ちょっと休憩。脚本のプロットと、小説のプロットの違い

文字数 1,646文字

ちょっと休憩です。
「脚本やシナリオなど、小説以外の媒体にとってのプロット」
という面白いトピックを読者のかたからいただいたので(ありがとうございます)、
それについて書いてみようと思います。
「戯曲」「脚本」「シナリオ」さらに「台本」は、どれも少しずつかぶっている用語ですが、
てみじかに説明すると、

舞台作品では「戯曲」「脚本」「台本」と言います。
(順に、「読むためのもの」→「現場で使うためのもの」という意味合いが強くなります。)
「演劇のシナリオ」とは言いません。

映像や音声の作品では、「脚本」「シナリオ」「台本」(順番は上に同じ)と言います。
「映画の戯曲」とは言いません。

ややこしいけど、まあそんなような違いです。
さて、まず、大前提として、
小説は、書きあがったときが、完成。
脚本は、書きあがったときが、スタート地点。

という違いがあります。

たとえて言うと、
完成した小説は、一幅の絵、ですが、
完成した脚本は、設計図にすぎません。

これが何を意味するかと言うと……

脚本は、書きあげてからが変更の嵐、ということです!
舞台の場合。
脚本を書きあげるまでは、小説と同じです。
プロットを作ったり作らなかったり、それに基づいたり基づかなかったりしながら完成させます。
人それぞれです。

書きあげて、キャストとスタッフの皆さんに渡します。演出家にも渡します。
ここからがスタートです。

稽古を重ねるうちに、
いろんなアイデアが、いろんな人からどんどん出てきます。
それを脚本に上書きしていきます。


ヒツジは演出家も兼ねているのですが、脚本家としてたった一人で脳内で書いていたときには思いもつかなかったアイデアが、自分自身から出てきます! 本当です!
これがめちゃくちゃ楽しい! とヒツジは思ってます。
それは、信頼できる仲間とやっているからです。
ただ、信頼する仲間とやっていても、もちろん衝突はあります。
そういうときに、誰が最終責任を取るか、決めておく必要があります。

ブロードウェイでは、
【脚本家<演出家<プロデューサー】
の順に決定権と責任が大きくなると聞いていますが、
日本で、しかもヒツジみたいな自主公演で、しかも脚本家イコール演出家の場合、
最終責任はヒツジにあります。

だから、俳優さんや、スタッフさん(舞台監督さんとか照明さんとか)が、
ヒツジのプランに反対する意見を言ってきた場合、
なんでもかんでもふんふんと聞き入れて書き直しちゃだめなんです。
脚本が、ぶれちゃだめなんです。
いい人ぶって聞き入れちゃうと、けっきょく収拾がつかなくなります。
そういうとき、執筆時の「プロット」を保管しておくと、役立ちます。
折れそうになって、ぶれそうになったとき、読み返すといいです。
次に、テレビドラマ、ラジオドラマ、映画、アニメーションの場合。
ヒツジはこちらは現場の経験がないので、聞き書きですが、
なんかもう、脚本(シナリオ)なんて、書き直してナンボの世界らしいですよ!
週1とか2とか3とかでミーティングがあって、脚本家(シナリオライター)なんてそのメンバーの一人に過ぎなくて、
スポンサーのひとことで話の流れや登場人物や使用アイテムなんかが変えられて、
このおもちゃ出せとかね。
いや、笑い事じゃありません。

それでもテレビドラマが好きだ!
アニメが好きだ!
皆で創り上げていくのがたまらなく好きだ!
という、メンタルがタフな人しか、つとまらなさそうです。
初めに立てたプロットなんて、あっけなく粉砕されていくのでしょうね。
それでも、舞台と同じで、それを(最初のプロットを)見失わないことの大切さも、
きっとあると思います。
まとめ:
脚本におけるプロットの比重は、小説におけるプロットの比重より、ぐんと低くなります。

「俺のプロット命」というかたは、脚本家になるのはお勧めじゃないです。

逆に
「プロットめんどくせー、他人のアイデアもらえたらラッキー♪」
というかたは、向いているかもしれません。
ついでに、この「他人からアイデアをもらうこと」について書いてみようと思います。
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登場人物紹介

ミミュラ

このチャットノベルの管理人。ときどきアマビエに変身する。
ヒツジのくせに眠るのが下手。へんな時間に起きてしまったり寝てしまったりする。
お弁当は好きなおかずから食べる派。

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