文字数 4,815文字

 夫が希和子さんと一緒にいると知らされ。

「どうして……」
 パニックに陥る佐和子さん。
 震える手を、ハルが握りしめる。

「それは、事実? それとも、親父の……」
 声は震えるが、腹にぐっと力をこめて、ハルは問う。
「最初は、丸さんから借りた写真で、確認した。少なくとも、生きてはいる、ってことは、ね。で、希和子さんの存在に気が付いて、所在を確認してもらった。そうしたら、なんと、すぐそこにいたんだよ。山を越えた、すぐ向こうにね」
 暎比古さんは、窓の外に指で示す。その先には、地域の名峰である冠山があり、その先は……隣県だ。

 県境にあるこの市は、県中央部に行くより、県境を越えて隣県に行く方が、実は近い。が、警察は県単位で管轄が決まっているため、県境を越えると捜査の手が及びにくい。そこをうまく突かれて、存在を隠されていたのである。

 佐和子さんのご主人貴弘さんと六歳の弘夢(ひろむ)くんが、無事生存確認されたのは、今朝のこと。
 丸田氏提供の写真から、希和子の存在に気が付いた暎比古さんは、その所在を丸田氏に調べてもらった。佐和子さんが養子であることは確認済みだったが、改めて両親に確認、了解を得て、警察経由で戸籍を確認し、その存在が分かった。三年前は、行方不明になった貴弘さんの縁戚関係は深く調べたものの、佐和子さんについては聞き取りだけで、ほぼノータッチだったという。
 現住所も判明したが、現在は家族の看病のため、県外にホテル住まいだという。
 毎日足しげく通っているという、その入院先もすぐ判明した。
 そして。
 暎比古さんの読み通り、その病院に、貴弘さんらしき人物が長期入院していた。
 私立のその病院の出資者は須藤(スドウ)義正(ヨシマサ)氏……著名な実業家であり、須藤希和子――佐和子さんの実の妹の、養父であった、というところまで、公園で覗き中、もとい待機中、丸田氏から連絡を受けていた。
 
「今、あちらに担当者送って事実確認している。待機はしていたんだが、確証がつかめないと公に動くこともできなくてな。しかも、やたら所轄をまたぐと、いらん騒ぎが起きる。まあ、正直、暎比古くんやハルくんの力で、というのも、証拠能力はないんだが。何とか状況証拠の裏付けが取れれば、立件できるかもしれんが」
 元、とはいえ平の警察官だった丸田氏だが、組織の上層部にはかつて部下としてしごいた……もとい、面倒をみた出世頭もいて、まだまだ顔が効く。県外は管轄違いでやりにくさはあるが、たまたま知り合いがあちらの所轄にいたので、そのコネも総動員した。

「ただ、今回は、逮捕は難しいかもしれん。相手が大物でな。貴弘さんと弘夢くんの安全を優先して、善意の保護をしてくれていた、という形になるかもしれんな。それで勘弁してほしい」
「でも、佐和子さんのご主人の……貴弘さん? の証言があれば……?」
 ハルが食い下がるが、暎比古さんは首を左右に振る。

「それが、難しいみたいなんだよ。その入院している男性は、意識障害の状態……有体に言えば、精神障害、記憶喪失の状態らしい」
「……!」
「……希和子の仕業、なんですね? 記憶喪失になるなんて、ハルくんの話の内容が本当なら、……それ以上に酷いこと、されたんじゃ……」

「……いや、希和子さん、あの男性に、何も感じていない。少なくとも、佐和子さん以上には」
「それは、希和子が私を憎んでいるから……」
「ううん、憎いとか、愛とか、そういう、一切の感情を、彼には向いていない。まだ、子供さん、あの子に対する思いの方がまだはっきり感じ取れた。彼には……貴弘さんに対しては、まるで、人形みたいに、役をあてがって遊ぶみたいな、モノ扱いしている感じがした」

 ハルは、看護学校の技術練習で、時に人間でなくモデル人形と呼ばれる人間の身体を精巧に模した人形を使って練習することがある。教員には「本当の患者さんだと思って、丁寧に、思いやりを持って接するように」と言われるが、やはりそうは言っても実際の人間以上に思い入れを持つことは難しい。それでも、実習を経て、実際の患者さんと接するうちに、イメージがつかめたのか、「○○さんだと思って」と考えながら練習することはある。そうすると、自然と丁寧に扱うことができるようになった。
 希和子さんの貴弘さんに対する思いは、その初めの頃のハルの気持ちに似ている。患者さんとして考えなくてはいけないのに、どこか空々しい気持ち。あくまで「物」という枠を超えて考えられない、空虚な入れ物。そこに、無理やりイメージを当てはめようとして、でもつい無理な動きをさせてしまう、例えば更衣の援助などで無理やり肘を曲げてひねったり。それでハルは散々注意を受けたけれど、希和子さんは? 「物」のように見ている貴弘さんに、ちゃんと接することが、できたのだろうか?

「……愛も、憎しみもないのに、何で手元に置いたんだろう?」
 ハルは思わず、心の声を口に出してしまう。
「……私を、苦しめるため?」
 疑問符はつくが、ほぼ確信しているように、佐和子さんはつぶやく。
「そのあたりの心理は、希和子さんに聞くしかないかな。もう、これ以上ハルに無理はさせられないしね。……もっと早く、希和子さんの存在に行きついていたら、もう少し早く、発見できていたかもしれないけど。まさか、二人が出会っていたんなんて、ご両親も知らなかったみたいだしね。その存在を匂わせないように、希和子さんも佐和子さんに暗示をかけていたのかもしれない」

「佐和子さんに双子の妹がいるという事実に行きつけなかったのは、警察の初動捜査のミスでもあるよ。正直、子連れとはいえ父親と一緒だという状況に、どこか覚悟の失踪、という認識を捨てきれていなかったのは事実だ。貴弘さん側の交友関係を中心に当たっていて、佐和子さんの周辺は、捜査が甘かったと思う。生き別れの双子の妹がいる、ということも、一応判明していたんだが、佐和子さんはその事実を知らないはずだ、というご両親の言葉を鵜吞みにしてしまった。あの頃、直接君に問いただせる状況でもなかったから、そのまま、それ以上追及されないままになってしまい……。少なくとも、所在確認くらいするべきだったと思うよ。すまない」
 頭を下げる丸さんを佐和子さんが押しとどめる。

「いえ、本当に、今思うと、希和子は自分の存在を広めないように関わってきていたと思います。私も、両親には言えないで来てしまっていたから……でも、どうして、分かったんですか?」

「この写真を見て、暎比古くんが、別人だと言ってね」
 小早川クンに頼んで資料の入ったら封筒を持ってきてもらい、そこから丸田氏が取り出した、二枚の写真。
「捜索の際、お借りした写真の中にあったんだが、まさか佐和子さんじゃないとは思わなんだ」
 一枚は、結婚式のスナップ写真、もう一枚は弘夢くんが産まれてきた頃の親子三人のスナップ。
「これ、佐和子さんじゃない」
 ハルが呟く。
「……私がシャッター押した写真だわ」
 それは即ち、佐和子さん本人でなない、ということ。

「……暎比古くんはともかく、ハルくんは、よくわかったな」
 丸田氏が感心して、写真を見直す。
「本人を知っているから、違うって思っただけです」
「いや、知ってても、こりゃ分からんよ」
 丸田氏が、やや自己弁護気味に、言葉を継ぎたす。

「増して、意識的に真似ていたならね。はっきり言って、この時の希和子さんは、佐和子さんを演じようとさえしてる意図を感じる……執念、と言っても言い」
 暎比古さん、写真を見つめて答える。
「あと、多分希和子さん、佐和子さんと同調が切れたことに気付いたかも知れないな。一昨日は感じられた満足感が薄れて、憎悪の念が強くなってる気がする」

「……暎比古くんはね、霊能力があって、直接本人じゃなくても、写真から色々なことが解るんだ。……本当はご主人達の生存にあまり希望が持てなくたって、いっそはっきりさせたほうが、あなたも気持ちを切り替えることが出来るんじゃないかと、頼んで霊視してもらったんだ」
 話についていけない様子の佐和子さんの為に、丸田氏、事情を説明する。両親からの依頼であることは、隠して。

「ねえ、佐和子さん。私がこの写真見て、一番おかしいと思ったのは、この人……希和子さんがね、水子背負っているからなんです。それで他の写真見せてもらったら、別人だと確信した」
「……私も、一回、流産したことはあるんですが……」
「そうですね。でも、とても心を込めて供養されている。水子でなく、守護霊的な存在になって、あなたの側にいますよ」
「……本当?」

 事実である。実は佐和子さんには内緒だが、ミチ姐に極秘で受けた情報提供でも、流産の経験とそれを彼女が酷く悼んでいたことも聞いている。佐和子さんを助けるためだという名目で得た情報だが、守秘義務違反に抵触するので、聞き方には注意した。
 光を見ずに天国に行った魂があるかな? という問いに、「哀悼の意をささげていたわ」と返答が来た。暎比古さんの心に秘めておくと約束したとはいえ、こと出産関係に関しては職業意識の高いミチ姐が明かせる、ギリギリのラインだったであろう。返答には時間がかかった。
「一方、希和子さんは、悼む気持ちはあるのに、十分供養できないうちに悲しみをあらぬベクトルに向けてしまっている。……可哀想に、この子、とても心配している」
「その子は、もしかして、夫と……?」
 貴弘さんが希和子さんといる、という事実から、佐和子さんは別の可能性も考えていたことが、その言葉で分かる。三年前に失踪した夫が別の女性といる、という事実だけを考えたら、仕方がない思考過程かもしれない。さっきハルに「私のことは憎んでいるけど」と訊いたのも、希和子さんが貴弘さんに横恋慕したのかもしれないという思い込みから来たのだろう。けれど。

「いいえ」
 暎比古さん、断言。
「この子は、別に父親がいます。それに、この子が亡くなったのは、もう七年も前だ」
「七年前……」
 それは。

「あなたと再会した、少し前でしょうね。そして、おそらく、全ての悲劇は、そこから始まった」
 歯車が狂いだしたのは、七年前の、すれ違い……。

『メールがきてまーしゅ』

 突如、愛らしい声が、暎比古さんにメール受信を伝える。
「暎比古くん……」
 緊迫感だいなしの着信音に、がっくりとうなだれる丸田氏を尻目に、ニコニコ顔の暎比古さん。

「可愛いでしょう! メイに吹き込んでもらったんですよ。あ、メイってのは、家の一人娘でして、可愛い盛りなんです。今保育園の年少さんで……」
「親バカっスね」
 暎比古さんにどつかれる小早川クンに同情しながら、思わず我が身を振り返るハルであった。
 自宅からの着信ディスプレイにメイの画像使うの、やめた方がいいのかな?

 悩んでいるハルをよそに、暎比古さんはメールを確認する。
「貴弘さんと弘夢くん、無事保護されたようです。佐和子さんに、確認に来てもらいたいと。行きますか?」
「……行きます」
 毅然とした瞳で、佐和子さん、暎比古さんを見つめ、頷いた。

 数分後、丸田氏、メールの送り主である元部下の某刑事に苦言を呈す。
「何でわしに連絡せんのだ!」
『だって、丸さん、電話に出ませんでしたよ? 多分マナーモードのまま、気付いていないんだろうな、と思って。連絡つかない時は土岐田さんにって言ったの、丸さんですよ』

 昼食時にマナーモードにして、そのままだったのだ。

 ……電話を切って、一分おきの着信履歴【不在】を確認した丸田氏、心の中で謝りつつ、そっと、自分を慰める。さっきまで警察を代表する気持ちで佐和子さんに謝罪したのに、いいところを暎比古さんに持っていかれてしまった気がして。

 なので、解除することを失念した事実を棚上げして、ちょっと天に吠えてみた。


 レストランではマナーモードってのは、エチケットだよな、間違ってないよな?
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登場人物紹介

土岐田暎比古(トキタ・テルヒコ) 38歳

4人の子持ちのスーパーイクメンにして

街でウワサの超イケメン

天国の愛妻・美晴さんに愛を捧げつつ

可愛い子供達の養育に励む

明知探偵事務所の調査員(注・あまり勤勉とは言えないが勤続20年)

霊感は強いが除霊とかできない……「霊視」に特化している


土岐田晴比古(トキタ・ハルヒコ) 20歳

本編のもう一人の主人公

看護学生 3年生 通称・ハル

父・暎比古さんの愛情を目一杯受けつつ(最近は内心複雑)

弟妹へ愛を注ぐ心優しいお兄ちゃん

母・美晴さんから引き継がれた、ある「力」を有するが……


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