文字数 5,562文字

 ……どうしようかなあ。
 暎比古さんは、思案の真っ最中であった。
 早朝、家を出たハルの足取りを追って、公園にたどり着いたのが、今から四時間程前。
 ……まさか、こういう展開になるとは……。

「端から見ると、痴話喧嘩みたいっスね」
 ボソッと言うのは、コバヤシ少年、ならぬ小早川【元】少年。
 既に青年にも【元】を付ける必要がある年だが、暎比古さんとは別の意味で若く、というか、幼く見える。
「うるさいよ、チャボ」
 チャボは小早川くんの愛称である。
 そのまんま【とっ

うや】から取っている。
「やめて下さいっス。鶏じゃないんっスから」
 本人はあまり気に入っていない様子だが。

(コッコ、コッコうるさい所なんかソックリだよ)

 一言どころでなく、余計な言葉が多いのが、彼の欠点である。
「ミヨちゃんにアシに入ってもらうんだった」
「何いってるんスか! 血の雨が降るっスよ。可愛いハルくんのラブシーンもどきなんて見せたら大変っスよ!」

 確かに。
 ハル大好きのミヨちゃんこと谷浜美代子事務員にとっては、看過できないかもしれないなあ。
 こんなラブシーン、朝のうちは予想してなかったよ。

 遡ること、四時間前。
 休日はナミに朝ごはんをお任せして、朝寝坊を決め込む事が常の暎比古さんだったが、今朝は違った。
 何時でも出掛けられるように身支度して、ハルの部屋の様子を窺っていた。
 案の定、休日は起こされるまで寝ているハルが、ガサゴソと出掛ける気配がした。
 ハルが外に出たのを確認して、暎比古さんは、ナミ達に気付かれないよう、忍び足で玄関に向かった、が。

「お父さん、時間かかるようなら、大兄とお昼済ませてきてね」
 ナミがキッチンから声をかけた。
「留守番は誰が来てくれるの?」
「……谷浜さん」
「じゃあ、お昼、足りるね。小早川さんだと三人前は必要だから」

 アイツは人んちでどんだけ食うんだ!?

 じゃなくて。
「ナミ……ハルは、どこ行くって?」
「お父さんには黙ってて、って言われたから。っていうか、大体目星ついてるんでしょう? あーあ、お父さんにいいように転がされて、可哀想な大兄ちゃん」
 確かに。

 ハルは気も回るし、しっかり者だけど、根は素直で……単純で、扱いやすい。
 一方、ナミは、一見物分かりが良さそうなイイコちゃんだけど、時々底知れない洞察力としたたかさを見せることがある。
「将来どうなることやら……」
 ナミに持たされた、【ホットサンドになる予定だったもの】の入った紙袋を眺めつつ、一人ごちる。

 気を取り直して。

「あ、チャボ? ハル行った?」
『来たっス。……今、通り過ぎて中学校方面に向かったっス』
 携帯電話の向こうから、市立病院前で待機中の小早川クンの返事を聞き。
 ……分かっていたけど。
 ……そういう行動を取るって、予測していたけど!
「素直すぎるよ……ハル」
 こちらの将来にも、頭が痛い暎比古さんであった。

 とはいえ。
 ハルがこんな行動を取るように仕向けたのは、もちろん暎比古さんである。きっかけはミチ姐が与えてくれたが。
 ハルが、自身の小さな気がかりにさらに注目するように、暎比古さん、こっそり働きかけをした。
 暎比古さんが、霊的な感応力を持っているように、ハルもあることに、過敏に反応する。

 感情。

 あるいは、暎比古さんより突出した力を持っているかもしれない。
 暎比古さんは、ある程度形をとった「意思」に対してしか――意思そのものと言える魂、霊魂ならともかく、生きた人間相手の場合、生き霊程度の強さを持った意識でないと感じとることは出来ない。多少の「感情」も感じ取れるが、どちらかと言うと「意思」に付随する情報の意味合いが強い。ただ、死霊かどうかは分かるので、相手が

という事実から、逆説的に生存を確認できる。

 また、強烈な意思や霊的な存在であれば、本人を前にしなくても――写真や物でも――感じとることは出来る。対話希望のある霊や守護霊レベルの高位の魂なら、言語的コミュニケーションも可能である。
 守護霊本体を前にすれば、対話もできるが、被守護者に不利益になることは基本黙秘されてしまうので、守護霊に聞いて真相解決! なんて都合のいいことはそうは起きない。どっちかというと興奮に任せて喋りまくる生霊の類の方が結構ポロリと話してくれる。

 ただし、対話は直接でないとできないので、写真だと憑いているかどうか程度しか分からない。
 意識の方向性や位置情報など大まかな存在感も感知できるが、あくまでも東西南北、地方地図レベルの『大まか』である。つまるところ、死霊プラス生き霊相手にしか役に立たない。

(暎比古さんにも守護霊はいる。割と力が強いらしく、半端な霊力の浮遊霊は怖がって近づかない。ただし、おそらくご先祖様の霊なんだろうけど、気難しいのかへそ曲がりなのか、後ろで腕を組んで相手を威圧しているだけで、声もかけてくれない。すでに与えられた力だけで何とかしろ、という愛のムチだと考えて、自分の守護霊は「お守り」程度に考えている)

 一方ハルは。
 生き霊までいかない、それよりもずっと弱い、感情の起伏を感じとる。
 生きている人間が、ひたすら唯一つの思いに集中し続けることは案外難しい。
 例外は愛憎……つまり執着することくらいで、物欲などは意外と多方面に分散してしまうため、純度が下がる。
 それが極まれば、善くも悪くも霊的な存在へと昇華され、暎比古さんにも感じとることは出来る。
 そうなる以前の、形を取れない思念を、ハルは感じとる。
 ダイレクトに。そして、やがてその思いを、明確な形にして認識する。それは目に見える形で、耳に聞こえる声で、ハルに押し寄せる。
 人間社会に生きる上で、これは精神的にかなりリスキーな状態である。
 自分に向けられたものでない感情でさえ、それが強いものなら精神的に打撃を受けるし、弱くても数が多ければ、やはり負担になる。
 ハルが今まで平穏無事な生活を送っているのは、暎比古さんが暗示をかけているからに他ならない。

 小さな頃、ハルを人混みに連れていくと、大抵むずがった。
 泣き出すことさえあったので、自然と人混みは避けるようになった。
 そのわりに人見知りはしなくて、誰とでも仲良く遊ぶ子だった。
 あれは、今のメイくらいの頃。

「泣いてる」
 知人の家に遊びに行った帰り、通りかかったアパートの一室を示して、ハルが言った。
「気持ち悪いって……さみしいって」
 どんなになだめても、ハルは動こうとはしなかった。
 仕方なく、その部屋の呼び鈴を鳴らしたが、人の出る気配はない。
「誰もいないよ」
「いるよ。言ったもん、あ、お母さんが帰ってきた、って」
 あまりにもハッキリ断言するので、暎比古さんと美晴さんは、アパートの大家にその部屋の住人の所在を聞いた。
「さあ? いつも急に何日もいなくなっちゃうし。子供? そう言えば、大分前に、この子ぐらいの子を見たことあるけど、今は病気だとかで入院してるって話だから。そんな小さい子を一人で留守番させないでしょうに」
 ……ところが。
 所長のコネで地元の警察に頼み込んで立ち会ってもらい、大家に鍵を開けてもらったところ。
 猿ぐつわをされ、両手両足を縛られた小さな男の子が、部屋の隅に、横たわっていた。
 かなり衰弱していたが、まだ意識は残っていた。
 ……その後、母親が若い恋人と生活するために夜逃げし、邪魔になった子供を置き去りにしたことが判った。
 男の子は以前から、暴力やネグレクト――放置の虐待を受けており、大家が会った時は、既に七歳になっていたという。

「いつもあんな風に聞こえるの?」
「あんな風って何?」
 美晴さんが尋ねると、ハルはきょとんとして、聞き返した。
「……ええと、お口をチャックしたお友達や、いない人の声が聞こえることがある?」
「あるよ。『オシッコしたい』とか『お家に帰りたい』とか。そうしたら僕、先生に教えるの」
 ニコニコして、ハルは答えた。

 その夜、ハルを寝かしつけた後、美晴さんが暎比古さんに話した。
「前に幼稚園の先生に言われたの。ハルくんは、とても気がつく子だけど、逆に怖いくらい、感情の機微に敏感なんですって。ニコニコ笑顔のつもりなのに、悲しかったり怒っていることを見透かされてしまうんですって。……私、てっきり暎比古さんみたいな力があるのかと思っていたんだけど」
「違うとは言いきれないけど、僕の場合は意思を読み取るって感じなのに対して、ハルのはもっと単純に受け止めているって感じだ。どちらかと言えば精神感応――サイコメトリーやテレパシーに近いのかな」
「それって」
「僕は、読み取る時点である程度取捨選択してるし。霊的な存在は格が上がるほど無闇な干渉はしてこないし、無差別に干渉してくるような低級霊には、家伝の『お守り』があったから、あまり影響は受けなかったけど。ハルの場合、どうしたらいいんだか」
「今までは、普通の会話の延長だと思っていたから、本人は負担に感じてなかったんでしょうね。相手もまだ十分言葉で表現しきれない歳の子供だから、逆にコミュニケーションがスムーズになっていたのかも。人混みなんかで許容範囲を越えた時は、泣いて解消してたんじゃないかしら」
「でも、このままじゃ、いずれハルの心が壊れてしまうかもしれない。年齢を重ねていく程、取り巻く社会や人間関係は複雑になって行くんだろうし」
「今までは、ほとんど本心と発言が一致していたし、ハルに対して悪感情を向ける人が少なかったから、ハルは『聞き流して』いたのよね。普通の会話みたいに。ただ、強い思いというか、訴えてくるものには、行動を起こしている、ってことなのかしら?」
「御先祖様の『お守り』も、霊なら効き目があるけど、ハルにはどうかな。きっと守ってくださっていると思うけど、血縁や家族になると、僕には感じられなくなっちゃうんだよね。本当に危険な時は別だけど」

 亡くなった両親の事故の時や、叔母の曄古さんの最期には、言葉に依らないメッセージが感じられた。だからと言って、暎比古さんにどうこう出来たわけではない。人の寿命に関することは、究極的には神さまの領分である。

「お守りねえ……御先祖様か……そういえば」
 美晴さんが思いだしたこと。
「そう言えば、お祖母様に聞いたことがある。佐取(さとり)の家は元を辿れば山神様を祀る巫人の家系なんですって」
 佐取は美晴さんの旧姓である。
「今は庭に小さな祠があるだけだけど、神憑りの子供が産まれると、悪い神が憑かないように、おまじないをしたんだって。……そうか、ハルは佐取の家の先祖がえりかも」
「そのおまじないって?」
「ええと、確か『まがつこえなど、さとらずや、よきことほぎこそ、くらみせん』だったかな?」
「ま、まが?くらみせ?」
「多分、悪いことは感じないでいよう、良いことは遠くのものでも感じなさい、みたいな意味だったと思うんだ。佐取の姓は『覚り』から来てたって聞いた気がする」

(まが)つ声など、(さと)らずや、善き寿(ことほ)ぎこそ、闇見(くらみ)せん』

 美晴さんの言葉がヒントになり、それから暎比古さんと美晴さんは、ハルに暗示をかけてみた、毎日。
「嫌なことは聞こえない、聞こえても気にしない、優しい気持ちは大事にして、嫌な気持ちは忘れよう」
 合言葉のように、語りかける、毎晩、寝入り端に。
 入眠する時が、もっとも深層心理へ刷り込みしやすいらしい。
 それが効を奏し、小学校に上がる頃には、人の感情を察しすぎる、ということはなくなった。
 感じていないわけではなく、受け流しているのだ。
 成長するにつれ、ハル自身も自分の持つ能力について自覚していったが、自ら暗示をかけて、時には暎比古さんの手助けを得ながら、全面的にシャットダウンし、うまくコントロールしていた。

 それでも。
 どうしても聞き流せない、無視できない感情の流れや心の叫びは、ハルの心を動かす。
 例えば、今回のように。
 彼の女性を取り巻くモノは、ハルに力を呼び起こさせた。
 その女性をひどく気にしていたという事を、ミチ姐から聞いた暎比古さんは、自分では感じ取れない何かをハルが感じ取ったのだと確信した。
 その恐怖が、暎比古さんにも伝わったのだろう。ハルの守護霊をも慌てさせる、強烈な感情だったのだと思う。
 ハルを利用したくはないが、関わってしまった以上、ハルが心を乱されてしまう――むしろ、自ら開放してしまうだろう。
 原因究明のために開放されたハルの思考が、無用な……それ以上に害をなす感情が荒らすことだって、ありうる。

 むしろ、きちんと立ち向かわせて、解決した方がいいかも。

 本当は実習中で心身ともに負担がかかっている時に、余計な荷物を背負わせたくないのだが。だが、すでにその扉に手をかけてしまっている。中途半端な状態の方が、なお負担になるだろう。

 そう考えて、一昨夜、暗示をかけなおしてみた。
 ただし、対象をあの女性に絞れるよう、誘導して。
 おそらく夢見心地にあの女性を取り巻くモノを感じとるだろう。
 そこに、もし「あの人」が関わっているのなら。
 その思いを、感じ取ったなら。
 それを確認する為に、もう一度現場に、そして出来れば本人に会おうとするだろう、と。

 ミチ姐から情報を得ていたと聞いたので、行先は分かっていた。
 そして、朝からの行動を見張っていたが。
 おそらく、事実に近づけば、自分で解決しようと突っ走るのは予想できた。
 暎比古さんが得た情報から推理した内容が、あっていれば。

 ……その、あまりの予想通りの行動(そんな素直さゆえに、暎比古さんのような素人の暗示にもかかってくれるとも言えるわけだが)と、予想外の展開に、父として喜ぶべきか否か、悩む暎比古さんではあったが。 
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登場人物紹介

土岐田暎比古(トキタ・テルヒコ) 38歳

4人の子持ちのスーパーイクメンにして

街でウワサの超イケメン

天国の愛妻・美晴さんに愛を捧げつつ

可愛い子供達の養育に励む

明知探偵事務所の調査員(注・あまり勤勉とは言えないが勤続20年)

霊感は強いが除霊とかできない……「霊視」に特化している


土岐田晴比古(トキタ・ハルヒコ) 20歳

本編のもう一人の主人公

看護学生 3年生 通称・ハル

父・暎比古さんの愛情を目一杯受けつつ(最近は内心複雑)

弟妹へ愛を注ぐ心優しいお兄ちゃん

母・美晴さんから引き継がれた、ある「力」を有するが……


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