第75話

文字数 4,714文字

 「…わかったさ…」

 アムンゼンの言葉に従って、私たちは、全員、アムンゼンの豪邸に入った…

 アラブの至宝とまで、呼ばれた、アムンゼンが、日本の小さな家に住むのは、おかしい…

 オスマンの発言が、アムンゼンの気分を害したのは、明らかだった…

 が、

 オスマンは、それを気にすることは、なかった…

 軽く、肩をすくめただけだった…

 それは、やはり、肉親だからだろう…

 血を分けた、叔父と甥だからだろう、と、私は、思った…

 アムンゼンもまた、オスマンでなければ、こんな態度は、取らなかったに違いない…

 明らかに、不機嫌な態度は、取らなかったに違いない…

 これは、肉親だから、できるのだ…

 親しい身内だから、できるのだ…

 これが、他人なら、大変なことになる…

 まして、このアムンゼンは、大物…

 アラブの至宝と呼ばれた大物だ…

 また、そこまで、言わんでも、このアムンゼンは、サウジアラビアの王族…

 つまりは、地位のある立場だ…

 だから、むやみに感情を表すことは、できん…

 相手が、不快に、感じては、ダメだからだ…

 どんなときも、相手の、気分を害さないように、振る舞う…

 つまりは、常に自分の感情を抑える術(すべ)を身に着けているということだ…

 だからこそ、このアムンゼンが、オスマンを相手に、感情を表したのは、珍しい…

 真逆に、言えば、それほど、親しい…

 あるいは、それほど、アムンゼンは、オスマンに気を許していると、言っていいのかも、しれない…

 と、

 そこまで、考えて。気づいた…

 さっき、このアムンゼンが、言った、

「…セレブの保育園に通って、よかった…」

と、言った意味を、だ…

それは、たぶん、感情を抑えることを、しなくなったことも、大きいのではないか?

なにしろ、相手は、子供だ…

子供=お子様だ…

だから、皆、感情のままに、行動する…

自分を抑えない…

それが、よかったのかも、しれない…

いつも、自分の感情を抑えて、生きてきたアムンゼンが、おそらく、生まれて初めて、自分の感情のままに、行動する…

それが、嬉しかったのかも、しれない…

が、

その結果、保育園で、みんなと、合わなかった(笑)…

はっきり言えば、他の園児と、仲良くなれず、孤立した…

私は、以前、このアムンゼンが、保育園で、孤立したのは、30歳のアムンゼンが、3歳の園児に、混じって、いっしょに、園児を演じているからだと、考えたが、それだけでは、なかったのかも、しれない…

アムンゼンが、それまでの衣を脱いで、感情を爆発させ、他人を気にすることなく、自分勝手に振る舞ったからかも、しれない…

それゆえ、保育園で、孤立した…

そういうことかも、しれない…

そして、それを、救ったのが、このマリアだった…

バニラの娘のマリアだった…

だから、アムンゼンは、マリアに頭が上がらない…

ホントは、30歳のアムンゼンが、3歳のマリアに頭が上がらない…

笑ってしまうが、それが、現実だった…

それが、事実だった…

なにより、3歳のマリアには、下心がない…

純粋に、孤立したアムンゼンに手を差し伸べた…

それが、アムンゼンには、嬉しかったのだろう…

何度も、言うが、このアムンゼンは、お偉いさん…

サウジアラビアのみならず、アラブ世界で、主要な人物の一人だ…

だから、皆、アムンゼンに忖度する…

相手が、お偉いさんだから、感情をぶつけない…

当たり前のことだ…

自分より、明らかに、地位の高い相手に、感情の赴くままに、自分の感情をぶつける人間は、いない…

が、

それが、アムンゼンは、不満だったのかも、しれない…

だから、真逆に、保育園の園児たちが、あからさまに、アムンゼンに対して、自分の感情をぶつけるのが、嬉しかったのかも、しれない…

私は、思った…

思ったのだ…

私が、そんなことを、考えていると、

「…このお屋敷って、ホント、凄いお屋敷ね…」

と、バニラが、呆気に取られたように、呟いた…

「…まるで、美術館や博物館みたい…」

「…いや、みたいじゃなくて、その通りだったんだ…」

と、オスマン…

「…エッ? …どういう意味?…」

「…だから、美術館を、買い取ったんだよ…」

「…エーッ…美術館を買い取った?…」

と、バニラが、素っ頓狂な声を上げた…

「…ほかに、良い物件がなかったんです…」

と、アムンゼンが、呟いた…

「…良い物件がなかった? …どういう意味?…」

「…ボクは、サウジアラビアの王族です…ですから、身分がある…地位もある…」

「…」

「…だから、誰か、要人を、招くときに、それ相応の建物が、必要になる…例えば、日本の天皇陛下が、日本の普通の家屋に住んでいれば、興ざめでしょ?…」

「…それは…」

と、バニラ…

「…それは、例えば、日本のタワーマンションでも、ダメです…もっと、言えば、他人といっしょに、住んでいる家では、ダメ…独立した建物でなければ、なりません…」

「…」

「…そして、この東京で、独立した立派な建物や、大きな土地を購入するのは、難しいです…たまたま、経営不振に陥った美術館があるのを、知って、ボクが、購入して、それを私邸に改装したわけです…」

「…」

「…もっとも、さっき、マリアが言ったように、ボクは、この通り、カラダが、小さい…だから、ボク個人は、小さな家で、十分…ワンルームで、十分です…ですが、やはり、立場というものが…」

アムンゼンが、説明する…

そして、その言葉に、ウソは、ないと、私は、思った…

なぜなら、このアムンゼンは、さっき、この豪邸に来るときに、あのアルファードというクルマに、乗ってきた…

たしかに、立派なクルマだが、言葉は悪いが、所詮は、庶民のクルマだ…

金さえ、払えば、誰もが、乗れるクルマだ…

だから、アムンゼンが、アルファードに乗って、怒らないのは、驚いた…

が、

考えてみれば、それは、プライベートだからかも、しれんかった…

アムンゼンが、公の場で、出向くには、やはり、それ相応の豪華なクルマでなければ、おかしい…

ハッキリ言えば、ロールス・ロイスが、一番ふさわしい…

誰もが、世界で、一番の高級車と、思っているからだ…

だから、サウジの王族にふさわしい…

が、

このアムンゼンが、言ったように、プライベートでは、どうでも、いいのかも、しれんかった…

まさか、天皇陛下が、軽自動車に、公の場で、自ら、運転して、現れるわけには、いかない…

それと、同じだ…

天皇陛下とて、プライベートで、昔からの友人、知人に会うならばいい…

が、

公の場で、それは、できない…

公=パブリックの場で、そういう行動はできない…

それと、同じだ…

私は、思った…

私は、考えた…

結局、私たちは、美術館を改装した豪邸の客間に、招かれた…

「…どうぞ、お気楽になさってください…」

アムンゼンが、言う…

が、

お気楽も、なにも、なかった…

まるで、ベルサイユ宮殿の一室かと、思うほど、部屋の中が、豪華だったからだ…

生粋の庶民である、この矢田などは、全然落ち着けんかった…

そして、それは、バニラも、バニラの娘のマリアも、また同じだった…

「…こんな、凄い部屋で、落ちつけって、言ったって…」

マリアが、不満を漏らす…

ずばり、この矢田と母親のバニラの考えたことと、同じことを、口にした…

私は、心の中で、思わず、

「…その通りさ…」

と、叫びたくなった…

私や、バニラが、口にできんことを、マリアが、言ってくれたからだ…

大人である、この矢田やバニラが、口にしたくても、できんことを、言ってくれたからだ…

マリアの言葉を聞いた、アムンゼンは、

「…マリア…そんなことを、言わないで…」

と、不満を漏らした…

「…ボクの立場上、どうしても、ひとをもてなすのに、こういう豪華な部屋が、必要なんだ…」

「…だったら、アムンゼン…アンタ、こんな豪華な部屋で、寝るの?…」

「…それは…」

アムンゼンが、口ごもる…

すると、

「…おじさんは、ホントは、質素な部屋が、好きなんだ…」

と、オスマンが、横から、口を挟んだ…

「…質素ってなに?…」

「…飾らないことだ…」

「…飾らないって?…」

と、マリア…

やはり、3歳のマリアでは、言葉の意味がわからないことが、多い…

すると、今度は、

「…つまり、余計なことを、しないっていうか…」

母親のバニラが、言った…

「…ハッキリ言えば、殿下には、失礼ですが、こんな立派な家に住まなくても、普通の家で、住めるでしょ?…」

「…」

「…つまり、ホントは、殿下は、こんな豪華な家に住みたいのではなく、自分は、私とマリアの住む、マンションでも、十分、満足だって、言いたいわけよ…」

「…そうなんだ…」

マリアが、納得した…

「…だったら、どうして、アムンゼンは、こんな豪華な家に住んでいるの?…」

「…殿下の立場よ…」

「…立場って?…」

「…ほら…ママだって、マリアも知っているように、モデルとして、有名でしょ?…」

「…うん…ママは、キレイで、有名…」

「…そのママが、やっぱり、日本のちっちゃな家に住んでいて、もし、それが、世間に知られたら、ママのファンだとか、ママを知るひとは、幻滅するというか…ガッカリすると、思う…それが、わかっているから、ママも、ちっちゃな家には、住まない…ホントは、今の大きなマンションは、必要ないんだけれども、仕方なく住んでいる…ある意味、見栄のために住んでいる…」

「…見栄のために、住んでいる…ですか…ウマいことを、言いますね…バニラさん…」

と、アムンゼン…

「…殿下、ありがとうございます…」

と、慌てて、バニラが、礼を言った…

「…バニラさんの言う通りです…ボクも、サウジの王族という見栄のために、こんな豪華な家に住んでます…それが、なければ、小さな家で、十分ですよ…こんな小さなカラダです…日本のワンルームマンションで、十分です…」

「…殿下…」

「…オスマンが言う通り…ボク自身は、どんな家に住んでもいい…でも、ボクが、サウジの王族だということが、世間にバレて、それが、ネットで、全世界に報道されれば、サウジの王室の恥になります…兄である、現国王と、父である、前国王の顔に泥を塗ることになります…だから、できない…だから、住めない…」

アムンゼンが、語る…

その言葉に、ウソはないと、私は、思った…

さっき、この豪邸にやって来たときに、乗って来たクルマは、トヨタのアルファードだったし、普段のアムンゼンも、また、決して、富を見せびらかすことは、ない…

そして、すでに、言ったが、それが、生まれというものだろうと、私は、思った…

生まれつき、金持ちの家に生まれ、なに不自由ない生活を送る…

だから、それが、普通と考える…

それゆえ、変に見栄を張らない…

なまじ、貧乏だったりしていたものが、成功したから、豪華なクルマを買い、豪邸を建てる…

「…オレ(アタシ)は、成功した…」

と、本音では、世間に叫びたいからだ…

が、

元々、成功している、金持ちの家に住んでいたものは、そんな気持ちは、ないに違いない…

豪華な生活が、普通だからだ…

金がある生活が、日常だからだ…

だから、変に肩肘張って、見栄を張る必要もない…

他人に向かって、

「…オレ(アタシ)は、凄いんだ!…」

と、叫び出したい気持ちもないに違いない…

そして、それを、考えたときに、つくづく、生まれ、あるいは、育ちというものは、重要だと、思った…

子供時代の生活が、その人間の一生を形成すると、言ったものが、いるが、その通りだと、思った…

その人間の一生、あるいは、人格を形成すると、言ったが、その通りだと、思った…

金持ちの家に生まれるか?

それとも、貧乏な家に生まれるか?

その時点で、すでに、決定的な差が、できる…

つくづく、人間は、生まれつき、平等ではないと、私は、思った…

              
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