第38話

文字数 2,592文字

言葉は無意識に口をついていた。

「でもじゃない。わたしもやるよ」

その瞬間、気持ちいいと思った。まだ何も成し遂げていないのに、ただそう言っただけなのに、シャワーが汗を洗うような、涼しい風が全身を乾かすような、初夏の夢心地にわたしは包まれた。チャイムが鳴った。

「もうこんな時間?」

わたしは思わず時計を見上げる。中庭に設置された、メルヘンなモニュメントの先端に乗っている時計。時刻は八時二十五分。

「予鈴だね」

田島くんも時計を見上げている。

「高濱さん、ごめんね、時間潰しちゃって」

栢原さんは立ち上がり、スカートのお尻の部分を軽くはたいた。

「潰れてなんかないよ」

とんちんかんなわたしの答えに、栢原さんも田島くんもぽかんとしていたけど、わたしはできる限り屈託なく笑って見せた。


たぶん、日本全国のいろんなクラスに存在するのと同じように、明真学園高校特進科にも、クラス全体でつくるSNSのグループというものがある。

幸いにもスマートフォンを持っていないという生徒はおらず、グループから漏れている人もいない。合唱大会や文化祭の時期に、リーダーシップを執る側が一方的に連絡するくらいにしか稼働しないけれど、これがあるおかげで、クラス全員と「友達」になれるわけだ。

わたしと栢原さんと田島くんが集合したのは栢原さんの家の近くのドーナツショップで、わたしは少し緊張していた。学校行事の準備や練習がある時ならともかく、何もない時期に寄り道なんて滅多にしない。

栢原さんは手慣れた様子でドーナツを二つ選び、田島くんは棚を一瞥してから機械的な仕草で一つトレイに乗せた。わたしは目移りしてしまって、会計を済ませる二人の姿に焦って、席に着いた時には自分のドーナツの選択に後悔してしまっていた。

「じゃあ、高濱さん、お願い」

席に着くなり栢原さんは言った。食べ物にも飲み物にも手を付ける気配を見せず、早く始めましょうと目で訴えている。

「うん」

わたしはスマートフォンを握りしめ、慎重に操作を始めた。クラスメイトを一人一人、新しく作ったグループに追加していく。

そうして、祐斗以外のクラスメイト全員が入ったグループが完成した。わたしは深呼吸をして、最初の一言を入力していく。これがクラスメイト達のモチベーションを決める重要な第一歩になる。最悪なのは、「みんなー、きいてー、富田くんがー」というパターンだ。軽いノリと、協力してもらえるのが当然だという態度。自分側に正義があるという妄信。良いのは、その逆パターン。

「みなさん突然すみません。頼みがあってこのグループをつくりました」

軽薄な絵文字や画像も付けない。栢原さんと田島くんがわたしの横に回りこみ、画面を上から覗きこむ。何人かが返答してきた。普段わたしと仲がいい女子と、どんなことにでも首を突っ込みたい男子。

「富田くんだけこのグループに入っていないのですが、」

わたしはそう始めて、なるべく抑制的に、淡々と事情を説明した。長くなりすぎると不格好なので、端的に端的にと意識したけれども、それでもやや長文になってしまう。

かすかに聞こえた、栢原さんと田島くんが唾を飲む音。コーヒーから湯気が立ち上らなくなっても、二人はわたしの横を離れない。

事情を全て語り終えると、協力を申し出る言葉が数人から投じられた。積極的に参加するだろうな、と思っていた面子だ。続いて、だんまりを決め込むわけでもないだろうという層から同じような言葉が出てくる。そして、その中の一人が聞いた。

「一人どれくらい出せばいい?」

栢原さん、田島くんの順にわたしは目を合わせる。二人は無言で頷いた。
わたしは金額を打ちこむ。

「わたし出せるよ」

最初の返事はそれだった。栢原さんが胸の前で小さくガッツポーズをする。田島くんは珍しく、露骨に渋い顔をしている。

もし一人なら、わたしは空いている手を顔にあて、ため息をついただろう。「ちょっと高くない?」くらいの反応が良かった。払えない人もいるだろうし、払えたとしても躊躇いが当然の金額だ。そんな人たちに支払わない罪悪感や無理な支払いを押し付けてしまう。


「なんとかなりそうだね」

そう呟いて、栢原さんが席に着く。田島くんは黙って椅子を引いた。

「そうだね」

わたしは無理やりに微笑んで見せる。

その後、お金の回収手段と富田くんへの渡し方を話し合って、手ごろな時間に解散した。手を振りながら駅前の駐輪場へ向かう栢原さんを見送ると、わたしと田島くんの二人になる。

「高濱さん、納得してる?」

田島くんは栢原さんが消えていった方角を見つめながら言った。意外にも力強い口調に、わたしは少し驚く。田島くんから話しかけられたことなんてなかったし、たとえ二人きりになっても話しかけてくるとは思っていなかったからだ。気まずい沈黙にならないよう、わたしの側からフォローしなくちゃというくらいに考えていたので、わたしは狼狽した。

「納得? この企画に参加してることに?」
「違うよ。こういうやり方に」

田島くんの横顔を見て、わたしは悟った。田島くんもわたしと同じ気持ちなんだ。

「まぁ、払いたくない人もいるよね。こんなの押し付けだよ。もちろん、富田くんは可哀そうだし、富田くんに比べればみんなの事情なんて小さいんだろうから、払えよってわたしは思う。でも、正義感を振りかざすだけじゃみんなついてこない。特進科は大人しいから表だって反対する人はあんまりいないだろうけど、でも、内心は嫌がってる人も多いとはず。それでも、やろうとしている自体は悪くないよ。できる範囲でみんなが納得いくようにしていかなくちゃ」

共感してくれると期待して、わたしは本音を吐露したけど、田島くんはぽかんとして、

「そういう捉え方もあるんだね」

と他人事のように呟いた。

「田島くんはどう思ってるわけ?」
「おれは、なんというか、『粋』じゃないんじゃないかなって」
「イキって何?」
「格好いい、みたいな」
「かっこ悪いやり方だってこと?」
「なんとなくね」

田島くんは腕を組みながら遠くに目線をやっていて、物憂げに思いを馳せている感じを出したいのかもしれないけれど、かっこつけるなよ、とわたしは思った。

クラスメイトの窮地にみんなが立ち上がって、協力して解決する。ベタすぎる理想論で、お涙頂戴かもしれないけれど、これ以上の王道もない。これが美しくなければ、いったい、何が美しいというのだろう。
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