第79話

文字数 4,550文字

「…なにを、閃いたんだ?…」

 私は、聞いてやった…

 「…プレゼントです…」

 「…プレゼントだと?…」

 「…そうです…」

 「…もしかして、そのプレゼントが、私?…」

 と、バニラ…

 が、

 アムンゼンは、答えんかった…

 それには、直接は、答えんかった…

 「…ひとに会いに行くには、プレゼントが、必須です…」

 アムンゼンが、続ける…

 「…そのプレゼントが、バニラというわけか?…」

 私は、言ってやった…

 が、

 アムンゼンは、それには、答えず、

 「…父や兄といっても、いっしょに暮しているわけでも、ありません…たまに、会いに行くのに、手土産は、欠かせません…」

 「…手土産だと?…それが、バニラというわけか?…」

 「…父は、バニラ・ルインスキーの熱心なファンです…一度、本物のバニラさんと、会わせてやりたかった…」

 「…なんだと?…」

 「…誰もが、同じでしょ? 誰かが、誰々のファンと聞けば、会わせてやりたいのが、人情です…しかも、ボクは、こうして、バニラさんと知り合った…」

 「…だったら、殿下…直接、私に言ってくだされば…」

 バニラが、言った…

 もっともな、言葉だった…

 が、

 アムンゼンは、それ以上は、言わんかった…

 いや、

 言えんかったのかも、しれんかった…

 「…会わせることは、できます…ですが、その後が…」

 アムンゼンが、ためらいながら、続けた…

 「…父も、高齢ですが、男です…だから、どういう行動をとるか、わかりません…」

 アムンゼンが、言った…

 断言した…

 途端に、バニラの顔が、曇った…

 明らかに、険しい表情に変化した…

 当たり前のことだった(笑)…

 「…そして、ボクが、父以上に、恐れるのは、父の側近たちです…」

 「…側近たちって? …どういう意味ですか? …殿下?…」

 と、バニラが、アムンゼンに聞いた…

 「…忖度(そんたく)ですよ…バニラさん…」

 「…忖度(そんたく)って?…」

 「…要するに、父に気に入られようと、父の側近たちが、勝手に、バニラさんを、どうにか、するんじゃないかと、心配だったんです…」

 「…」

 「…もちろん、そこに、父の意向は、ありません…ただ、側近たちが、父に内緒で、動くだけです…ですが、それが、なにより、怖い…」

 「…どうして、怖いんだ?…」

 私は、聞いてやった…

 「…父のコントロールが効かないからです…父に内緒で、勝手に動く…だから、困る…」

 「…」

 「…そして、これは、ボクも同じです…」

 「…なにが、同じなんですか? …殿下?…」

 と、バニラ…

 「…ボクの側近たちもまた同じ…ボクに内緒で、ボクが、喜ぶと思ったことを、時々してくれます…」

 「…なんだと?…アムンゼン、オマエに内緒で、か?…」

 と、私。

 「…そうです…矢田さん…ですが、矢田さん、ボクのために、側近たちが、してくれたことです…だから、後で、ボクが、それを知っても、側近たちを叱ることは、できません…父も、また、同じです…」

 私とバニラは、言葉もなかった…

 が、

 思わず、顔を見合わせた…

 あまりにも、意外な、アムンゼンの言葉だったからだ…

 「…それって、どういう?…殿下…失礼ながら、殿下の力で、側近たちに、そんなことを、しないように、命じることは、できないんですか?…」

 と、バニラが、聞いた…

 これも、当たり前のことだった…

 アムンゼンが、ゆっくりと、首を横に振った…

 「…できません…父にも、ボクにも…そして、兄にも…」

 「…そんな…」

 「…だから、ボクは、常々、自分の感情を殺して、生きてきました…もちろん、人間ですから、すべての感情を殺すことは、できません…これは、父も兄もまた同じです…いえ、父や兄だけじゃない…世界中の王族たちは、皆、同じでしょう…常に、自分の感情を爆発させるような真似をすれば、誰も、相手にしなくなります…たとえ、王族に仕える者たちでも、相手が、わがまま過ぎれば、嫌になって、当たり前です…」

 「…」

 「…ボクが、この日本に来て、良かったのは、ボクが、セレブの保育園に入ったことが、一つです…周囲は、皆、子供たちです…だから、遠慮なく、自分の感情を爆発させることができた…でも、その結果、周囲から、孤立した…これまで、散々、抑えてきた感情を、一気に、爆発させたから、わがままが過ぎたんです…まあ、マリアが、いてくれたから、どうにか、なりましたが…」

 アムンゼンが、苦笑する…

 「…そして、もう一つ、この日本に来て、良かったのは、このオスマンが、ボクの側近になったことです…」

 「…どうして、オスマンが、側近になったのが、良かったんですか? …殿下?…」

 バニラが、聞いた…

 「…オスマンは、ボクの甥です…だから、気を許せるというか…他の側近に比べ、気を使わなくてすむ…」

 アムンゼンが、言うと、オスマンも、また、苦笑した…

 「…父が、オスマンの面倒を見てやってくれと、言うから、オスマンの面倒を見たわけですが、結果的には、もしかしたら、面倒を見て、もらったのは、ボクの方かも、しれない…」

 「…殿下…それは、どういうことですか?…」

 「…気を使わなくてすむ…」

 アムンゼンが、即答した…

 「…血の繋がった、身近な人間を使うことで、必要以上に、気を使わなくて、すむ…人間関係は、疲れる…使う方も、使われる方も、疲れる…」
 
 アムンゼンが、ため息をついた…

 そして、手元に、いる、太郎の顔を、いとおしげに、撫でた…

 「…だから、太郎が、好きだ…人間のように、気を使わなくて、すむからだ…そして、これは、ボクに限らず、犬や猫を飼うひとも、同じでしょ?…」

 「…どう、同じなんですか? …殿下?…」

 と、バニラが、聞く…

 「…動物には、気を使わない…だから、疲れない…そして、自分になついてくれれば、癒される…おまけに太郎は利口です…とんでもなく、頭がいい…だから、ボクが疲れたとき、黙って、そばにいてくれる…ボクを癒してくれる…」

 アムンゼンが、吐露する…

 率直な思いを、吐露する…

 私は、アムンゼンの言葉を聞きながら、実に、複雑だった…

 なぜなら、このアムンゼンは、すべてを持って、生まれた人間だからだ…

 選ばれた人間だからだ…

 容姿=ルックス以外は、選ばれた人間だからだ…

 サウジアラビアの王族の一員に生まれ、なに不自由のない、生活を送って来たに違いない…

 が、

 そんなアムンゼンが、人間関係に疲れたと、吐露する…

 人間関係に疲れたと、告白する…

 しかし、これでは、私たち、庶民と大差ない…

 いや、

 私たち庶民と、大佐ないどころか、まったく同じ…

 同じだ(爆笑)…

 とんでもなく、偉い身分に生まれたアムンゼンと、この庶民代表の矢田と、悩みが、同じ…

 同じだったのだ…

 これは、驚きだった…

 まさに、驚きだったのだ(苦笑)…

 私が、そんなことを、考えていると、

 「…そして、矢田さんです…」

 と、アムンゼンが、続けた…

 「…矢田さんは、不思議なひとです…」

 …なんだと?…

 …私が、不思議だと?…

 …どういう意味だ?…

 私は、アムンゼンを見た…

 私の細い目を、さらに、細めて、ジッと見た…

 「…矢田さんは、変わらない?…」

 「…変わらない? …なにが、変わらないんだ?…」

 「…他人に対する態度です…」

 「…態度だと?…」

 「…そうです…矢田さんの身近には、このバニラさんが、います…そして、あのリンダさんも、います…」

 「…それが、どうした?…」

 「…普通の女のひとなら、バニラさんとリンダさんに、憧れたり、その裏返しで、バニラさんとリンダさんに、嫉妬したりするものです…」

 「…なんだと? …嫉妬だと?…」

 「…そうです…持たざる者は、持つ者に憧れます…持つ者に嫉妬します…」

 アムンゼンが、力を込めて、言った…

 実感を込めて、言った…

 おそらく、自分自身が、そうなのだろう…

 自分自身が、持つ者であり、同時に、持たざる者だからだ…

 アムンゼン自身が、持つ者というのは、サウジアラビアの王族に生まれ、金と権力に恵まれた生活を送る人間だからだ…

 そして、同時に、また、持たざる者でもある…

 それは、アムンゼンが、小人症だからだ…

 小人症ゆえに、通常の人間よりも、劣っている…

 外見で、劣っている…

 だからだ…

 だから、一方で、他人から、憧れられる存在であり、もう一方で、他人から、あざけられる存在でもある…

 実に、摩訶不思議な存在である…

 だから、憧れる者、憧れられる者の気持ちがわかるのだろう…

 「…だが、矢田さんには、それがない…」

 「…ない? …私に? …なにが、ないんだ?…」

 「…他人に憧れる心です…他人に、嫉妬する心です…」

 「…なんだと?…」

 「…矢田さんは、変わらない…台湾の大金持ちと結婚しても、変わらない…」

 「…なにが、変わらないんだ?…」

 「…自分を大きく見せない…」

 「…自分を大きく見せないだと?…」

 「…誰もが、そうですが、少しでも、自分を大きく見せたがるものです…自分が、意識すると、しないと、大きく見せたがるものです…」

 「…なんだと?…」

 「…例えば、身長が、160㎝の小柄な男が、普段、自分の身長は、162㎝だと、周囲に言っているとか…少しでも、自分を大きく見せたがるものです…」

 「…」

 「…ですが、矢田さんには、それがない…矢田さんは、天衣無縫…なにものにも、縛られず、なにものにも、こだわらない…これは、誰にでも、できることでは、ありません…」

 アムンゼンが、言った…

 まっすぐに、私の顔を凝視して、言った…

 私は、なんて、言っていいか、わからんかった…

 アムンゼンの顔は、真剣だった…

 いつもの顔では、なかった…

 真剣も、真剣…

 普段、私に見せる顔と、まったく違ったからだ…

 これが、アラブの至宝の正体か?

 私は、思った…

 これが、サウジアラビアの王族の持つ、権威か?

 これが、サウジアラビアの王族の持つ、威厳か?

 私は、思ったのだ…

 すると、どうだ?

 この矢田のカラダが、こわばった…

 まるで、カラダが、金縛りにあったように、動かんかった…

 動かんかったのだ…

 …これが、身分の違いというヤツか?

 私は、思った…

 思ったのだ…

 自分との圧倒的な差に気づいたことで、カラダが言うことをきかなくなった…

 まさに、私の言うことを、きかなくなったのだ…

 そんな私の状況を知ってか、知らずか、マリアが、

 「…当り前よ、アムンゼン…」

 と、いきなり、怒鳴った…

 「…なにが、当たり前なんだ? …マリア?…」

 アムンゼンが、優しくマリアに聞いた…

 アムンゼンは、いつも、マリアに優しいが、このときは、いつも、以上に、優しかった…

 それは、おそらく、アムンゼンが、王族としての顔を見せたからだろう…

 3歳のアムンゼンではなく、30歳の大人としての、アムンゼンの顔を見せたからだろう…

 私は、思った…

 思ったのだ…

 すると、だ…

 マリアが、

 「…矢田ちゃんは、面白いの…矢田ちゃんは、楽しいの…矢田ちゃんは、誰にとっても、楽しいの…」

 と、口を尖らせて、言った…

 アムンゼンの顔色が、変わった…

               
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