文字数 6,507文字

 大好きな両親と、血の繋がりがないことを知ったのは、高校に入学したすぐあとだった。

 それまで、自分が養子だったなんて、まったく気づかなかったし、誰も口にしなかったから。
 ごく普通の家族だったし、口数の少ない父が時々、「まったくお前は母さん似だな」ってぽつりと呟くのを、「えー、似てないよ」なんて減らず口叩きながら、こそばゆい嬉しさを感じていたし。
 一緒には住んでいなかったけど、時々遊びに行く父方の祖父母は、とてもかわいがってくれた。
 両親が結婚してから、だいぶ遅くに生まれた子だったので、物心ついた頃には母方の祖父母はすでに他界していたけど、うっすらと、かわいがってもらった記憶があった。

 戸籍なんて確認しようとも思わなかったし、特別養子とか言うらしく、戸籍にも養子なんて書いてなかったから、きっと見ても、気付かなかったと思う。
 他の家の戸籍とでも見比べなければ、法律なんかに無知な女子高校生に、分かるはずなかった。
 そのままなら。

 通学中の電車の中で、見知らぬ女の子に、私ではない名前を呼ばれた。
「あれ? いつ私服に着替えたの? 家も反対方向じゃない?」
 私の家からは距離があるが、お嬢様学校として人気のある私立高校の制服を着ていた。
 人違いだと言って離れたけれど、気になって、その高校に進学した中学校の同級生に連絡をとった。
『そうなのよ! ホントによく似てるの! 名前の語感も似てるし。でも、名字は違うから……。生き別れの姉妹とかいるんじゃないの?』
 彼女は、そのお嬢様学校を挟んで丁度反対側の辺りに住んでいるらしかった。
 直線距離で、六十キロメートルは離れている。
 同じ県内とはいえ、出会う確率はあまり高くはなかった。

 その同級生に誘われるまま、私は興味本位で学祭に遊びに行った。
 そこで出会った、半身に。

「私ね、養子なの」
 そう言って見せてくれた戸籍謄本には、『養子』の文字と実親の名前と、二女という記載が記されていた。
「私、会ってみたい」
「でも、違うよ。うちの親の名前じゃない」
 証拠を見せてと言われて、私は、こっそりと、生まれて初めて市役所に手続きに行った。そして、初めて手にした戸籍謄本を持って、彼女に会いに行った。
 養子なんて、書いてない。
 他人のそら似なんだ、と、物語の主人公になり損ねたような、残念な気持ちで、少しホッとして。

 それが、間違いの始まりだった。

   
「ほら、ここ。これが養子縁組したってことなの」
 持っていった私の戸籍謄本の内容をじっくり検分したあと、指差しして説明する。
「特別養子って言ってね。良く見ないとわからないようになってるんですって。制度を使うには、子供が幼いことが条件のひとつなんだけど。私が二歳だから、同じ頃かしら」
「さあ」
「きっとそうよ。私、調べたの。もう亡くなったんですって。私達の実の両親。私達が産まれてすぐ、死亡届けがでていたの」
「どうやって調べたの?」
「この人達の戸籍謄本見たの。一応実子だから、わりと簡単に取れたわ」

 なら、私に戸籍謄本を持って来させる必要はなかったんじゃないの?
 あなたに見せたりしなければ、私が養子だという事実を知らされることはなかった……そう思いながらも、口には出来なかった。

 両親が実の親ではなかった事を知ってショックだったこともある。
 確かに、彼女の法律の知識には感心もしたが、さも手柄のように知識を披露する様に、何だか寒々しさを覚えた。
 出会えて嬉しいと言うが、本当は自分だけが養子でなかったことが嬉しいんじゃないか、と勘ぐりたくなるようで。
 事実、彼女は、言った。
 裕福な家庭で、一人娘としてとても大切にしてもらっている、とか。
 将来は従兄と結婚して、県都の一等地にあるお屋敷と会社を継ぐんだ、とか。
 その従兄は、とても素敵な青年で、幼いころから好きだったから嬉しい、とか。

 それに比べて、あなたは幸せなの? 本当に愛されているの? 同じ親から生まれて、この差はないでしょ? 本当の親のこと、知りたくないの?と。

 確かに私の家は、貧しくはないけれど、裕福でもない、ごく普通の庶民的な家庭だ。
 会社もなければ、大きなお屋敷もない。年の離れた従兄姉はいても、素敵な婚約者もいない。
 でも、今まで実の親だと疑うことがなかったくらい、仲良く、楽しい家庭なんだから。

 そう、思い至って。
 私は、大好きな両親と、血の繋がり以上の絆があるんだ、そう悟った。

 ただ事実を知っただけなら、ショックで立ち直れなかったかもしれない。
 その点では、彼女に感謝してもいい。
 けれど。

 私が両親に何も聞く気が無いことを知ると、疑問を投げかけてきた。
「本当のことを知りたくないの?」
 正直、実の両親が死んでしまい、今の両親に引き取られたことだって、知らないですめばそれでもよかった。
 まして、それ以上のことなんか知りたくもなかった。
 何より、今まで大切に育ててくれたことを肌身で実感している。
 わざわざ言って悲しませることはしたくなかった。

「意気地がないのね」

 せせら笑って、もう会う必要はないわね、お幸せに、と彼女は言った。
 双子の妹に会えなくなる悲しみは、なかった、全く。
 ただ、血を分けた半身とも言える存在が、あまり好きになれない人間だったことが、悲しかった。



 そして、時は巡り。

 私は、職場の先輩だった彼と、付き合って三年目に結婚した。
 結婚後も働き続ける女性が多い会社で、当たり前のように共働きだった。
 そして、半年後には妊娠が判明した。
 両親はとても喜んでくれた。
 私が結婚することで、跡を取るものがいなくなるにもかかわらず、結婚を祝福してくれた。
 例のことは何も知らせなかった。
 両親も何も言わなかった。
 夫には打ち明けたが、彼は知っていた。
「ご両親が、君には知られたくないと言って。でも、婚姻届を出す時に、万が一、気がつくかもしれない、その時はどうか受け止めてあげて欲しい、大切に育ててきた、大事な娘を託せる男だと信じてるから、って」

 涙か出た。
 私が両親に知らせなかったように、両親も私に知られる事を怖れていた。
 血よりも強い絆があると信じていても、不安なのだ。
 それは弱さではあるけれど、愛情の深さでもある。
 夫を通して、私達親子は絆を認めあえたのだ。

「この子が産まれて、落ち着いたら、いずれ話そう。いつかは知れるんじゃないかと、不安に思っていらっしゃるだろうしね」

 ……そう言って、優しく撫でてくれたお腹の子が、じきに臨月を迎えると言う頃。

「あら、久しぶりね」
 思いがけない場所で、出会った。
 市立病院の、広い玄関ホール。
 誰が見ても、別人のような双子の妹。
 高級ブランドのスーツに身を包み、派手ではないが、美しく化粧して。
 すっぴんでマタニティ服の私とは、丸っきり違う。
 同じ顔なのに。
 別に羨ましい訳ではなかった。

 ただ、平凡な自分の顔も、あんな風に綺麗になるんだなあ、と、感心した。

「あら、そのお腹。結婚してたのね」
「ええ。もうじき臨月なの。あなたは?」
「友人が入院していて、お見舞いなのよ。あなたは里帰り?」
「いいえ。近いから産まれてから帰ることになってるの」
 言ってしまってから、何となく後悔した。
「あら、じゃあ近くにお住まいなの? お邪魔してもいいかしら?」

 実家だと言えば断れたのに……ハッキリ後悔して、自分の、血を分けた妹に対して親愛の情を持てない自分の狭量さに罪悪感を持った。
 その後ろめたさから、家に招いてしまった。

「ま、悪くないんじゃない? ……一応庭もあるのね」
『質素だけど』

「子供が小さいうちは、目が届いて、丁度いいと思うの」

「そうね」
『あなたには』

 ……彼女の言葉に一々揶揄の響きを感じてしまい、そんな自分が嫌だった。

「ご主人は、何をされてるの?」
『たいしたことないと思うけど』

「◯◯社で今は経理の仕事をしているの」

「あら、いいところお勤めね」
『安月給もいいところ』

「あら、この写真の方ね。素敵な方ね」
『あなたにはもったいないわね』

 ……頭が痛くなってきた。
 何故、たった一人の肉親に対して、こうも卑屈な気持ちになるのか……これでは被害妄想に取りつかれているようではないか?
 出産前の情緒不安定なこともあるのかもしれない、会わない方がいい。

 それから私は彼女を避けるようになった。
 けれど。

 週に二、三回以上「遊びに行ってよいか」と電話がかかってくるようになった。
 用事がある、と最初は断っていたが、その内、付き合うからとまで言うようになった。
 実家の両親や夫の父母が来るからと言えば、帰るまで待っても良いと言う。

 出産予定日まであと十日という頃、予定を早めて実家に帰った。
 体調が思わしくないから、と最後の電話で答えると、「そう」と、つまらなそうに言い、ガチャン、と受話器を置く音がして切れた。

 その夜。
 夫の運転で実家に送ってもらう途中、車中で陣痛が始まった。
 そのまま病院に行き、既に子宮口が八割方開いているため陣痛室に入った。
 陣痛開始から五時間という早さで二八五四グラムの小さめな、でも元気な男の子を出産した。

 幸せだった。

 ……彼女が会いに来たのは、明日は退院、という日。
 めったに面会時間内に来れない夫が、産後指導のため半休をもらって病院に来ていた。
 育児指導室という小さめの部屋で沐浴などの指導を受けた。
 指導の後は、しばらく家族水入らずで過ごしていいことになっていて、久しぶりに他人のいない時間を楽しんでいた。

 入浴後で具合よく寝入っている愛くるしい寝顔を見ながら、夫と他愛もないお喋りをしていると、ノックの音がした。
 もう時間なのかと、夫がドアを開けると。

「お久しぶり。予定より早かったのね」
 彼女が、入ってきた。
「初めまして」
 夫はびっくりしてしばらく呆けていたが、慌てて挨拶を返した。
 突然の闖入に非難することも忘れて、私も夫も彼女を見つめた。

 いつもの、華やかな装いではなく、私が普段着るような、綿ニットのアンサンブルにフレアースカート。
 化粧はうっすら、装飾品も付けていない。
 鏡の前にいるような錯覚を覚えた。

「ごめんなさいね。家族水入らずのところ、悪いとは思ったんだけど、あまり人に見られない方がいいかと思って。あなたの実家に、顔を出すのもどうかと思うし」
 事情を知るものなら、なるほどと納得してしまいそうになる。
 不躾な振る舞いも、気遣いの結果と逆に恐縮してしまいそうになる。

 夫は信じたのだろう、初めて会う、妻に雰囲気までよく似た義妹に、すっかり心を許したようだった。
 もともと、夫には「双子の妹がいて、一度だけあったことがあるが、向こうは住む世界が違うから」とだけ話してあった。
 色々なしがらみのある社会の人で、たびたび会うことは難しいから、相手の素性も聞かないで欲しい、とも。
 それを、こっそり、無理して会いに来てくれた、と感激していたのだと思う。

「可愛い! ねえ抱かせて頂戴! そっと、ね」
 無邪気にねだる様子は、先日までと全く別人だった。
 やっぱりあれは、出産前の情緒不安定のせいだったのかしら。
 私まで、そんなふうに思えてきた。

「本当可愛いわあ」
 微笑んで、赤ちゃんを抱く様子は、自分を見ているようで、決して嫌な気分ではなかった。

「そうだ。写真撮ってもいい? 姉さん!」
「いいわよ?!」

 姉さん、などといきなり呼ばれて、反射的に許諾してしまった。
 向けられた笑顔に、何の他意も感じられず、私は戸惑った。

 姉さん、という響きが、何度も頭の中をこだまして、やがて嬉しくなってしまった。
 これから、本当の姉妹になれるのかもしれない。
 そんな淡い期待が、胸をよぎった。

「私のカバン開けてくれる? デジカメ入っているから出して撮って頂戴。あ、お義兄さんも一緒に」
 流されるように、我が子を挟んで微笑む夫と妹の写真を撮る。

 シャッター音がなり。

 まるで家族のような三人の姿が、モニターに固定された、一瞬。

 優しかったはずの、妹の笑顔が、勝ち誇ったように、見えた。

 ……すぐに、画面がぶれて、撮影スタンバイに戻った。

「今度は私が撮るね」
 さっきの表情は気のせいだったのか、と思えるほど、無邪気に私達を撮影する。

「じゃあ、見つからないうちに帰るわね」
 カモフラージュのためか、薄くスモークの入った眼鏡を掛けて、ハンカチで軽く口元を覆いながら、部屋を出ていった。
 入れ違いに、授乳室に続く内側のドアから看護師が時間の終わりを告げに入ってきた。
 我が子を預けてから、しばらくデイルームで夫と過ごし、エレベーターホールで見送った、後。

 彼女が、私との写真は、一枚も撮っていかなかったことに、気が付いた。






「その後、一度だけ、訪ねてきたわ。実家から戻って、やっと落ち着いた頃、連絡もせず、突然」

 日は既に天頂近くまで昇っていた。
 じきに正午……三時間以上も話を続けていることになる。
 時々持っていたペットボトルのお茶を口にするものの、彼女の声もかすれはじめている。
 ハルは、一言も口を挟まず、じっと耳を傾けている。
 日差しを避けようと、屋根のある東屋へ場所を移すため、話を中断した、一度だけ。
 それでも、暑さは時間と共に増してきている。

 そろそろ、まずいかな。
 この暑さでは、熱中症を引き起こしかねない。
 幸いサンドイッチを食べているし、少しずつお茶を飲んでいるから、急激な脱水はあまり心配ないだろうが、早めに涼しい場所へ移動した方がいいだろう。

「写真を持ってきたのよ、って。そして、もう会わない方がいいって、私に言ったの」
「……そして?」
 急に押し黙ってしまい、促しつつ、様子を確認する。
「『私の存在が姉さんを不安にさせているようだから。私が何か気に障るようなことをしたに違いない。あまりそういう配慮が出来ない性格で。ごめんなさい』そう、言ったの」
 ほとんど一息で、セリフを吐き出す。
 声も枯れ、言い終わって少し咳き込んだ。
「私、何で疎ましいなんて思ったんだろう? たった一人の妹なのに。きっと、居心地の悪い思いをさせていたんだわ。無意識に」
「もう……喉が」
「本当の姉妹になれるかもって、思っていたのに。心のどこかで、妹をうらやむ気持ちがあったのかもしれない。……だから、罰が当たったのよ。たった一人の妹を思いやれないような私だから」

 咳き込みながら、話をやめようとしない。

「今も聞こえるの……私を責める……あんなに後悔したのに……あの声で……私が全て悪いの……妹は悪くないのに……どうして妹の声が聞こえるの……だから、忘れたふりをするの。そうすると、本当に忘れるの。その場では、何も思い出せなくなるの。病院でも、図書館でも、公園(ここ)でも……なのに! 今は、覚えている! 思い出せる! なんで?! また、あの声が聞こえてしまう!」

「もういい! やめるんだ」
「私が……私が……」
 恐慌状態に陥り、息が粗く早くなってくる。
 過呼吸……?

「わた……わ……」
 粗い息の中、まだ話し続けようとし、ろれつが回らなくなってくる。

「やめてくれ!」
 彼女の顔を自分の胸に埋めるよう、抱きすくめる。
 いやいやと抗うのを、体全体で力を込めて、抱きしめる。

「あなたは悪くない! 悪くないんだ!」
 抗い続ける彼女の耳元へ、何度も繰り返す。
「お願いだ。もうやめて……」
 そして、禁断の呪文。

「サワコさん……」

 通りすがりの、見知らぬ人ではなかったことを、教えるには十分だった。
 あの影がつぶやいていた、彼女の名前。
 憎しみを籠めて、『サワコ』、と。

「…………?」
 こわばったように、動きが止まる。
 ハルは、しばらく、抱きしめたまま、背中をさすり続ける。

 やがて、徐々に力が抜け、そっと顔を離せば、息づかいは楽になっていた。
 その眼が、問いかける。

 無言で。
 ハルは、静かに、微笑む。
 眼を伏せて、再び、胸に顔を埋める、今度は、自主的に。

 そして。

 すすり泣き始めた、サワコさんの背中を、ハルは、優しく、抱き締めた。
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登場人物紹介

土岐田暎比古(トキタ・テルヒコ) 38歳

4人の子持ちのスーパーイクメンにして

街でウワサの超イケメン

天国の愛妻・美晴さんに愛を捧げつつ

可愛い子供達の養育に励む

明知探偵事務所の調査員(注・あまり勤勉とは言えないが勤続20年)

霊感は強いが除霊とかできない……「霊視」に特化している


土岐田晴比古(トキタ・ハルヒコ) 20歳

本編のもう一人の主人公

看護学生 3年生 通称・ハル

父・暎比古さんの愛情を目一杯受けつつ(最近は内心複雑)

弟妹へ愛を注ぐ心優しいお兄ちゃん

母・美晴さんから引き継がれた、ある「力」を有するが……


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