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文字数 4,187文字
家から病院までは、徒歩十分程度、自転車なら五分かからない。
実習の日は時間が惜しいので自転車で行くが、今日は静かに家を出たかったので、あえて歩いて行くことにした。
自転車が残っていれば、家にいないことに、しばらく気づかれないだろう……なんて目論見もあったりしたが。
自転車だと走り抜けるだけの町並みだが、歩きだと小さな変化が目に映る。
商店街の入り口には竹が何本も立て掛けてあった。
青々とした、まだ切り立ての竹……月が変わればじきに七夕だったと思い当たる。
「よう、ハルちゃん、休みなのに早いね」
顔なじみの魚屋のおじさんが声をかけてくる。
「さっき朝市でちびっこ達にも会ったよ。みんな早起きだなあ」
「お子様は朝から元気なので」
苦笑して、じゃまた、と別れて歩き出した。
一昨日の、木曜日の夜。
暎比古さんに問われて、曖昧にごまかしたが。
ボランティアの若い女性のことが、ハルの頭から離れなかった。
何とかレポートに集中しようと踏ん張り、夜遅くまでかかって仕上げた。
翌日、ヘロヘロになりながら、何とか実習を終え。
(菜摘さんベビーちゃんのお世話に、心を癒されたが。母性実習中で、ホントに良かった)
あのままにしておけない。その思いは、強まるばかりだった。
父に言えば、上手く事を治めてくれるかもしれない。
佐原主任もそれを期待している節があった。金曜日には何も言ってこなかったけれど。
確かに、今は大きな問題にはなっていない。
しかし、ハルや子供たちに伝わる、あの、瘴気、ともいえる感情は、いつかあの人の身に危険を及ぼすかもしれない。それに。
あの、瘴気の正体。
あの時は、曖昧な影としてしか感じなかったものが、思い返すたびに形を取り始めた。
あれは……あの、
話がしたかった。
あの人と。
ツラいはずなのに、なぜ、あんな笑顔でいられるのか。
その強さの裏の危うさが、ハルの心に引っかかる。
道を進み、市民病院を通り過ぎて、中学校へ向かった。
中学校の手前には例の平和公園がある。
あれ……かな?
あの人、だよな。
五人くらいのメンバーとともに、花壇の手入れをしている女性。
脇にゴミ袋が置いてあるところを見れば、すでに清掃は終えたのだろう。
談笑しているメンバーを、あの時のように穏やかな笑顔で見守っている。
やがて、作業を終えたのか、立ち上がって後始末を始めた。
どうしよう……?
会ったら何をどうしようかなんて、考えないでいたので、あまりにスムーズに再会できて、逆に困ってしまった。
このままでは、解散して帰ってしまうだろう。
どうしよう。
が、迷っているうちに、ボランティアさんたちは解散してしまった。
若い女性は、ハルに向かって歩いてきた。
え、え、ホントに、どうしよう!
そんなハルの心の叫びが天に届いたのか……単に、その女性の日課なのか、ハルの数メートル手前にあったベンチに、彼女は腰かけた。
噴水を眺めながら、時折、鳥の羽ばたきに視線を移してみたり。
手を組んで、頭上に上げ、大きく伸びをしてみたり。
朝の労働を疲れを癒し、ゆったりと時間を過ごしている。
のどが渇いたのか、手にしているペットボトルを口にして、それからふと、哀しげな顏をした
かわいらしいアップリケの付いた、黄色いペットボトルカバーに、ジッと見入っている。
そして、小さくため息をつくと、再び噴水をぼんやりと眺めている。
「あの……」
意を決して、ハルは話しかけた。
「はい?」
やや低めの、優しい声音……ちょっと訝しげに、けれど拒絶する感じはない。
「一昨日 ……」と言いかけた時。
キュルル……。
朝ごはん抜きの、まだまだ食べ盛りのハルのお腹が、代わりに話しかけた。
カッ、と赤面したハルと、手に持った荷物……ナミの持たせてくれた紙袋と、途中のコンビニで買ったコーヒーのペットボトルを見比べて。
「あ、よかったらお座りになって?」
にっこり。
女性は、少し右にずれながら、ベンチの左側(ハルからは向かって右側)に空きスペースを勧めた。
別に公園内にベンチは一つきりではなかったから、他に行けばいい、と思われても仕方ない。現に、公園内には、散歩している老夫婦と、犬を連れた男性が、遠くに見えるだけで、他には誰もいないのだから。
あえて言うなら、このベンチは公園の真ん中の噴水と、南側半分に広がる先ほど彼女たちが世話していた花壇が一望できる、日当たりのよい場所である。
そこで朝ごはんを食べたいという希望があるのだろう、と彼女が解釈したとしても。
嫌な顔せず、見も知らぬ男性に、同席を許してくれた、彼女の優しさと警戒心のなさに、ハルはますます違和感を覚えた。
なんで、そんな風に穏やかでいられるのか。
あんな、悪感情の、瘴気を纏いながら。
……今はみじんも感じないけれど。
と、またもう一度、お腹が鳴ってしまった。
「あ、スミマセン……」
まだ顔を赤くしたまま、それでも勧められるまま、ハルはベンチの左側に腰を下ろした。
「公園で朝ごはん? 素敵ね。いいお天気だもの」
「あ、いえ、ちょっと慌てて出てきちゃって……お姉さんは、公園のボランティアですか? 花壇の手入れをされていたのを見ましたけど」
「ええ。そうみたい……いえ、そうなのよ。毎週の日課……なの」
思い出し思いだし、言葉をつなぐように。歯切れの悪い言い方だった。
「でも、いいものね。朝の公園って。こんなに空気も澄んで。いつも昼間しか来なかったから……あ、前はね……そう、朝に来るなんて……いえ、毎週来ていたのだけど……」
女性は軽い混乱を起こし始める。どう言葉をかけようか困ってしまったハルのお腹が……また鳴った。
沈黙の後、女性はクスリと笑った。場をわきまえない腹の音――いや、この場合はしっかり空気を読んだらしい。女性は落ち着きを取り戻した。
「あ、よかったら、半分いかがですか?」
「え?」
「あ、いや、無理にじゃないんですが。一人だと食べづらいというか……味は保証します! 料理上手の弟が、得意のホットサンド……焼いてないんでサンドイッチかな……あ、なんで味は……もしかしたら保証できない……ものを勧めるの、失礼ですね……」
段々支離滅裂になり、声が小さくなって、ついでに身も縮こまってきたハルの目の前に、ニュッ、と手がつき出された。
「いただくわ。弟さんご自慢の品」
いそいそと包みを開き、両手に捧げるように持って、彼女の正面に差し出す。
「どうぞ」
「お先にいただきます」
そう言って、パクリ、と一口かじり。
「ん……!」
ちょっと驚いたように、でもすぐにはしゃべらず、ゆっくり咀嚼して
おもむろにハルを見る、満面の笑顔で。
「美味しい!」
「よかった」
ハルも自分のサンドイッチを口にした。
新鮮な野菜のシャキシャキした歯触りと甘味が、口の中に広がる。
スライスしたゆで卵のホロホロ感を受け止める、チーズのコクもまた……。
「あれ……?」
「どうしたの?」
「いえ……チーズが、普通のだったんで。ホットサンドの時は、とけるチーズを使ってるのにな……って」
「弟さんが、変えてくれたんじゃないの?……そういう小さな気遣いができる、思いやりがある子だって、感じるもの」
「いや、それは誉めすぎかも。アイツにしたら、たいしたことじゃないんだろうし」
「焼く前の、セッティングしてある段階なら、チーズを取り替えるくらい、造作もないのよ。行為としてはね。ただ、そこまで気をまわせるか……食べるあなたの事を思いやれるかは、弟さんの心一つなんだと思うわ。あなたも、身内を誉めるのは気が引けるのかもしれないけど、そういう心遣いができる弟さんを誉めていいと思う」
「ありがとう……」
「仲がいいのね」
「?」
「あなたのことを批判しちゃったことは気にもしないで、弟さんを誉めたことを自分のことみたいに喜んで……素敵な兄弟ね」
『うらやましい』
そう、聞こえた。
「私には、お互いに思い合えるような兄弟姉妹 はいないから」
「え?」
「そんな相手がいる人が、うらやましいなあ、って、時々思うのよ」
そんなはずはない。
いるはずなのだ。
ただの兄弟姉妹より、もっと強い絆の持ち主が。
おそらく、姉か妹。
それが、あの影の正体だと、思う。
彼女そっくりの顔で、彼女に憎しみをぶつけていた。あの人影。
ハルがその影について考えることで、どんどん思考が――
そして、その声まで、聞こえるほどに。
『許さない。再び、この幸せな空間に戻るなんて。誰かに、愛されるなんて。子供の手を取るなんて。許さない』
そう、怨嗟の声を投げつけてきたのは。
「双子の……」
「……え!?」
突如。
それまでの春の日差しのような眼差しに、氷の如く冷え冷えとした光が走る。
「あなた……」
何者?
眼差しが問いかける。
みるみる顔が険しくなってくる。
「一昨日、病院で見かけて……でも、なんだか、雰囲気が違っていたので……別人かと。それで双子のお姉さんとかいるのかな、って……」
嘘はついていない。かなり苦しい言い訳だが。
「……そう。病院で……そういえば、あなたに会った覚えがあるわ。学生さん、よね? 看護の」
少し、険しさが緩む。
「でも、それなら、私よ。そんなに、違っていた? 今日も大して変わらない格好だけど」
険しさは、すっかりなりを潜め、笑顔になる、自嘲的に。
「でもね、当たらずとも遠からず、かな」
「へ?」
「確かに、いるの。双子の妹が」
「あの……」
あまりにも素直に言われて、次の言葉が出てこない。
しばらく、無言の時が続き。
空を見つめていた彼女は、意を決したように、肩で大きく息をして、頷いた。
それから、ハルを、まっすぐ見つめて、口を開く。
「あのね、聞いて、くれる?」
「……え……あ……」
まっすぐハルを見つめる目元は、次第に潤んでくる。
「聞いて、欲しいの。誰かに、聞いて欲しくて……でも、知っている人には話せなくて。通りすがりの、名前も知らないあなたになら、話しても……いい?」
お願い。
泣き出しそうな彼女を前にして、拒めるはずもなく。
実は事情も知っていることに、罪悪感を抱きつつ。
ハルは、黙って、頷いた。
実習の日は時間が惜しいので自転車で行くが、今日は静かに家を出たかったので、あえて歩いて行くことにした。
自転車が残っていれば、家にいないことに、しばらく気づかれないだろう……なんて目論見もあったりしたが。
自転車だと走り抜けるだけの町並みだが、歩きだと小さな変化が目に映る。
商店街の入り口には竹が何本も立て掛けてあった。
青々とした、まだ切り立ての竹……月が変わればじきに七夕だったと思い当たる。
「よう、ハルちゃん、休みなのに早いね」
顔なじみの魚屋のおじさんが声をかけてくる。
「さっき朝市でちびっこ達にも会ったよ。みんな早起きだなあ」
「お子様は朝から元気なので」
苦笑して、じゃまた、と別れて歩き出した。
一昨日の、木曜日の夜。
暎比古さんに問われて、曖昧にごまかしたが。
ボランティアの若い女性のことが、ハルの頭から離れなかった。
何とかレポートに集中しようと踏ん張り、夜遅くまでかかって仕上げた。
翌日、ヘロヘロになりながら、何とか実習を終え。
(菜摘さんベビーちゃんのお世話に、心を癒されたが。母性実習中で、ホントに良かった)
あのままにしておけない。その思いは、強まるばかりだった。
父に言えば、上手く事を治めてくれるかもしれない。
佐原主任もそれを期待している節があった。金曜日には何も言ってこなかったけれど。
確かに、今は大きな問題にはなっていない。
しかし、ハルや子供たちに伝わる、あの、瘴気、ともいえる感情は、いつかあの人の身に危険を及ぼすかもしれない。それに。
あの、瘴気の正体。
あの時は、曖昧な影としてしか感じなかったものが、思い返すたびに形を取り始めた。
あれは……あの、
人影
は。話がしたかった。
あの人と。
ツラいはずなのに、なぜ、あんな笑顔でいられるのか。
その強さの裏の危うさが、ハルの心に引っかかる。
道を進み、市民病院を通り過ぎて、中学校へ向かった。
中学校の手前には例の平和公園がある。
あれ……かな?
あの人、だよな。
五人くらいのメンバーとともに、花壇の手入れをしている女性。
脇にゴミ袋が置いてあるところを見れば、すでに清掃は終えたのだろう。
談笑しているメンバーを、あの時のように穏やかな笑顔で見守っている。
やがて、作業を終えたのか、立ち上がって後始末を始めた。
どうしよう……?
会ったら何をどうしようかなんて、考えないでいたので、あまりにスムーズに再会できて、逆に困ってしまった。
このままでは、解散して帰ってしまうだろう。
どうしよう。
が、迷っているうちに、ボランティアさんたちは解散してしまった。
若い女性は、ハルに向かって歩いてきた。
え、え、ホントに、どうしよう!
そんなハルの心の叫びが天に届いたのか……単に、その女性の日課なのか、ハルの数メートル手前にあったベンチに、彼女は腰かけた。
噴水を眺めながら、時折、鳥の羽ばたきに視線を移してみたり。
手を組んで、頭上に上げ、大きく伸びをしてみたり。
朝の労働を疲れを癒し、ゆったりと時間を過ごしている。
のどが渇いたのか、手にしているペットボトルを口にして、それからふと、哀しげな顏をした
かわいらしいアップリケの付いた、黄色いペットボトルカバーに、ジッと見入っている。
そして、小さくため息をつくと、再び噴水をぼんやりと眺めている。
「あの……」
意を決して、ハルは話しかけた。
「はい?」
やや低めの、優しい声音……ちょっと訝しげに、けれど拒絶する感じはない。
「
キュルル……。
朝ごはん抜きの、まだまだ食べ盛りのハルのお腹が、代わりに話しかけた。
カッ、と赤面したハルと、手に持った荷物……ナミの持たせてくれた紙袋と、途中のコンビニで買ったコーヒーのペットボトルを見比べて。
「あ、よかったらお座りになって?」
にっこり。
女性は、少し右にずれながら、ベンチの左側(ハルからは向かって右側)に空きスペースを勧めた。
別に公園内にベンチは一つきりではなかったから、他に行けばいい、と思われても仕方ない。現に、公園内には、散歩している老夫婦と、犬を連れた男性が、遠くに見えるだけで、他には誰もいないのだから。
あえて言うなら、このベンチは公園の真ん中の噴水と、南側半分に広がる先ほど彼女たちが世話していた花壇が一望できる、日当たりのよい場所である。
そこで朝ごはんを食べたいという希望があるのだろう、と彼女が解釈したとしても。
嫌な顔せず、見も知らぬ男性に、同席を許してくれた、彼女の優しさと警戒心のなさに、ハルはますます違和感を覚えた。
なんで、そんな風に穏やかでいられるのか。
あんな、悪感情の、瘴気を纏いながら。
……今はみじんも感じないけれど。
と、またもう一度、お腹が鳴ってしまった。
「あ、スミマセン……」
まだ顔を赤くしたまま、それでも勧められるまま、ハルはベンチの左側に腰を下ろした。
「公園で朝ごはん? 素敵ね。いいお天気だもの」
「あ、いえ、ちょっと慌てて出てきちゃって……お姉さんは、公園のボランティアですか? 花壇の手入れをされていたのを見ましたけど」
「ええ。そうみたい……いえ、そうなのよ。毎週の日課……なの」
思い出し思いだし、言葉をつなぐように。歯切れの悪い言い方だった。
「でも、いいものね。朝の公園って。こんなに空気も澄んで。いつも昼間しか来なかったから……あ、前はね……そう、朝に来るなんて……いえ、毎週来ていたのだけど……」
女性は軽い混乱を起こし始める。どう言葉をかけようか困ってしまったハルのお腹が……また鳴った。
沈黙の後、女性はクスリと笑った。場をわきまえない腹の音――いや、この場合はしっかり空気を読んだらしい。女性は落ち着きを取り戻した。
「あ、よかったら、半分いかがですか?」
「え?」
「あ、いや、無理にじゃないんですが。一人だと食べづらいというか……味は保証します! 料理上手の弟が、得意のホットサンド……焼いてないんでサンドイッチかな……あ、なんで味は……もしかしたら保証できない……ものを勧めるの、失礼ですね……」
段々支離滅裂になり、声が小さくなって、ついでに身も縮こまってきたハルの目の前に、ニュッ、と手がつき出された。
「いただくわ。弟さんご自慢の品」
いそいそと包みを開き、両手に捧げるように持って、彼女の正面に差し出す。
「どうぞ」
「お先にいただきます」
そう言って、パクリ、と一口かじり。
「ん……!」
ちょっと驚いたように、でもすぐにはしゃべらず、ゆっくり咀嚼して
おもむろにハルを見る、満面の笑顔で。
「美味しい!」
「よかった」
ハルも自分のサンドイッチを口にした。
新鮮な野菜のシャキシャキした歯触りと甘味が、口の中に広がる。
スライスしたゆで卵のホロホロ感を受け止める、チーズのコクもまた……。
「あれ……?」
「どうしたの?」
「いえ……チーズが、普通のだったんで。ホットサンドの時は、とけるチーズを使ってるのにな……って」
「弟さんが、変えてくれたんじゃないの?……そういう小さな気遣いができる、思いやりがある子だって、感じるもの」
「いや、それは誉めすぎかも。アイツにしたら、たいしたことじゃないんだろうし」
「焼く前の、セッティングしてある段階なら、チーズを取り替えるくらい、造作もないのよ。行為としてはね。ただ、そこまで気をまわせるか……食べるあなたの事を思いやれるかは、弟さんの心一つなんだと思うわ。あなたも、身内を誉めるのは気が引けるのかもしれないけど、そういう心遣いができる弟さんを誉めていいと思う」
「ありがとう……」
「仲がいいのね」
「?」
「あなたのことを批判しちゃったことは気にもしないで、弟さんを誉めたことを自分のことみたいに喜んで……素敵な兄弟ね」
『うらやましい』
そう、聞こえた。
「私には、お互いに思い合えるような
「え?」
「そんな相手がいる人が、うらやましいなあ、って、時々思うのよ」
そんなはずはない。
いるはずなのだ。
ただの兄弟姉妹より、もっと強い絆の持ち主が。
おそらく、姉か妹。
それが、あの影の正体だと、思う。
彼女そっくりの顔で、彼女に憎しみをぶつけていた。あの人影。
ハルがその影について考えることで、どんどん思考が――
眼
がさえていっているのだろう。あやふやな影だったものが、次第に形をとり、その目鼻立ちまで見極められるほどに。そして、その声まで、聞こえるほどに。
『許さない。再び、この幸せな空間に戻るなんて。誰かに、愛されるなんて。子供の手を取るなんて。許さない』
そう、怨嗟の声を投げつけてきたのは。
「双子の……」
「……え!?」
突如。
それまでの春の日差しのような眼差しに、氷の如く冷え冷えとした光が走る。
「あなた……」
何者?
眼差しが問いかける。
みるみる顔が険しくなってくる。
「一昨日、病院で見かけて……でも、なんだか、雰囲気が違っていたので……別人かと。それで双子のお姉さんとかいるのかな、って……」
嘘はついていない。かなり苦しい言い訳だが。
「……そう。病院で……そういえば、あなたに会った覚えがあるわ。学生さん、よね? 看護の」
少し、険しさが緩む。
「でも、それなら、私よ。そんなに、違っていた? 今日も大して変わらない格好だけど」
険しさは、すっかりなりを潜め、笑顔になる、自嘲的に。
「でもね、当たらずとも遠からず、かな」
「へ?」
「確かに、いるの。双子の妹が」
「あの……」
あまりにも素直に言われて、次の言葉が出てこない。
しばらく、無言の時が続き。
空を見つめていた彼女は、意を決したように、肩で大きく息をして、頷いた。
それから、ハルを、まっすぐ見つめて、口を開く。
「あのね、聞いて、くれる?」
「……え……あ……」
まっすぐハルを見つめる目元は、次第に潤んでくる。
「聞いて、欲しいの。誰かに、聞いて欲しくて……でも、知っている人には話せなくて。通りすがりの、名前も知らないあなたになら、話しても……いい?」
お願い。
泣き出しそうな彼女を前にして、拒めるはずもなく。
実は事情も知っていることに、罪悪感を抱きつつ。
ハルは、黙って、頷いた。