第65話

文字数 4,039文字

「…アンナ…やはり、オマエか?…」

 私は、怒鳴った…

 夢の中で、怒鳴った…

 「…私から、太郎を奪うヤツは、やはり、オマエか?…」

 私は、怒鳴り続けた…

 すると、太郎は振り返ったまま、哀し気に、私を見ていた…

 この矢田を、見ていた…

 「…太郎、行っちゃ、ダメさ…戻って、来れば、いいさ…」

 私が言うと、太郎が、哀し気に、

 「…キー…」

 と、鳴いた…

 私は、堪らんかった…

 目から涙が、溢れ出す寸前だった…

 「…戻って来い…太郎…いや、戻ってきてくれ…」

 私は、懇願した…

 すると、そんな私をあざけるかのように、アンナが笑った…

 笑ったのだ…

 私は、頭に来た…

 「…おのれ、アンナ!…許さんゾ!…」

 私は、怒鳴った…

 大声で、怒鳴った…

 「…私から、太郎を奪うものは、何人たりとも、許さんゾ…」

 私が、怒鳴り続けると、

 「…では、お姉さん…太郎に選ばせましょう…」

 と、アンナが提案した…

 「…太郎に、だと?…」

 「…そう…」

 短く言った…

 そして、

 「…太郎…私を選ぶ? …それとも、あのおデブのお姉さんを選ぶ?…」

 と、聞いた…

 私は、カチンときた…

 「…おデブだと? …どういう意味だ?…」

 「…あら、だって、お姉さん、太ってるじゃない?…」

 「…太ってなんか、ないさ…胸が大きいだけさ…」

 「…あら、日本人で、胸が大きいひとは、皆、太っているわ…欧米人は、痩せていても、胸は大きいけれど、日本人は、違う…そうでしょ? …お姉さん?…」

 「…だから、私は、太っていると言うのか?…」

 「…当たり前じゃない…」

 アンナが、笑った…

 私は、頭に来た…

 頭に、き過ぎて、なにを、言っていいかも、わからんかった…

 「…おのれ、アンナ…」

 私は、あまりの怒りで、歯ぎしりしながら、言った…

 「…許さんゾ! …絶対、許さんゾ!…」

 私は、断言した…

 が、

 アンナは、そんな私を無視した…

 烈火の如く、怒り狂った私を無視した…

 アンナは太郎に向かって、

 「…さあ、太郎…私を選ぶ? それとも、あのおデブのお姉さんを選ぶ?…」

 と、聞いた…

 すると、太郎は、私とアンナを交互に見てから、

 「…キー」

 と、鳴いて、アンナに抱き着いた…

 太郎は、この矢田ではなく、アンナを選んだのだ…

 「…そんな…太郎…そんな…殺生な…」

 私は、その場で、膝から崩れ落ちる寸前だった…

 「…この矢田を選べ…太郎…いや、選んでくれ…」

 気が付くと、私は、太郎に懇願していた…

 太郎に、泣きながら、懇願していた…

 いつのまにか、この矢田の目に涙が、浮かんでいた…

 が、

 太郎の決心は、変わらんかった…

 ただ、太郎は、哀し気に、この矢田を見ていた…

 あるいは、この矢田が、勝手に、そう思っただけかも、しれん…

 が、

 私には、太郎もまた、この矢田との別れを悲しんでいるように、思えた…

 私を見る、太郎の目が潤んでいるように、見えた…

 そう、思えたのだ…

 私は、

 「…太郎…オマエの気持ちはわかるさ…」

 と、言った…

 「…きっと、太郎…オマエは、そのアンナに世話になったに違いないさ…オマエは、恩猿さ…世話になった恩を忘れない猿さ…」

 私は、言った…

 泣きながら、言った…

 「…だから、私は、オマエを恨まんさ…きっと、オマエは、そのアンナに恩があるに違いないさ…だから、オマエは、アンナを選んだに違いないさ…」

 私は、言った…

 泣きながら、言った…

 私の目から、涙が、溢れた…

 私の細い目から、ドッと、涙が、溢れ出た…

 まるで、ダムが、決壊したかのように、ドッと溢れ出た…

 「…お別れさ…太郎…達者に暮らせば、いいさ…」

 私は、言った…

 私の細い目に大量の涙を浮かべながら、言った…

 「…お別れさ…」

 私が、言うと、太郎が、

 「…キー…」

 と、鳴いた…

 太郎もまた哀しんでいることが、わかった…

 「…太郎…」

 私は、叫んだ…

 今にも、全力で、走って、太郎の元に、駆け寄りたかった…

 が、

 できんかった…

 太郎の元には、アンナが、いる…

 あの金髪碧眼の美女が、いる…

 だから、できんかった…

 私は、ただ、太郎を見守るだけだった…

 ただ、太郎を見ているだけだった…

 それが、哀しかった…

 それが、悔しかった…

 そして、気が付くと、私は、現実にも、涙を流していた…

 枕を涙で、濡らしていた…

 私は、目が覚めると、その現実に、驚いた…

 こんなことは、初めてだった…

 この矢田トモコが、35年、生きてきて、初めてだったのだ…

 そして、急いで、太郎を見た…

 太郎は、今、私の部屋で、飼っていた…

 だから、太郎が、気になったのだ…

 太郎は、部屋の片隅で、寝ていた…

 私は、太郎が、勝手に、逃げ出さんように、太郎の首に、ひもをつけていた…

 なにしろ、太郎は猿だ…

 逃げ出せば、手に追えん…

 人間の手に負えんのだ…

 私の手に負えんのだ

 だから、太郎には、すまんと思ったが、首にひもをつけて、そのひもを、他の場所に、結わいて、太郎が、逃げ出さんように、していた…

 だから、太郎が、そこにいるのは、当然だった…

 私は、それを見て、ホッとした…

 心の底から、ホッとした…

 太郎は、私の元気の源…

 今の私にとって、太郎は、私が生きる気力そのものだったからだ…

 だから、太郎が、そこにいるのを、見て、ホッとした…

 ホントなら、太郎に触りたかったが、寝ている太郎を起こすのは、忍び難かったから、止めた…

 太郎の眠りを邪魔したくなかったからだ…

 私にとって、太郎は、それほど大事な存在だった…

 私は、寝ている太郎を見て、またも、涙が溢れ出た…

 私の細い目から、溢れ出た…

 太郎が、まもなく、私の元から、去るかも、しれん…

 そんな予感に襲われたのだ…

 今、見た夢が、もしかしたら、正夢になるかも、しれん…

 そんな予感が、したのだ…

 それは、不吉…

 実に不吉な予感だった…


 朝になって、会社に行く前の葉尊と食事を取った…

 私は、珍しく、食欲がわかんかった…

 ご飯を、茶碗に一杯食べただけだった…

 ホントなら、もっと食べた…

 二杯は、食べた…

 私は、朝食は、ご飯派…

 ご飯を食べんと、力が出ん…

 パンでは、力が出んのだ…

 そして、それは、結婚してからも、変わらんかった…

 葉尊と二人で、住んでからも、私は、朝食も、夕食も、ご飯で、押し通した…

 葉尊もまた、文句を言わんかった…

 「…日本のお米は、おいしいです…」

 と、言って、私が、作った食事をおいしそうに、食べていた…

 実は、この矢田トモコ、35歳…

 料理は、得意だった(笑)…

 私は、なんでも、できる女だが、その中でも、料理は、得意中の得意だった…

 これは、冗談でも、なんでもない…

 なぜなら、自分が、食べるからだ…

 自分が、食べる物は、少しでも、おいしいものを、食べたい…

 だから、料理の腕を磨いた…

 その原動力は、私の食欲…

 この矢田トモコの食欲に他ならない…

 つまりは、私という女は、この上なく、自分の欲望に忠実な女だということだ(笑)…

 私の食欲が、乏しいことを、いっしょに、食事をしていた葉尊も、すぐに、気付いた…

 「…どうしました? …お姉さん? …今朝は、どこか、調子が、悪いんですか?…」

 と、葉尊が、心配そうに、聞いた…

 「…おまけに、なんだか、目が腫れぼったいように、見えますが…」

 まさか、夜中に、目が覚めて、太郎のことを、思って、泣いていたとは、言えんかった…

 だから、

 「…そうか?…」

 と、ごまかした…

 いつものことだった(笑)…

 そして、また、葉尊も、それ以上は、突っ込まんかった…

 たとえ、思っていても、突っ込まん…

 なにも、言わん…

 それが、葉尊だった…

 が、

 それが、本当は、私は、不満だった…

 思っていることは、言ってくれた方がいい…

 口に出してくれた方が、いい…

 本当は、思っているにも、かかわらず、口に出さんのは、気色悪いというか…

 「…なんで、思っているにも、かかわらず、口に出さん!」

 と、つい、言ってみたくなる…

 もちろん、口に出せんことは、出さん方が、いい…

 が、

 それは、誰が、聞いても、マズいこと…

 例えば、離婚した友人、知人に、

 「…どうして、離婚したんだ?…」

 と、ストレートに、聞くことは、出来ない…

 まして、その友人や、知人と、たいして、親しくも、なければ、なおさらだ…

 そんなことを、聞けば、

 「…なんてヤツ!…」

 と、陰で、周囲の者から、言われるに、決まっている…

 だから、聞けない…

 そういうことだ…

 が、

 この葉尊は、そんなたいした話でも、なくても、この矢田が、

 「…知らんな…」

 と、拒否すれば、それ以上は、突っ込まんかった…

 それが、不満だった…

 そんな、たいしたことのないことなら、聞けばいい…

 そう、思う…

 が、

 聞かん…

 それが、葉尊の優しさかも、しれんが、私には、そうは、思えんかった…

 むしろ、私に関心がないから、聞かん…

 私は、そう思った…

 誰でも、そうだろう…

 相手が、なにを言っても、なにも、言わない…

 ただ、

 「…そうだね…」

 とか、適当に、相手に、調子を合わせる…

 それは、なぜかと、問われれば、相手に、関心がないからだ…

 そもそも、相手に、なんの興味もない…

 だから、どんな話も、相手に合わせる…

 決して、否定しない…

 そんなことをして、相手を怒らせでも、したら、困る…

 そもそも、自分にとって、なんの関心もない相手だ…

 だから、怒らせでも、したら、面倒だ…

 それゆえ、なにも、言わない…

 相手に、合わせる…

 それが、本音だろう…

 そして、それは、夫の葉尊もまた、同じ…

 同じだ…

 だから、私は、不満なのだ…

 私は、思った…

 思ったのだ…

 そして、そんなことを、思いながら、葉尊と朝食を取っていると、

 「…実は、お姉さん…」

 と、葉尊が、切り出した…

 その話は、意外な話だった…

               
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