球はあまりない。すべてが決める球だった。相手を追い込むとか、誘い出すとかいうことをほとんどしない人だった。
激しい打ち合いになった。シャトルが地面とほぼ平行にびゅんびゅん飛んだ。どちらかが得点するたび歓声が起こった。フルセットにもつれ込み、得点上は激戦を演じているこのコートはかなり試合時間を食っているようで、他のコートで試合をしていた部員たちが続々と集まってきていた。ついには、女子の姿もちらほら見え始める。
得点は十五―十八で、互いに息を切らしていた。サーブの構えに入る前、俺は実果を見上げた。実果は俺の視線に気づくと、はっと驚くような表情をして、それから笑った。勝負の行く末が気になって、俺がサーブを打つのをいまかいまかと待っていたというような驚き方だった。
思い切りロングサーブ。そして叩き合いになる。副島先輩も緩い球を打ってこない。激しい打ち合いの中で、副島先輩の球筋が見えるようになってきていた。シャトルが弾丸のように。地面と平行になるように飛ぶドライブばかりを打っているから、相手の癖や、打球の方向が自然と分かってくる。
じゃんけんで最初に出すのはグーかチョキかパーか。その確率は三分の一ではない。じゃんけんの初手に個性があるように、球のコースや高低にも、このタイミングでこれを打つのがこの人の癖というものがある。
それは本人にとって打ちやすいショットで、本人は得意パターンだと考えているけれど、それを予測できるようになったらこっちのものだという癖が必ずある。
ラケットがシャトルを打つ音と、シューズが床を擦る音と、得点が入った瞬間の掛け声。バドミントンが行われている体育館では、三種類の音が不規則に混じりあう。
でも、そこにはなぜか秩序が感じられる。俺にだって、最初は全てが雑音に感じられた。でも、あるときを境に、それはどこか心地よいリズムになる。雑音の中に隠れていた優美な規則性を自分の心が発見する瞬間がある、そのときから、体育館は自分の居場所になり、その心地よさを思い出せば、放課後が待ちきれなくなる。
毎日毎日、その音は違うはずなのに、体育館に近づくと、扉越しに聞こえてくる音は、これこそまさにいつもの音だと俺を安心させた。
長いラリーを俺はものにした。得点は十―十一。最後は三点差がついて十八―二十一になる予定だから、ぎりぎり追いつかないくらいがちょうどいいだろう。
冷静にそう考えている頭とは裏腹に、心に蘇るのは先ほどの声援だった。中学校に入学してから四年半のあいだ、俺はバドミントンにのめりこんだ。中学校でも、高校でも、部員の誰かに優しくしたわけでもなく、友達になろうと行動したこともなかった。
美晃以外の部員とは、基本的にこの体育館以外では会わない。音楽の時間に見かけるか、廊下ですれ違ったりしたときには挨拶するけれども、それっきりの仲だ。
もしかしたら、何時間も一緒に練習をして、一言も交わさなかったこともあるかもしれない。そんなやつらでも、間違いなく仲間だった。
バドミントンは個人競技だけれど、バドミントン部はチームだと思えた。馴れあうためでもなく、喧嘩するためでもなく集まる仲間。それをチームと呼ぶのだと思う。
自分の感覚が研ぎ澄まされ、集中力の高まりが感じられた。何気なく打ったヘアピンがネットイン。十一―十一。
副島先輩の背後で、二年生の男子が手を軽く、遠慮がちに叩いた。拍手の輪はまたたく間に広がり、四方から俺の健闘を称えてくれていた。
次のラリーで、俺は序盤に中途半端なショットを打ってしまった。同点だから、得点調整をしなければ。そう後押しする声はまだ頭の中で強くこだまして、迷った末のショットだった。
そしてもちろん、副島先輩相手に少しでも甘い球を打ってしまうと万事休すである。じりじりと追い込まれ、最後はスマッシュが決まって十一―十二。
「ナイスショット」「よっしゃ」
三年生の先輩たちから歓声が上がる。少し遅れて拍手もやってくる。俺はシャトルを手で拾い、副島先輩のコートに投げ返す。副島先輩はそれを無表情でキャッチした。そして、俺が構えるとすぐにサーブを打ってくる。
今度は副島先輩が、らしくない甘い球を放った。俺はそれを、少し力を抜いたスマッシュで返す。副島先輩のレシーブは鋭いクロスへの切り返し。俺は追いつけず、連続得点を許す。
十一―十三。三年生たちが湧き、二年生たちは半ば感心したような、神妙な顔つきで黙していた。
じわりと悔しさが胸にこみあげる。どうせ負けてしまうなら、と俺は決意した。
次のラリーから、俺はひたすら強い球を打ち続けた。緩い球ですかしたり、少し苦しくなったからと言って高く上げたりしない。ひたすら低く、強く打った。
当然、ネットに引っかかる確率は上がる。引っかからなくても、こちらが速い球を打つということは、相手からの返球のタイミングも早い。無理な態勢から打てば、次の球には追いつかない。
それはまるで、副島先輩のバドミントンだった。ここまで極端ではないけれど、ひたすら強い球を打ってくる傾向があった。たまに打つ緩い球も妙に際どいところを狙っていて、そのせいでミスが生まれたりもする。
繋ぐ球、組み立てる球はあまりない。すべてが決める球だった。相手を追い込むとか、誘い出すとかいうことをほとんどしない人だった。
激しい打ち合いになった。シャトルが地面とほぼ平行にびゅんびゅん飛んだ。どちらかが得点するたび歓声が起こった。フルセットにもつれ込み、得点上は激戦を演じているこのコートはかなり試合時間を食っているようで、他のコートで試合をしていた部員たちが続々と集まってきていた。ついには、女子の姿もちらほら見え始める。
得点は十五―十八で、互いに息を切らしていた。サーブの構えに入る前、俺は実果を見上げた。実果は俺の視線に気づくと、はっと驚くような表情をして、それから笑った。勝負の行く末が気になって、俺がサーブを打つのをいまかいまかと待っていたというような驚き方だった。
思い切りロングサーブ。そして叩き合いになる。副島先輩も緩い球を打ってこない。激しい打ち合いの中で、副島先輩の球筋が見えるようになってきていた。シャトルが弾丸のように。地面と平行になるように飛ぶドライブばかりを打っているから、相手の癖や、打球の方向が自然と分かってくる。
じゃんけんで最初に出すのはグーかチョキかパーか。その確率は三分の一ではない。じゃんけんの初手に個性があるように、球のコースや高低にも、このタイミングでこれを打つのがこの人の癖というものがある。
それは本人にとって打ちやすいショットで、本人は得意パターンだと考えているけれど、それを予測できるようになったらこっちのものだという癖が必ずある。