第61話

文字数 4,837文字

 もしかしたら、この葉尊は、この矢田とバニラを同時に、この世から、消し去るつもりかも、しれん…

 そう、気付いた…

 なにより、この葉尊は、策士…

 策士だからだ…

 すでに、言ったように、この葉尊が、この矢田と結婚したのは、台湾の大企業が、日本の総合電機メーカー、クールを買収した際に、日本人が、反感を覚えないように、するためだと、気付いた…

 日本人は、一般に、欧米の企業よりも、アジア系の企業を下に見る傾向が強い…

 だから、それを和らげるために、私との結婚を画策した…

 台湾の大企業の御曹司が、日本の平凡な女と結婚すれば、話題になるからだ…

 しかも、

 しかも、だ…

 私は、平凡…

 平凡、そのものの女だ…

 美人でも、なんでもない…

 頭も良くもない…

 家も、金持ちでも、なんでもない…

 絵に描いたように、平凡…

 平凡そのものだったからだ…

 だから、そんな平凡そのものの、この矢田と結婚すれば、話題になり、台湾の大企業が、日本の総合電機メーカーを買収した反感が、和らぐ…

 それが、狙いだったと、気付いた…

 要するに、抜け目ない…

 抜け目ない策士だと、気付いた…

 だから、この機会に、葉尊にとって、邪魔な二人…

 私とバニラを亡き者にするつもりかと、気付いた…

 なぜなら、この矢田は、葉尊にとっては、もはや、用済みの可能性も高い…

 それに、あのバニラだ…

 あのバニラは、葉尊の父、葉敬の愛人…

 息子の葉尊より、8歳も、若いにもかかわらず、愛人だ…

 これは、普通に考えれば、この葉尊にとって、面白いはずはない…

 この葉尊にとって、バニラが、愉快な存在であるはずがない…

 だから、この機会を使って、この矢田とバニラを、この世から、抹殺しようとしているのかも、しれん…

 なにより、手を汚す必要がない…

 葉尊が、手を汚す必要がない…

 ただ、私とバニラを、サウジの前国王の元にやればいい…

 そうすれば、サウジの前国王が、この矢田とバニラを抹殺するかも、しれんからだ…

 私は、考えた…

 考えたのだ…

 だから、

 …どうする?…

 と、思った…

 この葉尊の提案に、乗るべきか、否か、考えた…

 が、

 断ることは、できんかも、しれん…

 ふと、気付いた…

 相手は、この葉尊ではない…

 サウジの前国王だ…

 サウジの前国王の招待だ…

 仮に、葉尊に、どんな思惑があろうとも、サウジの前国王の招待があったことは、事実…

 紛れもない、事実だろう…

 まさか、この葉尊が、仕組んだとは、思えんからだ…

 いかに、台湾の大企業の御曹司でも、そんな大それたことが、できるとは、思えんからだ…

 そして、全力で、そんなことを、考えていると、ふと、矢口のお嬢様の言葉を思い出した…

 あの矢口のお嬢様は、

 「…矢田…オマエは、なにか、あったら、葉問さんを頼れ…リンダさんを頼れ、バニラさんを頼れ…」

 と、この矢田に告げた…

 あの私そっくりの外観を持つ、矢口のお嬢様が、真顔で、告げた…

 正直、吹き出す寸前だった(笑)…

 なにしろ、この矢田トモコそっくりの、あの矢口のお嬢様が、いかに、真剣な表情で、私になにか言っても、それは、コメディーというか…

 お笑いになってしまう(笑)…

 なぜ、お笑いになってしまうかと、言えば、あのお嬢様は、この矢田と同じく、威厳がなにもないからだ…

 全然、偉く見えないからだ(笑)…

 そんな全然、偉く見えない、自分のそっくりさんが、いかに、真剣に私に忠告しても、響かないというか…

 ハッキリ言って、刺さらない(爆笑)…

 が、

 そうは言うものの、お嬢様の言葉は、わかった…

 十分、過ぎるほど、わかった…

 十分、過ぎるほど、理解した…

 だから、私は、

 「…葉尊…リンダも、連れて行くさ…」

 と、突然、切り出した…

 「…リンダですか? …お姉さん…」

 葉尊が、驚愕した…

 実は、ここで、リンダの名前を出したのは、理由があった…

 リンダは、言わずと知れた、ハリウッドのセックス・シンボル…

 その存在は、世界中に知られている…

 バニラも、世界的に有名なモデルだが、その知名度は、リンダの足元にも、及ばん…

 圧倒的な差がある…

 いうなれば、ハリウッドのセックス・シンボル、リンダ・ヘイワースを知らない者は、少ないが、モデルのバニラ・ルインスキーを知らない者は、それなりにいると、いうことだ…

 つまりは、バニラに至っては、知っている者は、知っているけれども、知らない者は、知らない…

 というのが、正しいのかも、しれない…

 そして、二人を連れて行って、もし、行方不明にでも、なれば、大変なことになる…

 世間が、騒ぎ出すからだ…

 とりわけ、リンダ・ヘイワースが、行方不明になれば、大騒ぎになる…

 それが、この矢田の狙いだった…

 つまりは、この二人を連れて行けば、いかに、サウジアラビアの前国王といえども、安易に手を出せないと、思ったのだ…

 そして、当然、この矢田にも、手が出せん…

 そう、思ったのだ…

 だから、今、夫の葉尊に、リンダも連れて行くことを、提案したのだ…

 いわば、二人を連れて行くことで、この矢田の身の安全を保障しようと、考えたのだ…

 この葉尊の提案にうっかり乗って、この矢田が、サウジの前国王に亡き者にでもされたら、死んでも、死に切れん…

 そう、思ったのだ…

 だから、言った…

 リンダも、また、連れて行くと言ったのだ…

 私の提案に、葉尊は、考え込んだ…

 しばし、沈思黙考した…

 だから、

 「…どうした? 葉尊?…」

 と、聞いた…

 「…リンダですが、スケジュールが、わかりません…」

 「…スケジュールだと?…」

 「…ハイ…リンダは、今、新作の映画の打ち合わせが入っていると、聞きました…ですから、今、お姉さんが、言ったように、サウジアラビアの前国王の招待に、応じられるか、否かは、わかりません…リンダのスケジュールが、わかりませんから…」

 葉尊が、言う…

 私は、それを、聞いて、

 …しまった!…

 と、思った…

 せっかく、リンダを連れて行く、機会なのに、しくじったと、思った…

 たしかに、リンダが、忙しいのは、わかる…

 なにしろ、ハリウッドのセックス・シンボルだ…

 暇なはずがない…

 たまたま、これまで、暇だったから、私と付き合っていたに違いないのが、真相だろう…

 なにしろ、リンダと仲良くなったのは、この半年に、過ぎん…

 この葉尊と、結婚してから、リンダと、知り合った…

 リンダは、葉尊の幼馴染(おさななじみ)…

 その縁で、学生時代、葉尊の実父、葉敬から、生活の援助を受けていたと、聞いた…

 リンダは、実父がなくなり、生活が苦しかったからだ…

 生活といっても、それは、学費だとも、聞いた…

 それが、きっかけで、リンダは、後に、アメリカに渡り、モデルとなり、さらに女優に転身し、ハリウッドのセックス・シンボルと呼ばれる地位になっても、葉敬の会社、台湾の台北筆頭のキャンペーン・ガールをずっと、続けている…

 生活が、苦しかった時代に、葉敬に受けた恩があるからだ…

 だから、葉敬から、逃げれない…

 その点が、バニラとは、違う…

 バニラは、葉敬の愛人…

 バニラと葉敬のなりそめは、知らんが、二人は、男女の関係に、なり、マリアという娘まで、生まれた…

 つまりは、バニラは、葉敬の家族だが、リンダは、違う…

 リンダは、葉敬にとって、他人…

 その点が、まったく違う…

 バニラもまた、台北筆頭のキャンペーン・ガールをしているが、葉敬にとって、リンダとバニラでは、重みが違うというか…

 重要度が、違うだろう…

 私は、思った…

 と、

 そこまで、考えて、気付いた…

 私が、サウジアラビアの前国王の招待を受けるのは、構わんが、それは、一体、どこで、受けるのか?

 考えたのだ…

 まさか、この矢田にサウジアラビアに行けと言うのか?

 考えた…

 考えたのだ…

 だから、慌てて、葉尊に、

 「…葉尊…一つ、大事なことを、聞き忘れたが、聞いていいか?…」

 と、聞いた…

 「…ハイ…なんですか? …お姉さん?…」

 「…私が、サウジアラビアの前国王と会うというのは、わかったが、それは、どこで、だ? まさか、サウジアラビアに、来てくれ、なんて、言わないだろうな?…」

 「…それは、まさか…あり得ませんよ…」

 「…どうして、わかる?…」

 「…前国王といえば、その国を代表する人間です…そんな失礼なことをする人間は、いません…地位の高い人間ほど、相手の都合を最優先する…相手の都合を真っ先に、考える、そんなひとたちです…」

 「…」

 「…いわば、地位の高い人間ほど、教養だけでなく、人間性も、優れている…っていうか、生まれつき、そう教育されている…」

 「…」

 「…ですから、おそらく、前国王は、非公式に、極秘に来日されるのだと、思います…」

 「…来日? …日本に来るのか?…」

 「…ハイ…これは、サウジアラビアの前国王に限った話ではなく、他国の重要人物でも、同じです…要するに、日本政府の仲介なく、来日する…だから、その来日を、日本政府は、掴んでいる場合もあるし、そうでない場合もあるでしょう…もっとも、サウジアラビアは、大国だし、日本との関係も深い…非公式ながらも、来日となると、日本政府も、知らないわけは、ないでしょう…なにしろ、警備の面がある…」

 「…警備の面だと?…」

 「…サウジアラビアの前国王が、プライベートで、極秘来日して、なにか、事件に巻き込まれたり、おおげさに言えば、暴漢に襲われでもしたら、大変です…だから、プライベートといっても、おそらく、事前に日本政府に、報告して、警備の強化が、図られるでしょう…だから、変な話、プライベートといっても、全然プライベートじゃない…日本の警察が、護衛するでしょう…当然、サウジアラビアの大使館も同様です…」

 私は、そんなものかと、驚いた…

 が、

 言われてみれば、それも、当たり前だと、気付いた…

 例えば、日本の天皇陛下や皇族など、お偉いさんが、プライベートで、外国に行くといっても、それは、完全なプライベートでは、あり得ない…

 訪問する外国に、事前に伝え、警備方針についても、協議するだろう…

 当然、他の皇族の方たちも、例えば、夫婦二人で、訪問するはずが、宮内庁の関係者や、警護の者をたくさん連れて歩くに違いない…

 いわば、プライベートといっても、大名行列…

 ずらずらと、大勢の人間を連れて歩くことになる…

 いいか悪いかは、別として、お偉いさんの旅行は、そんなものだ…

 私のような一般人は、一度でも、そんな待遇をしてもらいたいと、考えるが、当時者の面々は、嫌だろう…

 プライベートと言っても、全然、プライベートは、なにもない…

 いつも、誰かに、見られている…

 いつも、誰かに、見張られている…

 そんなプライベートだ…

 想像するだけで、うんざりする…

 私は、思った…

 思ったのだ…

 が、

 とりあえずは、この日本で、サウジアラビアの前国王と、会うことが、わかった…

 この点は、安心した…

 いかに、この矢田トモコとて、外国に行くのは、嫌だったからだ…

 なにしろ、言葉が、通じない…

 そんなところを、行くのは、嫌だった…

 もし、なにか、あっても、周りに、助けを求めることも、できんからだ…

 この矢田も、もっと、若いときは、無鉄砲というか…

 考えが、浅かった…

 が、

 今、35歳になり、若い時分に比べれば、少しは、知恵がついた…

 あくまで、少しばかりだが、知恵がついた…

 そして、その知恵というのは、ずばり警戒心というか…

 無茶をしなくなった…

 危険だと思うことを、しなくなった…

 つまりは、それが、歳を取るということなのだろう…

 この矢田トモコも、大人になったのだ…

 私は、今さらながら、そう思った…

 矢田トモコ、35歳…

 すでに、自分に酔っていた(笑)…

 自分の成長に酔っていた(爆笑)…

               
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